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なぜ「実名報道」は、これほど批判を受けるのか

プレジデントオンライン / 2019年9月27日 11時15分

「京都アニメーション」第1スタジオ近くに設けられた献花台に手向けられた色紙=2019年8月17日、京都市伏見区 - 写真=時事通信フォト

■「そっとしておいてほしい」という遺族の気持ち

今年7月、京都アニメーション第1スタジオで起きた放火殺人事件では、被害者の氏名を報じた報道機関に対し、SNSなどで批判の声が相次いだ。

9月に高知市で開かれた「マスコミ倫理懇談会全国協議会」の第63回全国大会でも、このことが話題になった。マスコミ倫理懇には、全国の新聞、放送、通信、出版、広告代理店など211社・団体が参加しており、全国大会には約300人が集まった。

これまでの報道を総合すると、事件直後の7月22日、京アニが京都府警に対し、死亡した35人の実名公表について「控えてほしい」と要望した。その理由は、名前が出ることでプライバシーが侵害され、さらに被害を受ける可能性があるというものだった。

最愛の家族を亡くし、「そっとしておいてほしい」という遺族の気持ちは分かる。たしかにメディアスクラム(集団的過熱取材)による2次被害の恐れもあるだろう。

京アニの要望を受けて京都府警が遺族側に意向を確認すると、21遺族が公表を拒否した。承諾したのは14遺族だった。

京都府警は殺人事件における従来の実名公表の原則に則(のっと)って、8月2日の時点で葬儀が終わった10人の実名を公表。さらに全員の葬儀が終了した27日に残り25人の実名も発表した。事件発生から40日が経過していた。大きな事件で被害者の実名公表がここまで遅れたのは、過去にはない。異例のことだった。これが被害者35人全員の実名が公表されるまでの経緯である。

■「決して『35分の1』ではない」と訴えた遺族の思い

沙鴎一歩は「原則実名報道」には賛成の立場だ

報道機関は実名報道を原則にしている。沙鴎一歩も「原則実名報道」には賛成である。

ニュースは「いつ・だれが・どこで・なにを・なぜ・どのように」という5W1Hが基本だ。そのなかで一番の要は「だれが」である。それがA君、Bさん、C氏という匿名だとすれば、ニュースの信頼度は著しく損なわれる。

京アニ放火事件は死者35人という前代未聞の惨事だった。しかも事件現場は世界に知られるアニメ制作会社だ。国内外のファンからお悔やみの声が数多く届いた。著名なアニメーターも犠牲になった。

写真=時事通信フォト
記者会見する石田敦志さんの父・基志さん=2019年8月27日、京都市伏見区 - 写真=時事通信フォト

8月27日に京都府警伏見署で記者会見した遺族の石田基志さん(66)は、「決して『35分の1』ではない。ちゃんと名前があって毎日頑張っていた。石田敦志という31歳のアニメーターが確かにいたということを、どうか忘れないでください」と話した。その言葉が忘れられない。

■匿名のままでは周囲に事件を知らせることすら難しい

そのニュースの意味を伝えるには、どうしても名前を記す必要がある。A君、Bさん、C氏という匿名では、実在の人物だったというイメージが湧きづらい。ましてや事件の再発を防ぐには、社会全体で事件を共有する必要がある。匿名では事件を共有することが難しくなる。

遺族の意向は重要だ。だから遺族が実名公表を拒否した場合は、対応が難しい。事件の傷が癒えない段階で、遺族の気持ちを逆なでするような報道は慎むべきだろう。

一方で、どこまでが遺族なのかという問題は残る。たとえば離婚家庭の場合はどうするか。職場の同僚や長年の取引先、熱心なファン、学校の先輩や後輩……。匿名のままでは事件を知らせることすら難しい。

■メディアスクラムの根絶は、取材する側の義務

結局のところ、匿名では「本当は誰なのか」というのがわからなくなってしまう。仮に実名報道が否定され、匿名化が進むと、私たちの社会から信頼できる正確な情報が消えてしまう。その結果、困るのは私たち自身ではないか。個人の情報が守られる一方、誰も信じられないということになる。

