1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

【骨になるまで・日本の火葬秘史】東日本大震災の犠牲者を送った「弔い人」の記録

NEWSポストセブン / 2024年7月7日 16時15分

 今日こそ、日本における「弔い」は99%以上が火葬だが、25%を超えたのは明治時代の中頃で、50%を上回ったのは1955(昭和30)年頃だ。現在60〜70代の人が生まれた当時は、まだ半数が土葬だったということだ。

 いまの高齢者のなかには、葬列を組んで火葬場まで遺体を運ぶ「野辺送り」を経験した人もいる。当時、「死」はもっと身近なものであり、土葬と火葬が拮抗していた。

 火葬の増加は経済成長と軌を一にする。バブル前夜の1985(昭和60)年頃には9割近くなり、2005年には99.8%と火葬が当たり前になった。そうした変化を肌で感じていたのは一般社団法人火葬研の武田至会長だ。1990年3月、東京電機大学大学院を修了して火葬炉メーカーに勤務。退社後、火葬場の近代化を推進するNPO団体「日本環境斎苑協会」を経て、1999年に火葬研の前身「火葬研究協会」を設立。40年近く火葬場や火葬炉に携わってきた。東日本大震災や新型コロナウイルスなど大きな社会事象が発生し、「火葬はどうあるべきか」が論議になると、必ず行政や業者に意見を求められる専門家だ。その武田をして、東日本大震災で多くの人が「火葬」に強い思い入れを持ったことは驚きだった。

「長らく、火葬にはどこか公言することがはばかられる雰囲気がつきまとい、火葬研をつくるとき、イメージが悪いという人もいて名称を決める際も火葬という文言を入れるかどうかで揉めたんです。しかし結局『火葬と堂々と言えるようにしたい』ということで、火葬研究協会としました。

 そうしたやり取りがあったからこそ、震災時の仮埋葬をとりまく状況には驚かされました」(武田)

「死」を穢れとして嫌う神道の影響や、親の体を焼却することを「不孝」と見なす儒教の影響もあって、火葬の公言をはばかる風潮が四半世紀前まで存在したことは紛れもない事実なのだ。

仮埋葬された遺体は遺族に見せられない状態だった

 未曽有の大災害が示した現代の「弔い」事情は火葬の浸透だけではない。遺族が大切な人を可能な限り安らかな状態で送るうえで、遺体の処理や納棺、火葬といった「葬送業」がいかに重要であるかということも浮き彫りにした。

 遺体の発見から収容、埋葬地の整備と掘削、そして棺を納めるまで—仮埋葬に伴う作業は当初、装備と機動力を持ち合わせた自衛隊が実施した。だが、救出作業や復興工事など作業は山積しており、ほどなくして棺を納め終わると、その後の掘り起こしは地元の葬儀業者に委ねられることとなった。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください