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【逆説の日本史】米騒動は「天皇制支配に対する労働者・農民の反抗」にあらず

NEWSポストセブン / 2025年1月30日 16時15分

 あくまで客観的事実を述べれば、あのとき日本は敗戦直前まで天皇の名の下に多くの日本人を戦場に送って戦死させ、国民には「米騒動」どころでは無い厳しい耐乏生活を強いてきた。だが、八月十五日に昭和天皇がポツダム宣言受諾をラジオ放送したあと、多くの国民は皇居前広場に馳せ参じ「戦いに勝てず申し訳ありませんでした」と土下座したではないか。

 一方、この際武力で天皇家を滅ぼそう、などという動きはまったく無かった。左翼学者は、日本人がそのときに皇居前広場でしたことを「日本の後進性の象徴」つまり「恥」と見るのだろうが、「恥」であれ「誇り」であれ客観的事実だけ言えば「国民は惨憺たる敗戦においても天皇を支持していた」のであり、そうした事実から目を背け「自分の好み」を優先するようでは歴史学者とは言えない。

「シベリア出兵に対する無言の批判」というのもそうだ。これまで述べてきたように、シベリア出兵とは日本国民にとって「バイカル博士の夢」を叶える絶好のチャンスだったから、そのことで米価が急騰し生活が苦しくなったことには不満を覚えても、出兵自体にはむしろ大賛成であったのだ。

 ここでは「無言の批判」という言葉に注目願いたい。なぜ「無言」なのか。それは、米騒動のスローガンで「シベリア出兵反対」が叫ばれた事実は無い、ということだ。もしそうなら、たとえば「〇月〇日の抗議集会でそれを明記したビラが配られた」などといった具体的事実があれば、当然それが提示されただろう。つまり「無言」というのは、じつはこの項目の執筆者である松尾尊ヨシ[※ヨシの時は公に儿]京都大学名誉教授の「思い込み」であり、そうあって欲しかったという「願望」なのである。

 実際はまったく違って、昭和二十年以前の日本人は日本共産党員など少数の例外を除き、「戦争反対」など夢にも思っていなかった。なぜなら、大日本帝国において「十万の英霊と二十億の国帑」を費やして獲得した利権は、「彼らの死を無駄にしないために」どんな手段を使っても守らなければいけないからだ。

 たとえば、現在四十歳以上の日本人ならわかるだろう、二十年くらい前を思い出して欲しい。いまはあたり前のように語られる「憲法改正」という言葉を使うと、「改正では無い。改悪だ」「そんなことを考える奴は右翼(=悪人)だ」などと、さんざん罵倒された。しかし、これも客観的事実だけを考えるならば、日本の周辺には侵略を当然とする国家が複数存在する。

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