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19歳から日本で働くニコライ・バーグマンが大ブレイクするまで

プレジデントオンライン / 2020年1月31日 11時15分

2019NicolaI Bergmann for PRADA

フラワーアーティストとして世界中で活躍するニコライ・バーグマン氏は19歳で来日して以降、埼玉県の羽生市や川越市などでフラワーアレンジメントの技術を磨いた。デンマーク出身のバーグマン氏は、なぜ日本で働くことを選んだのか――。

※本稿は、ニコライ・バーグマン『いい我慢 日本で見つけた夢を叶える努力の言葉』(あさ出版)の一部を再編集したものです。

■24年前の卒業旅行で初めて日本を訪れた

私が最初に日本を訪れたのは24年前、1996年のこと。デンマークのビジネスカレッジでフラワーデザインとビジネスのライセンスを取得したお祝いの卒業旅行でした。

行き先に日本を選んだのは、「父の仕事関係の知り合いのデンマーク人がいる国なので、仕事を経験させてもらえるだろう」という考えがあっただけで、正直なところ日本も中国もタイも区別がつかないような感じでした。

滞在期間は3ヶ月の予定。もちろん観光もしましたが、その多くを知り合いのいる埼玉県羽生市でひたすら働くというのは、19歳の若者の卒業旅行としてなかなかめずらしい内容だったと思います。

そこでは鉢物生産者の仕事を体験させてもらいました。ただ、苗を土に入れる作業を毎日ずっとしていたので、1ヶ月ほどで飽きてしまい、別のことも体験したくなってきました。

そこで、鉢物生産者のデンマーク人に頼み、同じ埼玉県の川越市にある2軒のフラワーショップを紹介してもらい、掛け持ちで働くことになったのです。

■言葉は分からない、食べ物は口に合わず「全部ヘン!」

その時に体験したのは、滞在している羽生市から川越市まで往復3時間も満員電車に揺られ、週6日みっちり働くという、卒業旅行とは思えないハードな生活。

慣れない環境でとにかく必死だったので、はっきり言って「日本や日本人のこういうところが好きだな」なんて感じる余裕はなかったし、そんなことは何も覚えていません。

こんなことを言うと日本のみなさんには大変申し訳ないのですが、当時の私が日本に抱いた印象とは、言葉はまったく聞き取れないし、何も読めないし、食べ物は口に合わないし、とにかく「全部ヘン!」というものでした。

ちなみに私が“我慢”という言葉を知ったのもちょうどこの頃。仕事のハードさと慣れない環境に疲れ、鉢物生産者のデンマーク人に「大変すぎる。こんなのあり得ない。もうできない!」と愚痴をこぼしたところ、「ニコライ、日本人ができるんだからお前もできるよ、同じ人間なんだから」と励ましてくれたのです。

この時、はじめて私は、「これが“我慢する”ということなんだ」と知りました。

撮影=吉松伸太郎
バーグマン氏の代表作となった「フラワーボックス」 - 撮影=吉松伸太郎

■金曜日は徹夜、トラックで仮眠してまた仕事…

私が日本に再びやってきたのは1998年。そこから私の本格的な日本でのチャレンジが始まりました。

東京に知り合いのいない私は、卒業旅行の時と同じように知り合いのいる羽生に住み、川越のフラワーショップで働かせてもらうことになりました。さすがに半年ほどでショップ近くのアパートメントに引っ越したので、毎日満員電車に乗らなくて済むようになりましたが、それでラクになったわけではありません。

お店の近くに住んでいなければ体がもたないくらい、仕事が大変だったのです。

どう大変だったかというと、とにかく仕事がハード。仕事は基本的に月曜から土曜まででしたが、夜遅くなるのは当たり前。それでも私は比較的早くに帰らせてもらっていたほうで、社長や他のスタッフはもっと遅くまで働いていました。

そのフラワーショップは土曜や日曜はウェディングの仕事もしていたので、特に木曜と金曜は大忙しで、金曜から土曜の朝一までは毎週のように徹夜です。耐えきれずトラックで30分だけ仮眠してからウェディングの仕事に向かう……なんてこともありました。

