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中卒の会長が社員の給料袋に毛筆メッセージを33年間同封した理由

プレジデントオンライン / 2020年5月16日 11時15分

豊臣秀吉(1537~1598)
農民の子として生まれ、天下人にまで上り詰めた成り上がりの人生は、生きる知恵の泉でもある。

■人心の掌握術に長け、よく観察、分析した「人たらし」の名人

社名の「千房」は大坂城を築いた豊臣秀吉の馬印からとったもので、房になった「千成瓢箪」を意味しています。

豊臣秀吉は農民出身でありながら織田信長の後を継ぎ天下統一を果たした人ですが、普通の武将のように戦場で敵を討ち取り手柄を立てて出世したわけではありません。大変苦労しながら生き抜き、さまざまな実力者の協力を得て、また竹中半兵衛など優秀な人材を雇用して織田家の中で有力者になった人物です。上手に「人」を動かして自らが出世していきます。秀吉は戦国時代には珍しく「人望」があり「知謀」に長けた武将ではないでしょうか。

よく語られるのは草履を懐に入れて温め、信長に目をかけられるようになったエピソードですが、こういう行いは1度だけではなく、ずっと続けることで大きな信用が生まれてきます。継続は知識の有無ではなく1つの能力であり、大きな力をもたらしてくれます。家が貧しかった私は中学卒業と同時に乾物のお店に丁稚奉公に出されました。学歴はなく、能力のない私には誰でもできることしかやれません。そこで誰にでもできることで人が続けないことを心がけてきました。例えば、社員の給料袋に毎月毛筆のメッセージを同封しています。誰でもできる些細なことですが、今年で33年続けてきたところ、会社は大きく発展しました。

■秀吉も逆境を這い上がる凄いパワーがあった

必ず人間は壁に突き当たります。そのときに苦労してきた人間は、それを受け入れ、乗り越えていく力があります。挫折の経験がなく苦労をしていない人間は、心が折れてしまいます。オーナー経営者は個性的で逆境に強い。秀吉も逆境を這い上がる凄いパワーがあったし、朝鮮へ出兵して明の制圧まで目標にするヤマっけもありました。わき目もふらず成果を目指した一直線な男であり、一方で冷酷な面もある人です。秀吉と同様に成功したオーナー経営者には、冷たいところと温かいところの両面を持つ人が多くいます。世の中を見る目も顕微鏡と望遠鏡、つまり、近くを見る目と遠くを見る目、繊細と大胆の両方を持ち合わせています。

さらに、秀吉は「人たらし」といわれているだけあって、人心の掌握術に長けており、褒め上手で任せ上手です。「企業は人なり」とよくいいますが、組織は人育てに始まり、人育ては続きます。人材なしには企業はもちません。秀吉は地べたから這い上がってきただけに、人の痛みがよくわかるのでしょう。人たらしといわれる人は、人をよく観察し、分析し続けているのです。

誰かの引き立てがなければ、いくら努力してもいっさい光り輝きません。秀吉も人に引き立てられることで出世したわけです。秀吉を見ていても人から引き立てられるには、「1つでも年上の人、年長者を敬う」「言われたことは素直に謙虚に受け入れる」「指示は誠実に実行する」「物事を損得で考えない」が大事なことだと思います。

私がぶれずに努力を続けられたのは、あんなふうになりたいと憧れる人が身近に多くおり、歴史上の人物では秀吉がいたことです。目指すものを明確にイメージできたからこそ、困難にあっても前へ進むことができたのです。

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中井 政嗣(なかい・まさつぐ)
「千房」代表取締役会長
1945年、奈良県生まれ。中学卒業と同時に乾物屋に丁稚奉公。73年、お好み焼き専門店「千房」を開店。現在は国内外に77店舗を展開。元受刑者の就労支援に尽力。

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(「千房」代表取締役会長 中井 政嗣 構成=吉田茂人 写真=AFLO)

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