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川本三郎氏、幻の掌編集についてインタビュー「バブルの頃から現在に至るまで、東京と波長がどんどん合わなくなってきた」

NEWSポストセブン / 2024年10月27日 7時15分

 ピン留めされているのは、たとえば昭和30年代の、少年時代に見た風景である。友だちの名前や身体に残る傷など、子どもの日の記憶は知らず知らず戦争と繋がっているのが印象に残る。

「赤ん坊だったので戦争そのものの記憶はもちろんないですけど、戦争という言葉にリアリティを感じる、最後の世代なんじゃないかと思います。私の10代は、戦争が終わり、焼跡闇市の混乱も収まって、ようやく木漏れ日がさしてきたような時代でした。

『東京ベルエポック』って私は呼んでるんですけど(笑い)、1980年代の下町を歩いていると、自分の子どもの頃の町の様子がまだ残ってたんですね。個人商店が健在で、横丁や路地があって、原っぱや銭湯が残っていて。懐かしさを感じながら歩いていました」

我々の世代までは、ものすごい体験をしている

 東京・杉並で生まれ育った川本さんが、本の中では、ひたすら東へ、水のあるほうへと向かっている。

「西東京で育っていますから、川のある風景をまったく知らなかったんです。それが荷風の影響で下町を歩くようになって、川沿いを歩くのはいいなと思うようになりました。

 東京の東に行くと隅田川があって、江戸川があり、中川があり、荒川があるでしょう。ほかにも、ちっちゃな掘割がいろいろあって、水のある風景になんだかすごく惹かれるようになっていったんですね」

 少年時代の友だちとの会話や街角でふと目にした風景を読み、記憶の確かさに驚嘆させられる。

「もちろんフィクションの部分もありますけどね。今の若い人たちは子ども時代と今とがほとんど地続きだと思うんです。そんなに変化がないでしょう? 我々の世代までは、戦争というものすごい体験をしているので、そのぶん記憶が鮮明になるんじゃないかという気がします」

 ひとつの記憶が呼び水となって、別の記憶に繋がっていく。川本さんの父は昭和20年に亡くなっているが、亡くなった父の不在が、「夜のショウウィンドウ」や「浜辺のパラソル」といった文章で、懐かしい母の姿とともに描かれているのも胸に残る。

「母は40歳ぐらいで未亡人になって、5人の子どもを抱えて、よく生き延びたと思います。私には父の記憶がまったくないんです。父親がいないのが当たり前だと思って育ってきて、いまだにイメージがつかめないんですけど、この本の文章を書いていたとき自分が死んだ父親の年を超えていることに気が付いたんです。

 そのときからものすごく父親を意識するようになりました。あくまで幻でしかないので、母親とのセットでしか書けないんですけど」

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