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【竹原慎二のライバル】レフェリーに転向した元日本チャンピオンが明かす「選手の安全を守る最後の砦」ボクシング審判員の知られざる日常

NEWSポストセブン / 2024年7月2日 11時15分

7月7日のWBA・IBF統一タイトル戦を戦う井岡一翔とフェルナンド・マルティネス(時事通信フォト)

 7月7日に両国国技館で開催されるボクシングの世界スーパーフライ級2団体統一タイトルマッチ。IBF王者のフェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)との試合に臨むWBA王者の井岡一翔が勝てば、井上尚弥、寺地拳四朗に続く3人目の日本人「現役統一王者」の誕生となる。井岡は、この試合に15歳以下の子供とその保護者100組を自身のファイトマネーで招待するという。

 世界タイトル戦のファイトマネーは数千万円とも数億円とも言われるが、ボクサーと同じリングに立ち、試合を間近で見守るレフェリーが受け取る報酬について語られることは少ない。その待遇や試合前の準備など、プロボクシングの審判員の知られざる日常について、元日本チャンピオンでJBC(日本ボックシングコミッション)の外国人レフェリー、ビニー・マーチン氏に『審判はつらいよ』の著者・鵜飼克郎氏が聞いた。(全3回シリーズの第1回。文中敬称略)

 * * *
 ビニー・マーチンはJBCの外国人レフェリー。プロボクサー出身で、現役時代は27戦18勝(7KO)7敗2分の戦績を持つスーパーウェルター、ミドル両級の元日本王者である。

 デビューはミドル級で、同時期に同じ階級でデビューしたのが竹原慎二。のちに無敗のまま世界チャンピオンになった天才ボクサーがマーチンの前に立ちはだかった。

 竹原との初対戦はデビューした1989年の暮れ、東日本新人王決定戦だった。マーチンは判定負けを喫した。3年後の1992年8月に日本ミドル級タイトルマッチの挑戦者として竹原に挑むが、またしても判定負け。竹原は3度目の王座防衛を果たした。

 竹原が4度目の防衛後に王座を返上したことで、日本ミドル級王者の挑戦権を手にしたマーチンは、1993年4月に日本ミドル級王座決定戦でKO勝ち。日本ボクシング界初のガーナ人王者となった。この快挙は母国の新聞にも大きく載った。

 だが、4か月後の初防衛戦に敗れて王座陥落。直後に交通事故でむち打ちになってしばらくリングに上がれなかったが、マーチンは諦めなかった。ジュニアミドル級(現スーパーウェルター級)に階級を下げて復帰すると、交通事故から3年後の1996年6月に日本ジュニアミドル級の王座決定戦で判定勝ちし、2階級を制した。竹原がWBA世界ミドル級の初防衛戦前の公開スパーリング相手にマーチンを指名したことも話題になった。

 同年12月に2度目の防衛に失敗すると2年後に現役を引退。36歳だった。

引退からわずか半年で審判員に合格

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