麻薬と売春の街を“再生”した住民の10年

プレジデントオンライン / 2019年1月13日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/voyata)

神奈川県横浜市中区の「黄金町」というエリアは、麻薬や売春がはびこり、かつて“暗黒街”と呼ばれていた。だが2002年から住民たちが行政を巻き込んでまちの再生を目指し、現在では「アートのまち」となった。不動産市場に詳しい中川寛子氏は「住民たちは月1回の防犯パトロールを10年近く続けている。その粘り強さには頭が下がる」という――。

※本稿は、中川寛子『東京格差 浮かぶ街・沈む街』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

■「新規事業に失敗する会社」と「活性化できないまち」の共通点

まちの活性化はあちこちで試みられているが、いろいろ観察していると、住民の中から主体的に動きが起きるまちと全く何も起きないまちがある。ビジネスにおける新規事業とまちの活性化に共通点はないだろうか。

モノを選ぶ際の選択肢の多様化、社会や暮らしの変化、人口減少によって多くの分野で既存の市場は縮小しており、どこの会社も何か、新しい事業を起こしたいと考えるようになっている。衰退するまちの背景にもいくつか同じ要素があると考えると、新規事業を渇望しながら失敗する会社の条件は、活性化できないまちと重なるのではないかという推論である。

多数の企業の新規事業にアドバイザーとして携わり、『はじめての社内起業』(U‐CAN)『新規事業ワークブック』(総合法令出版)の著書がある石川明氏によると、日本の企業は40年以上、新しいモノを生むことに注力してこなかったという。最近の20年ほどは効率よくモノを作ることを追求してきたし、その前の20年ほどは多くのものを安く作ることがテーマだった。そのためには合議制や緻密なリスク分析、データ収集などが役に立つが、新しいものを生み出そうとすると、それが障壁になりやすいのだという。

■大きな自治体ほど“立ち上がる人”が現れにくい

「歴史、規模のある、ちゃんとした会社ほど新しいものを生み出しにくいのは過去に成功してきたやり方を変えきれないためでしょう。イノベーティブな商品、サービスは個人の思いや志から生まれるもので、会議やリスク分析からは生まれません。最初のアイディア時点ではとんがった面白いものだったとしても、多くの人達の同意を得ようと考え始めると、だんだんに角が取れて、最終的にはどこかで見たような無難な二番煎じ、三番煎じに落ち着いてしまいがち」

「また、ある程度以上の大きな会社ではある事業を最初から最後まで一人が担当するやり方がとりにくい。発案者が短期で異動、新しい事業を育てきれないことが少なからずあります」(石川氏)

歴史、規模のある、ちゃんとした会社を自治体に置き換えたらどうだろう。大きな自治体ほど、寄らば大樹の陰と安心してしまい、自分の問題として立ち上がる人がいないのではなかろうか。

■「世代交代」に成功した熱海

逆にこのところ、変化していると感じるまちはコンパクトな場所であることが多い。たとえば、東京からは離れるが、静岡県熱海市は2000年以降の衰退した温泉街の代表としての相次ぐ報道、老舗温泉旅館の廃業などへの危機感から2006年の市長選で改革を掲げる市長を選び、観光協会その他の地域の団体の若返りを図るなどして変化をしてきた。近年、まちの将来を担う人達の高齢化が進み、その世代交代が必要とは言われるが、実現できているまちは少ない。財政再建も同様である。しかし、熱海市はそれらをやり抜き、2011年からは来街者が増え、賑わいを見せるようになってきている。

その熱海市は人口3万7000人(2017年10月時点。以下同)ほどの小さな市である。日本で最大の人口を抱える横浜市の373万人強に比べると100分の1のサイズであり、しかも人口は2000年の4万4000人弱からずっと減り続けてきている。規模から考えると人口減少は大都市に比べよりリアルに感じられる事実であり、危機である。だからこそ、なんとかしなければという思いが働き、それぞれが自分にできることをと立ち上がったのではないかと思うのだ。

■麻薬、売春が跋扈していた黄金町

神奈川県横浜市中区にある黄金町もこの10年ほどで大きく変化したまちだ。元々は住宅と商店が入り混じるごく普通のまちだった黄金町(実際には黄金町、初音町、日ノ出町という3つのまちにまたがるエリア)が麻薬、売春が跋扈する、普通の人には近づきにくいまちに変わったのは戦後。

まちの評判を大きく毀損したのは1963年に封切られ、大ヒットした黒澤明監督の映画『天国と地獄』だ。このまちが麻薬を使った殺人事件の舞台として描かれたのである。実際にはセット内で撮影されたにも関わらず、以降、黄金町には暗黒街という枕言葉が付いて回るようになった。麻薬に関してはその後、地域に横浜市麻薬更生相談室が設置されたり、地元での麻薬撲滅運動などにより昭和40年代には下火になってきたものの、続いて問題になってきたのは違法な売買春店の増加だ。