実名報道への批判が集まったのは、メディアスクラムによる2次被害の問題が大きいはずだ。メディアスクラムをなくすことは、取材する側の義務だろう。

京アニ事件の報道では、京都府警記者クラブに所属する報道各社が、遺族の意向を尊重することや、代表取材として取材の機会を絞ることを事前に決めていた。この結果、2度目の実名発表(8月27日)後は代表取材となり、メディアスクラムを防ぐことができたようだ。

■「世界最悪の航空事故」では被害者の氏名をどう報じたか

実名報道の重要さは、その記録性や歴史的価値からも考えるべきだろう。

1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故では、報道各社が死者520人と奇跡的に助かった4人全員の氏名、年齢、顔写真、旅行の目的などを一覧表にまとめて報じた。

事故から34年がたったいまも、毎年8月12日が近づくと「空の安全」の誓いを新たにする記事や番組が組まれるている。世界最悪の航空事故という重大さもあるが、これが匿名のままであればその後の報道はどうだっただろうか。

たとえば、手元にある『日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時』(朝日新聞社会部編、朝日文庫、1990年8月20日発行)の「乗客名簿」(あいうえお順)の節には、事故の遺族で作る「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん(72)の次男、健ちゃんについてこう記されている。

「美谷島健(九つ)=小学3年生、東京都大田区南久が原。夏休みで大阪のおじさん宅へ遊びに行く途中」

美谷島さんは健ちゃんに甲子園大会を観戦させてあげようと、ジャンボ機に乗せた。テレビのドキュメンタリー番組では、美谷島さんが「なぜひとりで乗せてしまったのだろうか」と悔やみ、「羽田空港であのときつないだ健の手のぬくもりがいまもここにある」と答える様子がたびたび放送されている。

これが「Aさんの次男、Bちゃん」だったら、事故の悲劇を今日まで語り継ぐことができただろうか。

■「実名報道は必要」と強調するだけでは説得力がない

「京都府警が2日、亡くなった35人のうち、遺族側の了解が得られたとして、10人の身元を公表した」と書き出すのは、8月4日付の産経新聞の社説(主張)である。産経社説はこう主張する。

「突然の凄惨な事件である。遺族や関係者に実名の公表を躊躇する思いがあることは十分に理解できる。それでも、実名の公表、報道は必要であると考える」
「過去の事件、事故でも、産経新聞をはじめとする報道機関は、警察や自治体に被害者、被災者らの実名の公表を求めてきた。実名は真実を追究する取材の出発点であり、原点であるからだ」
「加えて可能な限り、実名による報道を心がけてきた。実名は記号や数字ではなく、一人一人の人間が生きてきた証しとしての重みを持つ。事件、事故の実相を伝えるために、実名による報道は不可欠である。匿名報道による感情の希薄化を恐れる意味もある」

産経の主張はいずれも正論だとは思う。だが、ここまで強く主張すると、むしろ読者の反発を招くのではないか。

主見出しにしても「被害者の実名『真実』の追究に不可欠だ」と強烈である。そこが産経社説らしさなのだが、裏を返せば「俺の言うことを聞け」という上から目線にもみえる。

■新聞にこそSNSで飛び交う批判に応えてほしい

読売新聞(8月18日付)の社説も、後半部分で「それでも、実名で報道することには大きな意義がある」と訴えている。続いてこう指摘する。

「被害者がどんな人生を歩み、どんな思いを断ち切られたのか。残された人がどれほどの悲しみと苦しみ、怒りを抱いているのか。実名だからこそ、事実の重みを伝え、社会で共有することができる」

この読売社説の主張も「実名だからこそ」という言い回しの強さに、反発を招く読者もいるだろう。メディアスクラムを起こしてきたことへの反省が読み取れない。読売社説はこうも指摘する。

「家族や知人の安否を気遣う人に正しい情報を伝えられる。匿名ではインターネット上の流言飛語の拡散に歯止めをかけられない」

SNSの書き込みは匿名が多い。匿名ゆえに根拠のない非難の言葉もある。その結果、流言飛語が拡散する。たしかにそうしたデマを食い止めるためには、報道機関の役割は大きい。だからこそSNSなどで飛び交う批判に応える形で、実名報道の意義を訴えてほしかった。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)

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