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わざわざ検査をしたのに、医者が本格的な治療を後回しにするワケ

プレジデントオンライン / 2020年3月26日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nikada

なぜ医者は「様子を見ましょう」といって、さっさと本格的な治療に移らないのか。病理医の市原真氏は「患者からすると不安が増幅されるかもしれないが、決して怠慢ではない。一部の病気は、本質的に、時間をかけないとわからない。医療とは詰将棋のようなものだ」という――。

※本稿は、市原真『どこからが病気なの?』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。

■時間をかけない限り正解にたどり着かない

患者が病気であると診断することは、「未来を予測し、備えて行動をすること」である。

たとえば今、痛みや苦しみがあるとして、それが将来消えてなくなると予測できれば、治療をしなくていいという行動を選択できる。

あるいは逆に、痛みがどんどん強くなるだろうとか、苦しみの先に生命の危機があるだろうと予測するならば、診断はとりあえず後回しにしてでも早く処置をする。

これらはいずれも、「すぐわかる病気」に対する対処であり、「すぐ動いた」例である。

では、逆に、「なかなかわからない病気」に対しては、医療はどう対処しているのか。まず、医者目線から話をしよう。

一部の病気は、本質的に、時間をかけないとわからない。一握りの有能な医者ならすぐわかる、という意味ではなく、どんな医者がみても、時間をかけない限り正解にたどり着かない病気があるのだ。

■医者が言う「様子をみる」とは?

たとえば、咳喘息という病気がある。

この本は病気をひとつひとつ丁寧に解説する医学書ではないので、詳しい説明は省くが簡単にイメージだけ書いておく。

咳喘息は、咳の発作があるときに患者はとてもつらい思いをするけれども、咳がないときには検査をしても異常が見つからない病気だ。そして、患者が病院を受診するのはたいてい、症状がないときだ。

医者は、毎日のように咳で苦しんでいる患者に、まずは詳細な聞き取りを行う。夜間に呼吸が苦しくなりましたか、以前からこのような症状は出ていたのですか、季節による変化はありますか、咳をするときどんな音がしますか、タンは出ますか、何かお薬を飲んでいますか、アトピー性皮膚炎にかかっていますか……。

患者はそれに答えていく。

その後、聴診をして肺や気管支の音を聞いたり、ときにはレントゲンをとったり、呼吸機能検査を追加したり、血液検査をすることもある。

けれども、診察室で発作が起こっていない場合、決定的な証拠はなかなか見つからない。咳がひどくて夜中に救急車を呼んだけれど、病院についたときにはもう治まっていた、なんてこともある。

■ビシッと診断を決めてくれればいいのに……

そういうときに、医者は、このような言い方を用いて、初回の行動を選択する。

「お話をうかがう限りでは、おそらく咳喘息でしょう。この吸引する薬を使ってみてください。使い方は看護師から説明しますので、守ってくださいね」

そして、さらにひと言、こう付け加える。

「もしこの薬を使ってみて、よくなったら、咳喘息です。引き続きうちに通ってください、薬を出しましょう。ただ、この薬が効かないようだと、他の病気の可能性があります。その場合は別の治療を行いますので、この薬が効いても効かなくても、またうちにかかってください」

この「効いても効かなくてもまた受診してくれ」というセリフに、私自身は誠意を感じるのだが、それは事情をわかっている医者目線で見ているからかもしれない。患者目線からすると、きっとこのセリフの受け止め方は異なるだろう。

(なんだよ、咳喘息じゃないかもしれないのに、咳喘息の治療を始めるのか。ビシッと今日診断を決めてくれればいいのに。しかもまた病院来なきゃいけないのかよ……)

患者はもう少し、「早くわかる医療」を望むはずであり、医者のチンタラした対応にはたぶん不満だと思う。無理もない。わざわざ病院にかかったのに、その日に解決しないというのだから……。

