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工場の人手不足から始まった「製造請負」という宝の山

プレジデントオンライン / 2020年3月26日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RomoloTavani

日総工産は「製造請負」の大手企業だ。創業者の清水唯雄は溶接工としてキャリアをスタート。20代半ばで独立し、造船・鉄鋼分野で多くの職人を動かしていたが、高度成長期に入り、一般製造業からの依頼が急速に増えていった。工場の人手不足を解消するため、清水が採った秘策とは──。

※本稿は、清水唯雄『のっこむ! 「ものづくり日本」を人で支えた半世紀』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■求人誌のない時代に、大量の人材を確保する方法

1960年代後半、日本は高度経済成長の波に乗り、年10%を超える経済成長が続いていました。新幹線や高速道路をはじめとする交通インフラの整備も進み、公共工事や建設の需要が増大していきます。

こうした流れに対応してニーズが拡大していったのが建設機械や産業機械で、これらを製造するメーカーから仕事を受注することが多くなっていきました。私たちの仕事も屋外での溶接中心の業務から、工場内での作業へとシフトしていったのです。

工場の中に職人を送り込んで一部の工程の業務を請け負うという、今に至る日総工産の主要業務「製造業構内請負」のルーツは、まさにここにあります。ただ、必要とされたのは、溶接工のような熟練した職人ではなく“一般工”で、従来よりも大人数を配置するケースが多くなりました。

そのため、溶接工を集めていたときのように人づてや紹介などではとても追いつかず、かといって当時は求人専門誌などもありませんでしたから、依頼を受けて早々に行き詰まってしまいました。そこで、一計を案じることにしました。

それは、飲み屋に通うことでした。

■飲み屋で酒が回った出稼ぎ労働者を口説いた

鶴見や川崎など地元の酒場、それも地方から働きに出てくる出稼ぎ労働者がやってきそうな飲み屋に一人で出かけて、それらしい集団を物色するのです。警戒されないよう、酒がある程度回って座が和んできたところで声を掛けます。

「やあ、盛り上がってますね。皆さんは地方から働きに来ているの?」
「岩手からね。この時期は農閑期だから、毎年みんなで来てるんだ」
「建築関係?」
「そう。今は、この近くのビルを建ててる現場ね」
「皆さんガタイがいいから、相当稼いでいるんだろうね」

といった具合に、どこから来たのか、今どんな現場で働いているのか、収入はどれくらいか、今の現場に不満はないか等々、根掘り葉掘り聞き出していきます。

そして、これはいけるなと判断したら、「もっといい働き口があるよ」と勧誘するのです。

「工場の仕事は雨風関係なくていいよ。工賃は建築関係に比べれば少し安いけど、仕事は安定しているし、残業代も付くし」
「へぇ、そりゃあよさそうだね。ただ、今いるところは急には辞められないからなぁ……」

今働き口がある人たちを引き抜くわけですから、なかなか簡単にはいきません。しかし一人でも勧誘できると、その人が属しているグループのメンバーを次々と芋づる式に引き抜けることもあります。また、同じ現場で働いている別のグループ──他県から集団で来ている人たちを紹介してくれることもありました。

■一升瓶片手に、夜行列車に飛び乗った

最初に勧誘に成功したのは、秋田県男鹿市から来ているグループでした。男鹿といえば「なまはげ」で有名ですが、ハタハタ漁も盛んなところです。酒場で知り合ったのはハタハタ漁に携わっている漁師さんたちで、漁ができないオフシーズンに出稼ぎに来ているということでした。

では、漁ができないのは1年のうちどのくらいの期間か聞いてみたところ、何と12月、1月を除く10カ月間は出稼ぎに来られるというのです。こちらにしてみれば長く働いてもらえる大変な“戦力”になるということで、何としてもこの人たちをスカウトしたいと思いました。

話を聞いていくと、地元にリーダー格の親方がいて、出稼ぎに行きたいという人たちを差配していることがわかりました。善は急げでその晩、一升瓶の酒と肴を手に夜行列車に飛び乗り、男鹿に向かいました。

■北海道では1000人規模のスカウトを実現

突然の訪問に最初は戸惑っていた相手も、漁師たちのいい働き口がほしいと常々思っていたようで、訪問の主旨がわかると「そんなら話を聞こうか」と乗り気になってくれました。そこで、持参した酒と肴を取り出し、

