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【骨になるまで・日本の火葬秘史】東日本大震災の犠牲者を送った「弔い人」の記録

NEWSポストセブン / 2024年7月7日 16時15分

 冒頭の掘り起こしの作業は、仙台市の葬儀会社「清月記」の社員が、石巻市の仮埋葬地で体験したひとこまだ。2011年4月15日、「石巻市で仮埋葬されたご遺体を仙台まで搬送して安置して欲しい」という依頼を受けた清月記は、事業開発部長の西村恒吉ら3人の社員を派遣した。

 土中から吊り出された棺はすでに潰れ、納体袋には大量の血液と脂があふれて猛烈な臭気が漂い、遺族には手出しできない状態だった。清月記への依頼は搬送だけだったが、遺体を扱うプロとして、口や鼻から流れる血液や体液を拭い、綿花などを詰める処置を施し、可能な限り清める処置をして、新たな棺に納めたという。

 作業を手伝った叔父が、亡き姪にかけ続けたのが「いま、出してやっからな」という言葉だった。

 清月記が仮埋葬した遺体の数は276体。土に埋めて弔った後、今度は仮埋葬した遺体を掘り起こして火葬する業務委託も受けた。

 作業は5月7日から8月17日までの約3か月間に及び、葬った遺体の累計遺体数は672体となった。清月記の社員たちは春から初夏を経て真夏に至るまで、防護服で汗みずくになりながら苛酷な作業を続けた。

 部長の西村は日々の活動の「業務日報」のなかで、「『いま、出してやっからな』という言葉に込められた気持ちに励まされながら掘り起こし、改葬の日々を過ごした」と記している。

犠牲になった娘と「出会い直し」させる

 津波や火事、土砂崩れなどあらゆる二次被害を生んだ東日本大震災において、仮埋葬されることなく火葬で弔うことが叶ったとしても、激しく損傷している遺体は少なくなかった。

 火葬前にきれいな姿で送り出したい……遺体確認した娘を母親に会わせる前に、復元して出会い直してもらいたい……。

 そんな要望に応えることができるのは復元納棺師だけだった。岩手県北上市で納棺事業会社「桜」を経営する笹原留似子は、震災発生以降、約300体の遺体復元に携わった。

 3月21日、被害が大きかった陸前高田市を訪れた笹原は、津波で亡くなった少女の遺体に向き合っていた。

 毛と毛の間に砂がこびりつき、貝の破片や藻が絡みつく黒髪を何度も洗ってきれいにし、陥没して変色した眼球を元の状態に戻し、マッサージを繰り返して頬を柔らかくしたうえで、口内リンパマッサージで口を自然に閉じさせる。ファンデーションやつけまつげなどを復元専用の使用法で1か所ずつ丁寧に施すと、眠っているかのような「元の少女」となった。

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