■時間の経過を診断や治療に利用する

でも、これは、咳喘息「疑い」の人に対するおそらく一番誠実な診療である。

発作がないときに診療している限り、どうしたって情報が足りない。だから、咳喘息の可能性が高いとわかった時点で、あたかも見切り発車のように咳喘息の治療を開始して、それが効くかどうか様子をみる。

効果があれば、当初の読み通り、咳喘息と診断確定して、引き続き同じ治療を続ければよい。もし薬が効かなければ、それはそれで、「咳喘息を否定する」という診断ができる。次に病院に来たときには、他の病気に対する検査を追加したり治療を選びなおしたりすればよい。

「病気がわからない」のではなく、「行動すればいずれわかる」
イラスト=うてのての

この場合、医者は、薬が効いても効かなくても一歩前進だ、と思っている。時間をかけて手順を重ねればいずれわかるだろうと踏んでいる。「病気がわからない」のではなく、「行動すればいずれわかる」という考え方である。

医療というのは、時間軸を利用して行うべきものなのだ。時間の経過を、診断にも、治療にさえも利用する。薬を使ってみて、それが効いたかどうかを判断基準に採用することは、情報を集めにくいタイプの病気に対する行動を適切に選び取っていくための知恵だと考える。

ところがこれはあくまで医者の考え方であって、患者からすると違和感がある。「喘息の治療が効かないとわかるまで他の検査をしないなんて、怠慢ではないか?」

「とりあえず効くかどうかわからない薬を投与するなんて、人体実験じゃないか?」
「見切り発車はやめろ」

気持ちはわかる。でも事情をわかってほしい。

■診察室で100%の診断を出せない

まず、この医者は、喘息以外の検査を全くしていないわけではない。問診やレントゲンの段階で、すぐわかる他の病気については否定しているのである。医者の頭の中には、「咳喘息でしょう」と言うまでの間に、いちいち言語化していないけれど、多くのリストをチェック済みだ。

☑細菌性肺炎の可能性なし
☑マイコプラズマの可能性たぶんなし
☑結核の可能性なし
☑心臓が原因の咳ではない
☑胃や食道が原因ではない

その上で、診断を、ざっくりと以下のように見積もっている。

咳喘息 60%
アトピー咳嗽(がいそう)10~20%
好酸球性気管支炎 10%
その他 10%ちょっと

数字は私が適当につけた。この数字は、ガソリンスタンドの値段表示よりもすばやく変わっていく。患者にひとつ話を聞くごとに、5%アップ、10%アップ、10%ダウン、とめまぐるしく推移していくかんじ。

咳喘息というのは病気の性質上、診察室で100%の診断を出せない。しかし、咳喘息が一番疑わしい、というところまではたどり着く。私は先ほど「見切り発車」と書いたが、文字通り、ある程度までは「見切って」いる。

■医療は詰将棋のようなもの

見切り発車というのはネガティブな意味を含む言葉だけれど、真の意味で見切ってから発車しているわけで、この場合はそれほど悪いことではない。

確率をある程度見極めてから、「ある吸引薬が効くか、効かないか」という情報を探りに行っているのだ。高度で前向きな診療戦略である。

もっとも、医者側の意図を、患者が十分に共有していないときには、誤解が生じやすい。患者に「病気の正体がなかなかわからないから適当に治療を選んでいるのかな」と思われてしまっては申し訳ない。

医療者の説明が足りなくて、診療の意図がわかりづらいとき、患者の病気に対する不安は増大してしまうだろう。

このような病気を前にして、患者は何ができるか。何をすべきか。

まず、一度医者が出した薬が効かなかったときに、その医者をヤブ医者と認定して次の医者に行くというのはあまりいい選択ではない、ということを知っておいてほしい。医者は、この薬が効かなかったらこっちだなと、二の矢、三の矢を放つ準備をしている。

最初の薬が効かなかったという強力な情報を医者が手に入れることで、次の行動はより明確になる。それをしないで、医者を替えてしまうというのは、いかにももったいない。

三手詰めの詰め将棋で、二手目で将棋盤をひっくり返してしまうようなものだ。

■「医者が見据えている未来は必ずしも一本道ではない」

「医療はときおり、少し長いスパンで治療を進めることがあるのだな」と、医療シアターの流れを俯瞰することも役に立つ。名医ならどんな病気にも一発で薬が効き、昨日までふらふらだった自分が明日にはすっかりよくなる、というのは夢物語だ。

