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安倍政権は33万人の透析患者を殺すのか

プレジデントオンライン / 2019年4月19日 9時15分

公立福生病院=東京都福生市(写真=時事通信フォト)

■患者の命を救うのが医師の使命のはずだ

腑に落ちないし、理解もできない。「公立福生病院」(東京都福生市)の透析中止の判断である。

女性患者は44歳と若く、透析治療を受けながら人生を楽しむことができた。患者の命を救うのが医師の使命である。それにもかかわらず、公立福生病院は人工透析を中止した。透析の中止は死につながる。医師の裁量で患者の命を奪っていいのか。

「透析を止めたい」という女性患者の訴えを受け止め、不安定になっている彼女の精神状態をなぜ癒やしてあげなかったのか。1回の人工透析には3~4時間かかり、これを週に3~4回行う。拘束時間が長く、生活や仕事に大きく響く。塩分を控えるなど食事の制限が厳しく、脳血管障害などの合併症も起きる。

それでも専門医のもとで適切な透析治療を続けることができれば、命を永らえることは可能だ。沙鴎一歩は人工透析で40年以上生きた患者をよく知っている。

■福生病院が取材に応じたのは、毎日のスクープから21日後

3月16日付のプレジデントオンラインでも「医師の判断で透析患者を殺していいのか」との見出しを掲げ、透析を中止した公立福生病院を厳しく追及した。

もともとこの問題は3月7日付の毎日新聞によって明らかにされたものだ。毎日新聞のスクープだった。ほかの新聞各紙も一斉に毎日新聞の特ダネ記事を追いかけ、その後も各メディアは続報や関連記事を伝えてきた。

公立福生病院は毎日新聞のスクープから21日目の3月28日になって初めて報道各社の取材に応じた。

ここでこの問題をおさらいしておこう。公立福生病院で昨年8月、腎臓病を患っていた44歳の女性患者の人工透析治療が中止され、一週間後に死亡した。東京都が医療法に基づいて立ち入り検査に乗り出し、日本透析医学会も調査に入った。

女性患者は末期の腎不全と診断されていた。夫や医師、看護師、ソーシャルワーカーが同席して「透析を止めると死に至る」と説明したが、女性の透析中止の意思は変わらなかった。最終的に透析治療を止めることを決め、女性は同意書に署名した。

透析を中止した女性は容体が悪化し、昨年8月14日に公立福生病院に入院。16日未明、看護師に「こんなに苦しいなら透析を再開したい。中止を撤回する」と話した。しかし、女性の容体が落ち着いたその日の昼ごろ、担当医が再開を望まない女性の意思を再確認したという。結局、女性は夕方に死亡した。

■ほかにも20人以上が人工透析中止で死亡していた

東京都は3月6日、公立福生病院に対して医療法に基づいた立ち入り検査を実施し、1カ月後の4月9日に「透析の再開についての説明が不十分だった」との改善指導を行った。

この東京都の検査によって44歳の女性患者のほかに20人以上の患者が人工透析を受けない選択をして全員が死亡していたことも明らかになった。

終末期における延命治療は難しい。公立福生病院の透析患者に対するインフォームド・コンセント(説明と同意)は、果たして十分だったのだろうか。透析中止の判断を下していた院長や担当医は、終末期医療の難しさをどこまで理解していたのだろうか。疑問は尽きない。

一方、日本透析医学会は公立福生病院に対する調査結果と見解をまだ公表していないが、同医学会によると、透析を中止できるのは基本的に回復の見込みのない終末期の患者が希望したときに限定され、しかもその患者の状態が極めて悪化した場合である。患者の意思を十分に確認することが必要で、同学会は、容体が改善したり、患者や家族が透析を望んだりしたときには再開するよう求めている。

■「サイコネフロロジー」を少しでも理解していたのか

透析治療は過酷である。3月16日付の記事にも書いたが、「透析を止めたい」「いや再開したい」と患者の判断が二転三転することはよくある。公立福生病院の44歳の女性患者も、精神的に不安定になっていた。医師は過酷な状態に置かれた透析患者の精神状態を十分に把握し、精神状態を和らげる治療を施す義務がある。

透析患者の話を聞きながらその精神状態をカバーするのが、「サイコネフロロジー(精神腎臓病学)」と呼ばれる医学・医療である。

透析治療が公的健康保険の対象となったのが1968年。その直後から透析治療は急速に普及し始めた。しかし、当時の透析装置(人工腎臓)は性能が悪く、透析膜が破れたり血液が漏れたりするなど透析中にアクシデントが相次いだ。事故は患者の生命の危険に直結する。病院の透析室に入っても、生きて出てこられるか分からないといわれ、多くの透析患者が透析治療のつらさと不安から疲弊していった。夜間、病院内で暴れ、自殺する患者も出た。

透析患者の精神的サポートをしようと、1970年代初めにスタートしたのが、このサイコネフロロジーだった。

公立福生病院がサイコネフロロジーを少しでも理解していたら、今回の問題は起きなかっただろう。

■透析患者を救うには、現時点では腎臓移植しかない

腎不全の透析患者が肉体的、精神的な苦痛から抜け出すには、腎臓移植しか道はない。

公立福生病院は家族などから腎臓を譲り受ける生体腎移植や、公益社団法人・日本移植ネットワークを通じた心停止下あるいは脳死下のドナー(臓器提供者)からの腎移植について十分に説明していたのだろうか。

透析患者は右肩上がりで増え続け、現在で33万人以上にも上る。多くの透析患者を救うためには、ドナーを増やすことが欠かせない。しかしドナーが圧倒的に少ない。政府が臓器移植という医療に力を入れ、国を挙げてドナーを増やしていかなければ、この問題は解決しない。

