虐待を止めなかった母親もDVの被害者だ
プレジデントオンライン / 2019年2月25日 9時15分
■逮捕された母親は「DV被害者」でもある
千葉県で痛ましい事件が起こった。父親が10歳の娘を虐待死させて逮捕、その母親も父親の暴行を黙認したか同調した疑いで逮捕された。報道によれば、母親は「仕方なかった」と供述しているという。
逮捕前、彼女は友人にLINEを送り「私が助けてあげられなかったから悪い」と語り、自ら虐待加害者であることを受け入れているようだった。だが、母親自身も父親(夫)から暴力を受けていた。私は長くDV被害者支援と研究をやって来た人間として、皆さんに問いたい。この一連の事件と顛末に、いったい何人の人が違和感をもってくれるのだろうか……。
DVと児童虐待は問題が異なる。両方とも家庭内で繰り返し起こるものだが、親や養育者が子どもに対してさまざまな暴力を振るうのが虐待で、夫婦を代表とする親密な関係の中で暴力が起こるのがDVである。
この事件では、1つの家庭内で父親が加害者となり、両方が起こっていた。実際に子どもが亡くなっているので、私たちはつい子どもの立場から虐待についてだけを語りがちだが、この事件にはもう一つ、DV被害者という母親の立場がある。以下では、支援者の視点から、DV被害者の心理とこの事件についての私なりの見解を3点に分けて述べる。
■DVと虐待は同時に起きることが多い
1つ目は、DV被害者はなぜ逃げないのかということだ。この事件で母親と子どもは、どちらも父親からの暴力に悩まされていた。これは支援現場ではよく見られることで、DVと虐待は加害者を同じくして同時に起こることが多い。このような場合、母親がそれらを理由に家から逃げ出すことを決意しさえすれば、子どもは母にくっついて家を出ることができる。
つまりDVを解決したら、結果的に虐待も解決されることになる。今回の事件でも、母親が自身のDV問題を解決しようとすれば、もしかすると子どもは死ななくて済んだかもしれないという側面がある。けれど彼女は最後まで、“逃げる”ことができなかった。それはなぜだろうか。
“逃げる”ことについて掘り下げる前に、人はどうやってDV被害者になってしまうのか、について説明をしたい。男であっても女であってもこの部分は変わらないので、あなたがもしそうだったら……と考えてみてほしい。
親密な関係性の人からはじめて暴力を振るわれたとしたら、被害を受けた人は、大きく分けて2種類の対応をするのではないだろうか。ある人は、『私がなぜこんなことをされなければならないのだ? 意味が分からない』とさっさと逃げ出すかもしれない。このような人は、確かに暴力を受けたが(繰り返し振るわれるという意味で)DV被害者にはならない。加害者と関係が切れてしまうからだ。
しかし同じような状況下で、ある人は『私の取った行動の何が相手の気に障ったのか?』と反省してしまうかもしれない。そしてもし思い当たる原因があったなら、『だからこんなひどいことになったのだ、今度から気を付けよう』と考えはしないだろうか。ここにDV被害にはまっていく落とし穴がある。
■親密な相手だからこそ逃げ出す判断ができなくなる
DV加害者といえども、四六時中暴力を振るう人はそういない。彼らが暴力を振るっていない時は、はた目にはそんな問題があると気が付かないほど、親密で幸せなコミュニケーションも成立している。そして暴力は、何かをきっかけにして、そのコミュニケーションの延長上に起こってくるのだ。
殴ったり蹴ったりひどいことを言ったりしてくる相手が、親密で特別な関係性の人物であるが故に、被害者は戸惑いつつもすぐに逃げ出す判断がつかない。「なぜこんなに怒っているのだ?」「自分の何がそうさせたのだ?」と考えて、その関係性やコミュニケーションにあえて踏みとどまってしまう。
このような思考が悪循環を起こすと、暴力を受けないように逃げ出そうとするのではなくて、暴力を受けないように自分なりの対処方法を考えることに必死になる。つまりDV被害者が逃げないのは、暴力を振るわれてもいいと思っている訳ではなく、また逃げるための能力を失っているのでもなくて、“逃げる”という選択肢が選べない方向に思考のベクトルが固まってしまっているからである。暴力を受けないようにしようとして、かえって暴力を受ける可能性のある状況から逃れられなくなってしまうのだ。
そうであるなら、DV被害者にそのことを説明し、自身の思考の偏りに気がついてもらいさえすれば、この問題は一気に解決しそうなものである。だが物事はそう単純ではない。次に説明する、暴力に起因するコミュニケーション上の被害にはまり身動きが取れない、という人もいるのだ。
■「私が悪い」とDV被害者が語る理由
事件に戻ろう。どう考えても一番悪いのは、DVと虐待を引き起こした父親である。母親は子どもをかばおうとして暴力を振るわれたこともあったようだから、「子どもを助けてあげたかったけど父親がどうにもならなくて助けられなかった」というような申し開きをする方が、実際に近くかつ自然であろう。にもかかわらず、彼女は「私が助けてあげられなかったから悪い」と自身に原因を帰属させ、まるで子どもが死んだ責任も自分にあるかのように語っている。それはなぜか。これが2つ目の論点である。
どんな感情に裏打ちされた行為であっても、行動の責任はそれを行った人に帰属する。これは極めてシンプルな一般常識である。いくら腹に据えかねることがあっても、相手に危害を加えたら、それは暴行や傷害という自分の罪になるはずだ。だが時として関係性が親密である時、その基本が揺らぐ。DV被害者の話を聞いていると、暴力を奇妙に正当化する加害者が非常に多いことに気付かされる。それは「私は暴力を振るいたくはないのだが、あなたが怒らせることばかりするから悪いのだ」という理屈である。