■「デンマークに帰りたい」と言うとあっさり断られた

デンマークでの職業訓練時代も辛いことはたくさんありましたが、仕事はたいてい17時や18時で終わり、土曜は14時で終わって日曜と月曜は完全に休み。2日間半が休みだったので、友達と飲んだり出かけたりバカみたいに遊んで、辛さを吹き飛ばすことができていました。

それが日本では、日曜にウェディングの仕事が入った日は月曜に休みをもらえるとはいえ、休みは週に1回。体力的にも辛かったですが、私としてはリセットする時間が少ないことが何よりも辛かった。自分が思っていたハードワークと日本人にとってのハードワークの差が半端ではなく、完全に圧倒されていました。

日本でハードワークをこなす中で、辛かったことがもうひとつあります。それは、「デンマークに帰りたい」という願いを受け入れてもらえなかったこと。半年以上、ほとんど休みなく働き続けたところで一度お願いしてみたのですが、あっさり断られてしまいました。

その時、社長に言われたのは「今はここで働いているのだから、私たちのやり方でお願いします」ということ。つまり私を特別扱いせず仲間として受け入れてくれていたわけです。でも私は、「え? 休みをもらうのは当然の権利のはずなのに何を言っているの?」「帰りたいと言っているのになぜ帰れないの?」という感じで、まったく理解できませんでした。

今思えば、その頃の私はまだ“デンマーク人の頭”だったのです。デンマークではサマーバカンスを数週間取るのは当たり前なので、日本でだってバカンスを取ってもいいはず。どうしてデンマーク人の私にまでそんなことを言うのか……。「自分はデンマーク人なんだから特別に扱ってほしい」という甘えがあったわけです。

撮影=吉松伸太郎
ニコライ・バーグマン氏 - 撮影=吉松伸太郎

■逃げ出さなかったのは「刺激的なエナジー」があるから

ではなぜ、私はそんな日本を逃げ出さなかったのでしょうか?

それは日本の「エンドレス・ポテンシャル」に強い魅力を感じていたからです。

デンマークは愛する大切な故郷ですが、日本と比べれば小さくて何もない国です。

日本は建物の大きさも人の多さもデンマークとはケタ違いで、あらゆることがまったく違うところがとても新鮮に見えました。私がもっと、人間としてもフラワーアーティストとしても成長するためには、そういう「自分をワクワクさせる刺激的なエナジー」が必要だと感じたのです。

実際、1998年に再び日本へやってきてから、ワクワクするような刺激を受けることがたくさんありました。たとえば、六本木にある大きなフラワーショップ。真ん中にガラスの冷蔵庫があって、色鮮やかな花たちがバーッと並んでいて、本当に美しくてきれいでした。バラ1本が1500円くらいして、当時の私は高価なプレゼントでも買うかのような気持ちでそのバラを買った覚えがあります。

■「日本に来てよかった」とつくづく思う瞬間

ほかにも、ホテルオークラで見たこともない壮大な和の生け花に感動したり、日比谷にあるフラワーショップの高級で美しい花たちに見とれたり。デンマークでは何万円という値段で売られている花などまずないので、「こんな花を自分も作ってみたい」と憧れたものです。

日本で働き始めて時間がたってからも、デンマークとの仕事の量やスケールの違いを実感することは度々ありました。たとえば、ルイ・ヴィトンやシャネルといった高級なお店がデンマークにはないので、一緒に仕事ができるなどというチャンスはありません。また、フォーシーズンズホテルのような世界展開している高級ホテルも同様で、やはり一緒に仕事ができることはありません。

でも日本で頑張って働いていたら、こういった大きなブランドとの仕事の話がどんどん入ってくる。今でも私は、スケールの大きな仕事が入ってくる度に、日本のエンドレス・ポテンシャルと日本で働いていることへの喜びを感じますし、「日本に来てよかった」とつくづく思います。

■東京・南青山のお店を任せてもらえたが

さて、川越で2年ほど頑張っていた頃、働いていたフラワーショップが東京進出のためブランドを作り、南青山にオフィスを構えることになりました。

はじめは本当にウェディングの打ち合わせをするスペースのみといった感じでしたが、私は東京でお店を開くチャンスと思い、「この空間を活用したい」とショップに切り替えることを考え、社長に思い切って提案しました。