■延命治療を無意味なものとして中止する「ACP」

公立福生病院の透析中止の判断には「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」という概念が強く影響したはずである。ACPとは人生の最終段階、つまり終末期において患者が望む医療を進めるプロセスを指す。

2006年3月に富山県射水市の射水市民病院で発覚した、外科医が末期のがん患者ら7人の人工呼吸器を取り外して死亡させた事件をきっかけに厚生労働省が終末期医療の在り方を検討し、その過程でACPの概念が生まれた。

ACPは「体が死のうとしているのに生命維持装置を使って無理に引き留めている。死を望ましい形で迎えさせてあげたい」という考え方、つまり死が迫る終末期において延命治療を無意味なものとして中止し、人間としての尊厳を保ちながら自然な死を迎える「尊厳死」と同じ立場に立つ。

■透析中止は尊厳死やACPを都合よく判断した結果

延命治療とは薬物の投与、化学療法、輸血、輸液のほか、人工呼吸器の装着による人工呼吸や、おなかに穴を開けて栄養剤を胃に送る胃ろうなどが挙げられる。もちろん透析装置にかけて血液から老廃物を取り除く人工透析も延命治療のひとつだ。

尊厳死もACPも、患者本人の意思を重視している。厚労省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(昨年3月改定)には「患者本人の意思は変化し得るもので、本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である」と明記されている。

東京都の改善指導で「患者への説明が不十分だ」と指摘していたが、確かに公立福生病院は患者の意思の確認が十分でなかった。

沙鴎一歩には、公立福生病院が尊厳死やACPを自分勝手に都合よく判断していたように思えてならない。

■捜査のメスを入れて白黒をはっきりさせるべき

公立福生病院のような問題は、安楽死殺人につながる。行政や学会の検査や調査では頼りない。本来、警察や検察の捜査が入ってしかるべきなのだ。だが、公立福生病院の透析中止問題はまだ、刑事事件には発展していない。

先に触れた射水市民病院の事件では、書類送検された外科医ら2人の医師が不起訴となった。2004年に福島県で起きた福島大野病院事件では、産科医の無罪が確定している。

残念なことだが、医学・医療上の問題や事故は、刑事事件として立件しにくいとみなされ、警察や検察から敬遠されがちになっているところがある。それゆえ沙鴎一歩は「公立福生病院にはきちんと捜査のメスを入れて白黒をはっきりさせるべきだ」と主張したい。

延命治療を受けるべきか、それとも拒否すべきかという終末期医療の問題に対し、安倍政権は真剣に取り組もうとしない。公立福生病院の問題は終末期医療の在り方の問題である。安倍政権は透析患者33万人の命を奪う気なのか。

■「文書指導」で済む問題ではないはずだ

公立福生病院の透析中止問題をスクープした毎日新聞は4月17日付で社説を掲載している。3月9日付社説に続く2度目の社説である。

毎日社説(4月17日付)は「福生病院への東京都検査 『指導』で済む問題なのか」と見出しを掲げ、こう指摘する。

「公立福生病院(東京都福生市)で人工透析治療の中止で患者が死亡したことについて都が検査した。死亡した患者24人のうち21人は『意思確認書』がなかったという」
「都は患者の意思確認が不十分だったとして、医療法に基づき院長を文書で指導し、改善に向けた報告書の提出を求めた」
「しかし、『文書で指導』程度で済む問題なのだろうか」

同感だ。この問題は決して「文書指導」で済ませてはならない。司直の手が入って当然の問題である。

■患者の意思を本当に尊重していたのだろうか

「一般的に、終末期ではない患者の治療を中止して死亡すれば医師は罪に問われる恐れがある。日本透析医学会のガイドラインで治療中止を認めているのは『患者の全身状態が極めて不良』などの場合に限られる」
「昨年8月に亡くなった女性には中止の意思を撤回できる点を医師が説明していなかった。治療を希望して来院した別の患者には透析のつらさを強調し、翻意させたという」
「不安や苦痛で患者の心理は揺れ続けるものだ。知識が豊富な医師が、詳しくない患者に透析をしない選択肢へ誘導していると見られても仕方がないだろう」

公立福生病院は患者の意思を本当に尊重していたのだろうかと、やはり疑いたくなる。毎日社説はさらに主張する。

「都の検査は病院から提供されたカルテなど関係資料の分析にとどまる。患者の家族や医師以外の病院職員からの聞き取りなど、もっと踏み込んだ調査が必要だ。患者が『終末期』と言える状態だったかどうかも精査すべきではないか」

終末期か否かなど踏み込んだ調査を行うべきだが、24人もの患者が死亡していることを考えると、もはや行政指導ではなく、警察や検察の捜査の出番である。毎日社説は続ける。

「人工透析の費用は総額1.6兆円に上り、医療費抑制の課題とされることが多い。終末期になっても患者の意思を確かめずに透析を続ける医療機関が多いのも事実だ」

■高齢社会の日本で「終末期」の患者をどう扱うべきか

人工透析だけでなく、他の延命治療にかかる費用も含めて医療費をどう削減していくかは大きな課題である。高齢社会の日本において終末期の患者の治療をどう扱っていくべきなのか。それこそ政治の役目だ。安倍政権には真剣に検討を重ねてほしい。

最後に毎日社説はこう訴える。

「患者の尊厳を守ることを基本に、終末期医療のあり方を冷静に考えるべきだ。福生病院の治療中止はそうした議論に水を差すものである」

公立福生病院の問題をきっかけに真剣に終末期医療の在り方を考えるべきである。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)

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