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【骨になるまで・日本の火葬秘史】東日本大震災の犠牲者を送った「弔い人」の記録

NEWSポストセブン / 2024年7月7日 16時15分

 遺体安置所でふくれあがった顔が緑色と黒色に変色したり、崩れたりして、「元の顔」がわからない状態の遺体も、笹原の手にかかれば限りなく震災前に近い姿を取り戻すことができ、家族は悲しみに暮れながらも心穏やかに別れが告げることができた。

 清月記の面々や笹原と同様、僧侶や神主などの宗教者、火葬場の職員らもまた、震災に立ち向かった。特筆すべきは、彼らが従事したのは、生業の「弔い」に関連する業務に限らなかったことだ。

 高台にある石巻の洞源院、東松島の定林寺、気仙沼の浄念寺や八幡神社などは避難所として開放され、創価学会や立正佼成会も教団施設に被災者を受け入れた。

 仏教宗派の浄土真宗、浄土宗、曹洞宗、天台宗、真言宗などは、それぞれが災害対策本部を設置し、避難所となった寺院を中心に、支援物資の配布や炊き出し、ボランティアの派遣などを行った。日本基督教団傘下の教会、神社本庁傘下の神社も同じである。

 天理教、真如苑なども阪神・淡路大震災での経験を生かした被災地支援活動を展開した。個別に現地に入り「読経ボランティア」を行う僧侶も多かった。「葬式仏教」「カネ儲け宗教」などと揶揄もされるが、未曽有の災害に直面したとき、人々を救済すべく立ち上がったことは忘れてはならない。

プロとして「早く火葬したい」気持ちは痛いほどわかった

 しかし、葬儀業者や宗教者が一丸となってなお、犠牲者は増え続ける。加えて、繰り返される仮埋葬と掘り起こしで現地は混乱の一途を辿り、支援要請は東京に及んだ。

 宮城県警本部から火葬場運営会社「東京博善」の四ツ木斎場(葛飾区)にSOSの電話が入ったのは、3月21日の深夜だった。対応に当たった元常務の川田明が言う。

「電話を受けたのは、夜勤に入っていた宿直担当者でした。翌日報告を受けて、私が県警に連絡したんです。すると『遺体がたくさんあるが、現地の火葬場はひどい損傷を受けている。そちらで火葬できるか』ということでした。なかには『検死して遺族と連絡を取ろうにも身元不明で連絡が取れない遺体』もあるという。

 火葬炉に余力があったので、火葬すること自体に問題はなかったが『搬送はどうするのか』と聞くと、『生存者の捜索などで車両も燃料もままならない。遺体をこちらに引き取りにきてもらえないか』という要請でした」

 交通網が至るところで遮断され、燃料供給もままならない地に遺体を引き取りに行くというのだから難題である。金銭的・物理的な負担も決して少なくない。ただ、プロとして「傷んだ遺体を早く火葬にしたい」という要請が現地から来ることは予想できた。また、大惨事を目にして「何かやらねば」という思いもあった。

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