社長は、「お金をかけずにやるなら」との条件付きでOKをくれ、運よく東京の南青山のお店を任せてもらえることになりました。

いよいよ都会のオシャレな場所でショップが開ける、と喜びはしましたが、本店は川越のままだったので、ウェディング用の花は川越で作って、それを週末に東京に運んで……という、川越と青山を頻繁に往復するハードな日々が続きます。

ショップのほうの仕事も張り切っていたので、朝一番で市場に行くことも多く、毎日寝不足状態。また、1週間働き詰めだったため、川越から青山に荷物を運んだ土曜日に目が回って倒れそうになってしまったこともありました。

■あまりに楽しく、やりたくてしかたがなかった

ショップを任されるようになってしばらくたってから、私は骨董通りに新たなショップをオープンさせます。

それと同時期に、プライベートでも小さなフラワーショップをひっそり開いていました。六本木にあったデンマークレストラン「カフェ・デイジー」のオーナーと仲良くなり、レストランの階段の横のスペースを私のショップにさせてもらい、小さなアレンジメントを置いていたのです。

だから当時の私は、とにかく忙しい日々を送っていました。朝一番で市場に行ってからレストランのショップをオープンして、そこから青山のショップに行って働き、夜にまたレストランに行ってショップをクローズして……と、まさに走り回っていました。

わざわざプライベートでそんなことをするから余計に忙しくなってしまったわけですが、その時は自分のセンスで飾った自分のお店を開くことがあまりに楽しく、やりたくて、やりたくてしかたがなかったのです。

■日本人の多くは「悪い我慢」をしている

こうして“いい我慢”を積み重ねていけば、できることがひとつ増え、やれることがひとつ増えていき、いつの間にか仲間も増えて、その先に目指す未来がどんどん拓けていくことでしょう。

ニコライ・バーグマン『いい我慢 日本で見つけた夢を叶える努力の言葉』(あさ出版)

ただ“いい我慢”を重ねるうえで、ひとつだけ注意して欲しいことがあります。

それはその我慢が「100%自分のモチベーションに繋がるものでなければいけない」ということです。

日本の人には自分を後回しにしてほかの人を優先するところがあります。それはすごくすばらしいことです。しかし、きちんと自分を優先して自分を満足させなければ、やるべきことをやり遂げる前に疲れてしまいます。

もっともヘルシーなのは、自分を中心に考え、自分のスタビリティや自分のライフスタイルを大切にしながら、自分のためにやるべきことをやること。

たとえば、今目の前にやるべきことがあるとして、それを「こうやればもっと技術が磨けるかな」などと考えながら、自分に合ったやり方で進めるのはとってもヘルシーです。

でも、「こうすれば上司が喜んでくれるだろうか」などと考えながら、上司の好むやり方で進めるのはまったくヘルシーではありません。

つまり、自分が満足できていないのに人を満足させようと頑張るのは、“悪い我慢”というわけです。

自分のためにやるべきことをやり遂げると、「もっとレベルアップしたい」「次はこれをやりたい」という気持ちが自然と湧いてきます。

すると夢や目標に向かってどんどん成長して、どんどんハッピーになって、そのエナジーが溢れてきます。そして、そのエナジーが人に伝われば、その人もきっと満足します。結局、自分が満足すればそのエナジーで人も満足させられるのだから、最初から他人を優先する必要などないのです。

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ニコライ・バーグマン フラワーアーティスト
デンマーク出身。北欧のテイストと細部にこだわる日本の感性を融合させた独自のスタイルをコンセプトとし、自身で考案したフラワーボックスは、フラワーギフトの定番として広く認知されている。ファッションやデザインの分野で世界有数のブランドと共同デザインプロジェクトを手がけるなど、フラワーデザインの可能性を拡大し続けている。現在、国内外に14店舗のフラワーブティック、国内に3つのカフェを展開している。

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(フラワーアーティスト ニコライ・バーグマン)

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