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総裁選出馬の小泉進次郎氏、女性・女系天皇議論を巡る因縁 父・純一郎氏は皇室制度改革に着手しながら決着はつけられなかった

NEWSポストセブン / 2024年9月6日 11時15分

 有識者会議の設置から最終報告書の取りまとめまで約1年というスムーズな進行の背景には、純一郎氏と、当時、皇太子ご一家だった天皇ご一家、とりわけ雅子さまとの奇縁ともいえるつながりがあったとされる。

 純一郎氏は1972年に初当選するまで福田赳夫氏の秘書官を務めていた。1976年、その福田氏の内閣で首相秘書官に就任し、日中平和友好条約の作成に参加したのが雅子さまの父・小和田恆さんである。2人は、当時から親しくコミュニケーションが取れる間柄にあったとされる。

「純一郎氏と恆さんの仲は長く、1993年に雅子さまが皇室に入られるずいぶん前からの関係で、数十年来の友人と聞いています。小泉家と小和田家の行きつけのスキー場が同じだったのは有名な話で、旅行の日程が重なった際、スキー場のロッカーで、純一郎氏が雅子さまに“スキーはやるの?”と声をかけたこともあるそうです。もちろん、在任期間中も、純一郎氏は恆さんとたびたび面会していました」(前出・政治ジャーナリスト)

 偶然にも2001年の愛子さまの誕生時、時の総理は純一郎氏だった。純一郎氏は「命名の儀」の後に行われた祝宴に参加し、当時皇太子だった陛下と乾杯をしている。

「皇室典範では、女性皇族は結婚を機に皇室を離れることが定められています。純一郎氏が行おうとしていたのは、そのルールを変更し、『愛子天皇』実現を念頭に置いたものでした。愛子さまの人生のみならず皇室全体の歴史にかかわる重要な議論ですから、陛下と雅子さまのご理解はもちろん、当時の天皇皇后である上皇ご夫妻の了承も得ていたと考えるのが自然です」(前出・宮内庁関係者)

 2006年1月、純一郎氏は皇室典範改正案を通常国会で成立させたいという意向を表明し、将来的な愛子天皇の実現がいよいよ現実味を帯びてきたかのように見受けられた。しかしその翌月、紀子さまの悠仁さまご懐妊が明らかになったことで改正案は白紙となった。

「男子である悠仁さまがお生まれになったことで“次の天皇”に関する問題は、当面なくなりました。しかし、安定的な皇位継承のためには女性・女系天皇を認めるべきだということ、また、愛子さまの存在がある以上、その判断をできるだけ早期に行うべきだということを、先陣を切って皇室制度改革に向けて動いていた純一郎氏は痛感していたはずです。

 議論の停滞を悔やむ純一郎氏の姿を、進次郎氏は後継者として、誰よりも近くで見ていたのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

悠仁さまも世論に悩まれて

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