「出稼ぎに行きたい漁師さんたちを集めてくれないかな。一杯やりながら話をしようや」

と水を向けたところ、地元に残っている人たちを方々から呼んでくれたのです。そして、酒を酌み交わしながら話をつけ、その場で多くの働き手を確保することができました。

男鹿で話がまとまると、次は少し南に下って大曲市(現・大仙市)や本荘市(現・由利本荘市)へ、さらには福島にも足を向けました。わざわざ出向いての人探しですから、わずかな人数では埒が明かず、まとまった数を調達できるところを探し求めて歩き回ったのです。

そして、ついには北海道まで足を延ばしました。昆布漁が盛んな茅部郡です。一時期足繁く通って、その一帯で漁に携わっている人たちを丸ごとスカウトすることに成功しました。実に1000人にも及ぶ規模でした。

ハタハタ漁にしても、昆布漁にしても、漁の時期に不在だと漁業権を失うことになるので、何を置いても帰らなければなりません。そのため、その穴埋めをしてくれる人たちをあらかじめ調達しておく必要がありました。

そこで、その時期に出稼ぎが可能な人たち──漁業関係者だけでなく、例えば青森県などに出向いてりんご農家の人たちに声を掛けるなどして、入れ替わりで必要な人数の補填に努めました。漁師と農家を組み合わせることで、うまくローテーションを組めることが多かったです。

■漁の仕事への「誇り」が工場でのモチベーション

こうして日本各地から集めた人たちは、一般工として工場の中でよく働いてくれました。例えば秋田の漁師さんたちには小松製作所の鋳物工場のラインで、砂型からはみ出した部分(バリ)を削る「はつり」の作業などをしてもらいましたが、仕事ぶりがすばらしいと小松製作所の担当の方から高く評価していただくことができました。

「俺たちゃいつも生きている魚を追いかけているんだ。漁で鍛えられてるんだよ。工場の仕事なんか朝飯前さ」

と彼らは自分たちの生業に強い誇りを持っていて、この誇りが工場の仕事でも精いっぱい頑張ろうというモチベーションにつながっているようでした。

出稼ぎの面々が頑張ってくれたおかげで、私自身の信用度も大きくアップすることになりました。小松製作所からは、安心して任せられると思ってくれたのか、さらなる増員の依頼があり、しまいには鋳物工場の工程を一手に引き受けるくらいまで工員の数も増えていきました。

■製造請負という「宝の山」を発見した

こうした工場構内の請負は、まだあまり一般的ではありませんでした。今まで述べてきたように、造船や鉄鋼などの分野では協力会社の存在は欠かせないものでしたが、製造業で工場内の作業を請け負うケースは少なかったのです。いわば私が“はしり”であると言っていいかもしれません。

清水唯雄『のっこむ! 「ものづくり日本」を人で支えた半世紀』(プレジデント社)
清水唯雄『のっこむ! 「ものづくり日本」を人で支えた半世紀』(プレジデント社)

戦前まではこのようなニーズに、企業が直接雇用する非正規労働者である「臨時工」や、外部の労務請負業者に雇われる「組夫」と呼ばれる労働者が対応してきましたが、臨時工は身分が不安定な上、低賃金で酷使される傾向が強く、また、組夫についても不当な賃金の中間搾取が横行し、強制的に過重な労働が科せられる例が多くありました。

戦後、連合国軍の占領下でGHQがこうした封建的な日本の雇用慣習を問題視したことから、1947(昭和22)年に職業安定法が制定されます。これにより労働者供給事業は労働組合が行う場合を除き、全面的に禁止されることになりました。

しかし、高度成長期を迎え、多様化し規模も拡大する工場内の業務に正規社員のみで対応するのは次第に難しくなってきます。外部の労働力が不可欠になってくるのです。

その結果、製造業では構内請負へのニーズが高まっていきました。まだ競合他社が少なかった時代に、この流れにうまく乗れたことが、日総工産のその後の成長への足掛かりとなりました。

製造請負はその後、自動車、電気、精密機器、半導体……と、さまざまな分野に広がっていくことになります。

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清水 唯雄(しみず・ただお)
日総工産 取締役(名誉会長)
1936(昭和11)年8月21日、神奈川県横浜市に生まれる。日本鋼管(現・JFEスチール)勤務を経て、1971(昭和46)年2月、日総工営株式会社(現・日総工産株式会社)を設立、代表取締役社長に就任。日総工産代表取締役社長・会長を経て、2019(平成31)年4月、取締役(名誉会長)に就任。社会福祉法人近代老人福祉協会 理事長。一般社団法人日本生産技能労務協会 名誉相談役(元会長)。

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(日総工産 取締役(名誉会長) 清水 唯雄)

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