【逆説の日本史】多くの歴史書に書かれていない張作霖とバボージャブの「因縁」
NEWSポストセブン / 2024年9月11日 16時15分
関ヶ原の戦いに喩えれば、合戦が始まる前に敵の大将徳川家康を殺してしまえばいいという考え方と同じだが、三村グループはその目的で張作霖に爆弾テロを仕掛けたのである。まずは同志の一人がイスラムの過激派テロのように爆弾を体に巻き付け馬車に体当たりしたが、二台の馬車のうち体当たりしたほうには張は乗っていなかった。そこで三村自身が爆弾を投げつけたが狙いが外れ、これが三村自身の命を奪った。張はじつに好運だった。
張作霖の好運は、バボージャブの不運でもある。それでもバボージャブは進軍し、張作霖軍を撃破して拠点を確保したうえで奉天まであと一歩の距離に迫った。戦はやってみなければわからないし、野戦と違って攻城戦では張作霖軍もむざむざやられはしなかったかもしれない。しかし、仮に張作霖が勝ったとしてもその勢力は相当に消耗するはずで、バボージャブにとっても日本にとっても邪魔な張作霖を排除する絶好のチャンスであった。それに、当初の約束では関東軍も部隊を派遣しバボージャブを支援することになっていた。
ところが、なんと関東軍からバボージャブに「待った」がかかった。張作霖軍とは戦わず内モンゴルに引き揚げるように、という勧告があったのだ。なぜそんなことになったのか? これこそバボージャブにとって最大の不運と言うべきかもしれないが、その年の六月に袁世凱が病死したことで、日本政府の方針が一八〇度転換したのだ。
選択肢としては、このままバボージャブ軍を全面的に支援し奉天を制圧しモンゴル独立の機運を高めるという道もあったはずだが、大隈内閣が選んだのは、袁世凱のあとに政権を引き継いだ黎元洪とさまざまな懸案を解決していくという、まったく逆の道であった。黎元洪は、袁世凱の死後すぐに中華民国大総統になった。この時点で袁世凱はすでに皇帝制を廃していたので、中華帝国は民国(共和国)に戻っていたのだ。
バボージャブ軍がいかに精強とは言え、総数三千である。それにくらべれば、まさに「腐っても鯛」と言えば言い過ぎかもしれないが、大隈内閣の気分はそんなところであっただろう。黎元洪は漢民族の中華民国の代表なのである。
ここで黎元洪(1864~1928)の経歴に簡単に触れておくと、もともと清国海軍の軍人で日清戦争では黄海海戦に参加したこともある。その後に革命派に転じ.その功績で孫文が中華民国臨時大総統に推戴されたときはその下で副総統を務め、大総統が袁世凱になった後も引き続き副総統を務めた。こう言えばおわかりのように、ナンバー2に徹し自分の主義主張を面に出さないタイプだった。袁世凱の帝政復活にも異を唱えずナンバー2の座にとどまっていたため、袁の病死で政権が転がり込んできた。大隈内閣は「ストロングマン」袁世凱より扱いやすいと見たのだろう。
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