つまり加害行動の責任を、被害者側が取らされるのである。このような加害者の言い分に、被害者たちは納得している訳ではないが、反発すれば余計にひどく暴力を振るわれるリスクが高まる。もちろん暴力を振るわれることは、誰もが避けたいことだ。これ以上暴力を振るわれたくないと思えば思うほど、その恐怖と相まって、被害者の心情は何が正しくて何が間違っているのかわからなくなってくるという。
■暴力を受けないために「順応」「従属」する
そんな中で暴力を少しでも受けないようにしようと思うと、ともかく相手の言い分を我慢して受けとめたり、その場は相手に合わせるように順応したりするようになる。さらに恐怖が進むと、自ら生活スタイルを変えて、加害者が気に入るように従属する人も出てくる。私はこれを相手との相互作用の中で生じてくる心理的な被害として、「コミュニケーション被害」と名付けている。
実のところ被害者の多くは、加害者との間で、自身のコミュニケーションを変化させることによってDVをうまく回避できる経験もするが、回避しきれずに暴力を受けてしまう体験もしている。
結局のところ暴力は0にならないので、確実性のない回避方略であることは皆わかっている。ところが被害者の中には、それを自分の努力が足りなかった、相手の心の機微を受けとめ最悪の事態を避けるために何とかすることができなかった、と受け止める人がかなりの数いるのだ。
今回の事件の母親も、きっと、子どもや自分に向かう父親の暴力を最小限にするコミュニケーション上の努力をしていただろうと私は推測する。この文脈でなら、母親は子どもへの虐待を黙認し幇助していたのでなく、むしろ最悪の事態を避けるため、必死で加害者の動きを読もうとしていたことになる。けれど読み切れなくて、子どもが死んでしまうという結果になった。彼女の一連の言葉は、その意味での「私が悪い」ではなかったのだろうか。
■母親の「生存戦略」だったのではないか
最後に、私は、この母親が逮捕された時から、逮捕に踏み切った警察の判断も含めて、私たち(一般の人たち)が彼女にどのような感情を向けているのかがずっと気になっている。なぜ私たちは、「子どもを守れたはずなのに守れなかったのか、矛先が自分に向かわぬよう保身をしたのか」と、彼女を責めたくなる衝動に駆られるのだろうか。これが3つ目の論点だ。
報道によれば、千葉県警は、事件当時の母親は「暴力の支配下にはなかった」として、詳しい経緯を調べている。もし仮に、それが「その期間、母親は暴力を振るわれていなかった」という意味だとしたら、あまりにDV被害への理解がなさすぎると言わざるを得ない。
先に述べた通り、DV被害者は一度でも暴力を振るわれると、加害者との間のコミュニケーションを変化させ、再度暴力を受けることのないように努力しがちである。その努力が奏効して、たまたま暴力を振るわれなかったからといって、だからDVが解決していることにはならない。被害者が加害者の意向(暴行を黙認し幇助する)に沿っていたことは自発的な行動ではあるけれど、そんなことをせざるを得なかったのは、加害者との間に圧倒的な立場の差があったからだ。加害者と被害者は、その意味で対等な関係性ではなかった。
圧倒的な立場の差を感じる環境下で、いかに自分と子どものダメージを減らすかが最優先課題である時、時に自らが虐待加害者のように子どもに振る舞ってしまったとしても、それは力のない母親の生存戦略の一つではなかったか。
■「母親は子どもに自己犠牲的に振る舞うべき」という“期待”
そして私たちは、これがわかってもなお、まだ母親を責めたい気分を抱えてはいないだろうか。母親であれば命をとして子どもを守るものだろう、それを自分が助かるために見殺しにするなんて……と思うからだ。
私たちは、どこかで“母親”という存在は特別で子どもに自己犠牲的に振る舞うものだ、と勝手に期待してしまっている。ゆえに彼女の一連の行為は、私たちが共有する大切な“母親”イメージを崩すもののように映ってしまう。これは明らかに根深いジェンダーの問題だ。
親という立場は、性差で変わるものではないはずだ。なのに同じことをしても父親より母親の方がより強く批判される構造が、私たち社会の中にすでに存在している。
私は裁判所が、この母親の行動をどんな風に判断するのか、今後も注視していきたい。母親が子どもの虐待死にどの様に関わったのか、もしそれが、確かに今私が述べたような背景をもっていたのだとしたら、彼女は虐待加害者の前にDV被害者だったはずである。被害者のやむにやまれぬ行動が、過剰に重く判断されないことを願いたい。
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常磐大学人間科学部心理学科 准教授
1973年奈良県生まれ。専門はジェンダー心理学。臨床心理士。関西の公的DV被害者支援シェルターで心理担当職員として長く勤め、2015年、奈良女子大学で博士号を取得。テーマは「DV問題と向き合う被害女性の心理――彼女たちはなぜ暴力的環境に留まってしまうのか」。現在は、ジェンダーを軸に幅広く女性の問題に関するテーマを扱う。2018年4月より現職。
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(常磐大学人間科学部心理学科 准教授 宇治 和子 写真=時事通信フォト)
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