特に1995年の阪神・淡路大震災後にこの地を走る京浜急行が高架橋の耐震補強を行うため、高架下の小規模飲食店舗に立退きを求めたのが店舗急増のきっかけとなった。移転に伴い、100店ほどだった店舗数が250店にも増加、それまでなかった地域にまで広がるようになったのである。この時期には店で働く女性は外国人が増え、不法滞在、エイズなど他の問題も懸念された。以前にはあった営業時間などで地域に迷惑をかけないようにという暗黙のルールも徐々に破られ、環境の悪化に転居したいという人も続出した。

■「アートを通したまちづくり」を掲げた

こうした危機的な状況に地元の住民は2002年に風俗拡大防止委員会を結成。翌年には初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会となる。一般に町内会は商店街もそうだが、隣近所とはあまり連携したがらない。隣接する町内会、商店街ほど仲が悪いケースさえ見聞きするが、黄金町の場合、問題は単独のまちで処するにはことが大きすぎた。また、過去に麻薬の問題で連携したり、20年以上前から大岡川の桜まつりを一緒にやってきたことなどの経緯もあり、以降、3つのまちは一丸となって問題に取り組んできた。

中川寛子『東京格差 浮かぶ街・沈む街』(ちくま新書)

ちょうど、横浜市が横浜開港150周年イベント「開国博Y150」を控えていた時期でもあり、住民同様、行政も危機感を抱いていたのだろう、それまで住民主体だったまちづくりに神奈川県警本部、伊勢佐木署が加わり、2004年12月には違法風俗店の一斉摘発が行われた。翌年からは24時間体制のパトロールも始まり、風俗店は激減。

同時に荒れたまちを再生するため、アートを通したまちづくりというコンセプトが掲げられた。最初のイベントは2008年に開かれた黄金町バザールである。これは高架下に新しく作られた黄金スタジオ、日ノ出スタジオと横浜市が借上げを進めている違法風俗店跡を主な会場としたアートイベントで、その後、毎年秋に開催され、2017年には10回目を迎えた。

年に一度の黄金町バザール以外にも様々なイベントが行われている。年4回不定期に高架下に作られたかいだん広場で行われる食とアートのイベント、「のきさきアートフェア」。同日にはかいだん広場に隣接する高架下スタジオSite‐D集会場で、地元三町の商店主が結集した初黄日商店会(はつこひしょうてんかい)がワンデイマルシェの「はつこひ市場」を開いている。

■10年近い努力の積み上げでイメージを回復

それ以外にも、この地に居住するアーティストが先生になっての「黄金町芸術学校」や同様に地元の人が先生になっての「まちゼミ」、各種展覧会やワークショップなども頻繁に開かれ、人の流れ、まちの雰囲気は明らかに変わってきた。最近ではアートのまちという言葉も聞かれるようになり、徐々にかつての暗黒街のイメージは薄れつつある。2018年には高架下に車輪のついたタイニーハウス(分かりやすく言えば小屋)を利用した宿泊施設も登場。若い人が集まるようになっている。

こうした外から見えるイベント以外に、まちでは地道な努力が積み上げられてきた。町内会、PTA、行政、京浜急行、警察そしてまちに関わるNPO関係者が毎月1回必ず定例会を開き、まちの問題を話し合っており、月に1回の防犯パトロールも欠かさないというのである。それを10年近く続けて、今があると思うと、その粘り強さに頭が下がると同時に毀損されたイメージの回復の難しさを実感する。

実際の黄金町では今も増え続ける空き家、残存する貧困ビジネス、アートのまちとしての評価の向上、これまで活動を支えてきた町内会メンバーの高齢化などまだまだ問題を抱えている。だが、それは今のところ、見えていないだけで他の多くのまちも抱えているはず。そこに立ち向かえるかどうか。一丸とならざるを得なかった小さなまちのほうが最終的に強いのかもしれないと思うが、どうだろうか。

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中川寛子(なかがわ・ひろこ)
住まいと街の解説者
1960年生まれ。オールアバウト「住みやすい街選び」ガイド。不動産一筋に30余年、買う、借りる、貸す、売る、投資するなど、それぞれの立場を踏まえた上での不動産市場の変化の解説で人気。著書に『解決! 空き家問題』(ちくま新書)、『住まいのプロが教える家を買いたい人の本』(翔泳社)、『「こんな家」に住んではいけない!』(マガジンハウス)など。

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(住まいと街の解説者 中川 寛子 写真=iStock.com)

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