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宝塚歌劇第一回公演の“予想外すぎる場所”「脱衣所を改造して…」と甲子園球場秘話「そんなにぎょうさんの人が来るんかいな」《阪急VS.阪神》

NEWSポストセブン / 2025年2月11日 11時5分

 戦前の甲子園球場は、野球専用グラウンドではなく、あくまでも“大運動場”だった。

 行われたのは野球だけではなかった。ラグビーやサッカーはもちろんのこと、北陸から貨車10台で雪を運び込んで「全日本選抜スキー・ジャンプ甲子園大会」を行ったり、グラウンドに戦車を並べて「戦車大展覧会」を開いたり、巨大なステージを設けて「野外歌舞伎」を催したりと、関西有数のエンターテインメント施設だった。

 甲子園球場から南へ1キロほど行くと浜甲子園と呼ばれる海浜が広がっている。戦前は大阪や神戸から大勢の人が訪れ、海水浴や潮干狩りでにぎわった。

 甲子園球場を核に一帯をレジャーエリアにしようと考えた阪神は1929(昭和4)年、浜甲子園に「甲子園娯楽場」をオープンさせた。3年後には「浜甲子園阪神パーク」と名を改め、一気に拡充していった。

 阪神パークでは飛行塔や子ども汽車といった遊戯施設のほか、クジラやペンギンを見ることができる国内最大級の阪神水族館、動物園、プラネタリウムなどを設けた。

 一帯には南甲子園運動場やプールなどのスポーツ施設が次々とつくられた。宝塚が家族連れで楽しむレジャーエリアとしたら、甲子園は若者が友達と連れ立って楽しむレジャースポットになっていった。

(第2回に続く)

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