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「子を遺さずに死んでいく人生」は無意味なのか

プレジデントオンライン / 2020年1月15日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maki_shmaki

子供を持たない選択をする人が増えている。子供を持たないと、自分の生きた証しは次の世代へ遺らないのだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「そんなことはない。子供がいなくても、今を真剣に生きること自体が次代へのメッセージになる」という——。

■人生の折り返し地点であえて半生ではなく人生について語る

「人生について書いてほしい」と言われたとき、僕の胸に去来したのは、「お前はもうオワコンだから衰えて何もできなくなる前、今のうちに人生を総括して、少しでも後進の役に立つようなことをしなさい」と言われているのかな……という寂しい気持ちである。

45歳とはそういう斜陽でおセンチなお年頃なので、お取り扱いには気を付けてもらいたいものだ。それが書きもののオファーであっても、だ。秋の夕暮れに自分の落日する姿を重ねて、瞼(まぶた)を濡らしているくらいなのだからね。

実際問題、人生の折り返し地点をターンしたばかりの人生ペーペーなので、人生が何なのかまだ分かり切ってはいない。ただ、間違いようのないのは、誰の人生でも必ず終わるという事実。

だから人生や人生の意味について訊かれると、人は「人生が終わるときに悔いのないような生き方をする」という終わらせ方、「後の世の中に遺産(レガシー)を残したい」という遺産的なもの、そういう人生の終わりにフォーカスした内容を挙げてしまうのだ。

強力な権力者や、使い切れないほどの財を成した成功者に顕著な特徴は、レガシーを遺そうとすることだ。

美術館や図書館をつくったり、福祉施設に寄付をしたりして、玄関ホールに己を模した銅像が飾られるのだ。銅像になって嬉(うれ)しいとはおめでたいかぎりだと僕は思うのだけれど、実際そういうものである。

■子孫を残すことの意味について考えてみた

子孫を残すことは、間違いなく人生の意味であり、後世へのレガシーの一つといえるだろう。残念ながら(?)僕には子供がいない。

奥様に汚物扱いされて拒否られているという悲しい事情もあるが、年齢的にこれから子供を持つのは現実的ではない。子供が成人するまで面倒を見なければならないとすると、仮に「あなたの赤ちゃんです……認知して……」と会った記憶のない女性が隠し子を連れてあらわれるという望まぬカタチで、今、子供を授かったら、最低でも66歳まで働いて養わなければならなくなる。

はっきりいって、それは、キツすぎる。

だから現実的に考えて、子供はいらない。子供がいないからといって、人生の意味がなくなるわけではない。子供がいない人生を楽しめばいいだけのことだ。世の中には子供がいない夫婦も大勢いる。

■「遺す」ではなく「置いていく」という意識

「子供以外のレガシーを残せばいいじゃないか」というご意見もあるだろう。玄関ホールの銅像になった過去の偉人の皆様には申し訳ないが、子供以外のレガシーに意味はないと僕は考えている。レガシーとは先代の人間が遺したものであり、残酷な言いかたをするならば、老人のワガママのカケラである。

遺したものがレガシーになるか、負の遺産になるかは、遺して、先にこの世から去っていくサイドの人間にはわからない。

それはいささか無責任すぎやしないか。部活を引退していく先輩が「じゃあ後を頼むぜ」つってウゼー伝統を遺していくのと、とても良く似ている。

人生の意味とは、遺すものだけではなく、今を精いっぱい生きることに宿るものだと考えている。人生はいつ終わるかわからないからこそ、今を真剣に考え、愚直に生きる。

それが人生であり、人生と真剣に向き合うことに意味がある。

僕には子供がいない。不動産や財産を遺すつもりもない。美術館も遺さない(遺せない)。ネットに書いた文章や執筆した書籍のいくつかは遺していくことになるが、後進の人たちにはそれをレガシー扱いしてほしいとはまったく思わない。役に立ててくれればいいな、くらいの軽い気持ちしかない。遺すのではなく、置いていくだけのことなのだ。

■行動の遺伝子を未来につなぐという考え方

「随分と後世に無責任な生き方ではないか」という批判もあるかと思う。そう思われても仕方がない。実際、僕は自分より若い世代に干渉したくないのだから。前の世代に縛られずに、勝手自由に生きていただけたらいい。僕もそうやって生きているつもりだ。

フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)

今を真剣に生きること自体がレガシーになると僕は考えているのだ。

たとえば楽しく遊んでいる姿や、真面目に働いている姿、もしかしたら毎日規則正しく生活を送っていること。そういう姿を見た後々の世代が、「ああいうふうに生きたい」「あれは見習いたい」「ちょっとあの人のような人生は送りたくない」と思ったり、感じたりすれば、それは立派なレガシーといえるだろう。経験からこれだけは言える。

「真剣に生きていない人からは何かを感じることはない」

僕の父は若くして亡くなってしまったが、休日はカヌーに乗ったり、スキューバをやったり、どこまでも「楽しく」を真剣にやって生きていた。その姿は「人生を楽しもう」というメッセージになって僕へのレガシーになっている。

子供を通じて次代に遺伝子を遺すことはできる。今を真剣に生きていれば、行動の遺伝子を次代へつないでいける。子供がいなくても、それだけで十分に人生の意味になりうるのではないか。そう僕は思うのだ。

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フミコ フミオ ブロガー
1974年2月、神奈川県生まれ。神奈川の湘南爆走族エリアに生息する中間管理職。「はてなブログ」の前身である「はてなダイアリー」で2003年からブログを始め、今では月間100万PVを誇る会社員ブロガー。独特な文章でサラリーマンの気持ちを代弁。ツイッター:@Delete_All ブログ

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(ブロガー フミコ フミオ)

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