診断が確定するまでに時間がかかるタイプの医療があると知るだけでも、精神的なストレスがだいぶ減るだろう。医者が最初に放つ矢に期待をかけたくなる気持ちは大変よくわかるが、医者が見据えている未来というのは、必ずしも一本道ではない。

百発百中の診断。瞬間的に終わる治療。これらはいずれも、患者が病院に強く期待しがちな「理想」である。医療者も、この理想ができるだけ叶えられるように日々努力はしているが、ことはそう簡単ではない。

何より、医療の本質がそのようにはできていない。

未来予測と行動選択というキーワードを考えてほしい。未来は複数予測したほうが勝率は高くなるに決まっているではないか。一本道の予測なんて、ギャンブルといっしょだ。危なっかしくてしょうがない。

■「様子をみる」の本当の意味

咳喘息の診療を例えに挙げたとき、私は「咳喘息の治療を開始して、それが効くかどうか様子をみる」と書いた。

この様子をみるという選択は、複数の未来に対応できるように医者が考え出した手段のひとつである。観察する時間を未来に延ばして、情報を追加するためのテクニックだ。

診断がその日の診察室だけでは終わらない場合に、薬を出してその反応性を確かめ、患者の症状がどのように変化するのかを待つ。あるいは、特に治療を施さず、いったん家に帰ってもらって、患者にその後の変化を覚えていてもらう。

これは何もしないということではない。診察時間を延長し、診察場所を診察室の外にまで拡張しているということだ。

と、まあ、ここまで、医療者側の思考や事情をつらつらと書いてきたが……。

医者側の意図を、患者が十分に共有していない場合、この戦略はそもそもあまり有効ではなくなる。患者から見て、「病気の正体がなかなかわからないから適当に治療を選んでいるのかな」と思われてしまっては、診療の意味がない。

■即断・即解決型の診療はドラマの中の話

もっと簡単な言葉で言うと「様子をみる」ということがどういう意味なのかをきちんと説明しない医療者側にも、問題がある。

市原真『どこからが病気なの?』(ちくまプリマー新書)
市原真『どこからが病気なの?』(ちくまプリマー新書)

もちろん医療者側にも言い分はある。忙しすぎて診察時に十分な説明の時間がとれないとか、患者が結論を急いでおり聞く耳をもたない、みたいなケースもある。そういうときはどうしたって説明が不十分になりがちだ。

そもそも患者にとっての病院や医療の「原体験」とは、子どもの頃に小児科を受診したらかぜですねと言われて薬を出されて、家で数日寝ていたら治った、みたいな、即断・即解決型の経験がほとんどであろう。

病院とはそういうところだと思い込んでいる人が圧倒的に多い。薬を試しながら様子をみてじわじわと病気を追い詰めていく、みたいな、連続テレビ小説や大河ドラマ型の診療になじみがない。

そのことをわかった上で、医療者は、「詰め将棋のように一歩一歩テキの逃げ道を潰していく医療(専門的にはベイズ推定方式の診療という)があるんです」ときちんと説明すべきだろう。

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市原 真(いちはら・しん)
札幌厚生病院病理診断科 医長、医学博士
1978年生まれ。2003年北海道大学医学部卒。国立がんセンター中央病院研修後、札幌厚生病院病理診断科へ。インターネットでは「病理医ヤンデル」として有名。著書に『症状を知り、病気を探る 病理医ヤンデル先生が「わかりやすく」語る』(照林社)、『病理医ヤンデルのおおまじめなひとりごと 常識をくつがえす“病院・医者・医療”のリアルな話』(大和書房)、『いち病理医の「リアル」』『Dr.ヤンデルの病院選び ヤムリエの作法』(共に丸善出版)など。

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(札幌厚生病院病理診断科 医長、医学博士 市原 真)

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