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【逆説の日本史】「虫けら同然の野蛮人」と義兄弟になった清朝皇族・粛親王善耆

NEWSポストセブン / 2024年7月31日 17時15分

 外蒙古モンゴル人は農業にくらべて生産性の低い遊牧に最後までこだわり、中国やソビエトの弾圧を乗り切って民族の伝統を守り切った稀有な存在である。これにくらべて、同じ遊牧民族であった満洲族は完全に中国の伝統に染まり切って農耕民になってしまった。先祖はヌルハチであり姓も無かったが、子孫は愛新覚羅という姓を名乗るようになった。

 姓は一文字が基本(李、陳、楊など)で、二文字(諸葛、司馬など)もあるが中国できわめて珍しい四文字の姓を名乗ったのは「漢民族とは違うぞ!」というこだわりが感じられるが、遊牧は完全にやめてしまい定住するようになった。ただ、その本拠地を地名では無く、川島芳子の経歴に「満洲ジョウ(かねへんに襄)白旗」とあるように「旗」とした。

 では、「旗」とはなにか? そもそも遊牧民とはなぜ「遊」牧と言うのかと言えば、「遊星(惑星)」あるいは野球の遊撃手(ショートストップ)のように、塁(ベース、本拠地)を持たずに移動するからである。

 なぜ移動するのかと言えば、昔はトラックも鉄道も無く、生活のすべてを支える羊の群れのエサ(野草)を運んでくることはできない。これが可能ならば一か所に定住し牧場経営つまり牧畜をすることができるのだが、できない以上は羊がちょうど渡り鳥のようにエサである野草を求めて移動するにあたって人間のほうがついて行くしかない。すなわち定住はできず、遊牧民の本拠地は常に移動するテント村になる。

 農耕民である日本の武士なら、たとえば足利尊氏は「われは下野国足利庄の住人源尊氏なるぞ」と地名を名乗れるのだが、遊牧民にはそれが不可能である。ではなにをもってほかの部族との区別をつけるかと言えば、そのテント村の中央にある「ベースキャンプ」に掲げられている旗をもってする。満洲族は遊牧民の伝統を捨てて定住するようになっても、本籍にあたるものはずっと地名では無く旗だった。それが民族の伝統ということである。

 しかしながら、内蒙古モンゴル人(これも仮にそう呼んでおく)は満洲族ほどでは無いものの、農耕民に近い存在になってしまった。逆に言えば、だからこそ満洲族と共闘できるという考え方にもなる。

(第1426回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年8月9日号

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