「開成」「灘」が名門校になった理由
プレジデントオンライン / 2015年3月25日 8時15分
■戦前の中学受験はもっと熾烈だった
日本で中学受験熱が高まったのがいつくらいかわかるだろうか。「1970年代から」と答えられる人は事情通だ。1967年東京都が都立校入試に「学校群制度」を導入し、志望校を選択できなくしたため、都立校回避の動きが生まれ、多くの優秀な生徒が私立中高一貫校へと流れた。しかし、日本で中学受験熱が高まったのはそれが初めてではない。戦前の中学受験はもっと熾烈だった。
中学が義務教育になったのは戦後のこと。戦前には、中学に行くためには中学受験をしなければならなかった。ただし戦前の中学は現在の中学とはだいぶ違う。それがいわゆる5年制旧制中学である。12歳からの5年間。今の中高一貫校とほぼ重なる。現在の高校のようなものはなかった。当時の旧制高校はむしろ大学に近い存在で、現実的には「大学予科」つまり現在の大学の教養学部に当たる教育を行っていた。旧制高校に入れれば、原則無試験で大学に入学できた。
つまり戦前にはすでに、現在の中学受験に相当する旧制中学受験があり、現在の大学受験に相当する旧制高校受験があった。現在の高校受験に相当するものはなかった。実はこれが世界標準である。日本の高校受験のようなものは先進国の教育制度においてはほとんどない。もともと初等教育(小学校)と高等教育(大学以上)の間の中等教育は、それはそれでひとくくりにされるのが一般的だ。
ちなみに、中学受験があまりに熾烈だったため、中学受験ノイローゼのような小学生が増えたことがたびたびあった。そのため文部省(当時)は、1927年と1939年にそれぞれ、中学入試における学科試験禁止の通達を出している。代わりに小学校からの報告書、人物考査、身体検査によって選抜を行うよう指示した。現在議論されている大学入試改革の方向性とそっくりである。
しかしいずれも大混乱を招いただけで、数年のうちにペーパーテストが復活した。改革は、なぜうまくいかなかったのか。そのことについては、拙著『名門校とは何か?』をご参照いただきたい。
■新駅「西日暮里」開設で躍進した開成
中等教育とは、第二次性徴期に当たる多感な時期に対応する教育。その後の人格形成に大きな影響を与える。旧制中学にはそのノウハウがあった。それをそのまま継承したのが、戦前から旧制中学として存在し、戦後は「中高一貫校」と呼ばれるようになった学校である。
「中高一貫校」というと、中学と高校を無理矢理接続した学校のように聞こえるが、実は、もともと1つだった中等教育のための旧制中学を真ん中で分断してしまったものが、現在の中学と高校なのだ。つまり「中高一貫校」と言うより「中高分離校」と呼ぶ方が、経緯的には正しい。
開成や灘がその代表格。
開成は、1871年、江戸幕府の洋式兵学の技術官僚として活躍した佐野鼎(かなえ)によって作られた。開校当時は「共立学校」という校名だった。初代校長は後の総理大臣・高橋是清。高橋は「東京大学予備門への入学を目指す生徒に、東京大学予備門の教員を招聘して教授する」という新聞広告を出している。要するに、東大教養学部の先生を連れてきて教えさせるという半ば反則に近いことを堂々と行い、多数の東大合格者を出したのだ。これに集まったのが『坂の上の雲』の秋山真之であり正岡子規だった。
しかし高橋が学校を去ると経営は悪化。一時は公立校になった。このとき「府立共立学校」ではつじつまがあわないということで「府立開成学校」になった。その後体制を立て直し、再び私立に戻り、現在に至る。
1960年代までは東大合格者ランキングトップ10に入るかは入らないかの位置にいたが、1970年代に躍進した。内部的な学校改革の要因もあるが、1969年の千代田線開通にあわせて、学校の目の前に新駅「西日暮里」ができたことが大きい。それまでは日暮里駅もしくは田端駅から歩かなければならなかったが、期せずして駅前の好立地を得たことで、通学可能圏が格段に広がったのだ。そこに、都立高校による学校群制度導入が重なったことも好運だった。
1982年に東大合格者数首位に立ってからは現在まで一度もその地位を他校に譲っていない。
■戦後の学制改革の混乱で躍進した灘
灘の創立は1927年。大正時代に教育熱が高まる中、灘の酒蔵が出資してできた。建学者は嘉納治五郎。柔道の講道館を開いた、近代柔道の祖である。
進学校として有名になったのは戦後のこと。実は、戦後の学制改革の混乱に乗じて躍進した経緯がある。
戦後、6・3・3制の導入により、私立の旧制中学は中学と高校に分けられ「中高一貫校」と呼ばれるようになった。一方公立の旧制中学の多くは新制高校に改組した。
もともと12歳から17歳の生徒が在籍した旧制中学が、15歳から18歳の生徒を抱える新制高校に改組したため、下2学年分の生徒は居場所を失う。そこで、多くの新制高校では臨時の救済処置として期間限定の附属中学を設立し、彼らが新制高校に入学するまでの時間稼ぎをした。しかし同時に、学区制が敷かれたため、遠方から通う生徒は、せっかく受験して合格した公立進学校を追い出され、地元に新しくできた中学に編入されてしまうことがあった。
そこで灘は、神戸一中をはじめとする県下の公立進学校の生徒たちを無試験で迎え入れるという施策に打って出る。このことによって、学制改革の煽りを食った優秀な生徒たちをごっそり集めることに成功した。まさに彼らが華々しい大学進学実績を残し、灘は県下のトップ校の地位に躍り出たのだ。
そしてついに1968年、日比谷高校を初めて東大合格者数首位から引きずり落とす。
開成や灘をはじめとする私立中高一貫校には、いまだに旧制中学の薫りが残っている。それが学校文化であり、学校の底力となっている。時間をかけて醸成された底力に、躍進につながる外的要因がタイミングよく重なると、開成や灘のように、大躍進が起こる。こうやって伝統校は、名実ともに名門校となっていくのである。
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教育ジャーナリスト
麻布高校卒業、東京外国語大学中退、上智大学卒業。リクルートから独立後、数々の教育誌の企画・監修に携わる。中高の教員免許、小学校での教員経 験、心理カウンセラーの資格もある。著書は『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』『男子校という選択』『女子校という選択』『進学塾という選択』など多数。
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(教育ジャーナリスト おおた としまさ)
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