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なぜ美智子さまの生き方は、全国民を魅了したのか

プレジデントオンライン / 2020年5月10日 11時15分

AFLO=写真

■すべての人を魅了する美しい生き方は、日本とともに

1958年11月に明仁皇太子殿下と正田美智子さんのご婚約が発表されるや、ミッチーブームが巻き起こった。皇室ジャーナリストの近重幸哉氏は「まるで西洋映画のロマンスのような展開に日本中が熱狂したんです」と話す。

軽井沢のテニスコートを舞台に、美貌と教養を兼ね備えたご令嬢が皇太子から見初められ、史上初の民間出身プリンセスとなる――。そのニュースは、戦後の復興が進む日本で、また1つ新しい時代が幕を開けたかのような華やかさを感じさせたのだ。

ちょうど週刊誌創刊ラッシュと重なったことも、ミッチーブームを後押ししたと言えよう。

「『女性自身』の創刊もご婚約と同時期。創刊後、美智子さま人気にあやかろうとファッション特集を組んだら、物凄い売れ行きだったそうです」

60年2月には浩宮徳仁親王をご出産。民間出身というだけではなく、美智子さまは皇室にたくさんの“史上初”をもたらした。御所ではなく病院で出産したのも、乳人を置かず自ら親王を育てたのも皇室初。また、東宮御所にキッチンを設け、ご家族に手料理を振る舞ったのも前例がないことだった。

そんな東宮一家の様子は盛んに報道され、幸せな家族像として国民の憧れの対象となっていく。

しかし、その裏で美智子さまは孤独を感じていた。子育てや料理に励む美智子さまの姿は国民には支持されたが、皇室内部には「品位を落とす」と考える人々もいた。ご成婚パレードの際、昭和天皇の后・香淳皇后から6頭立て馬車について「私のときは4頭立てだった」とクレームがついたといった話もある。前例を重んじる皇室において、史上初をもたらす美智子さまが冷遇されるシーンは多かったと想像できる。

さらに追い討ちをかけたのは、63年の流産だ。流産後、美智子さまは葉山の御用邸で3カ月近く静養された。

しかし、その哀しみも乗り越え、65年には礼宮文仁親王を、69年には紀宮清子内親王をご出産。84年には銀婚式をお迎えになった。銀婚式での「お互いに点数をつけるなら?」という記者会の質問に、皇太子殿下(現:上皇陛下)は「点をつけるのは難しいけれど努力賞を」、美智子さまは「私もお点ではなく感謝状を」と回答され、互いを慈しみあう夫婦のすばらしい姿として国民に強い印象を与えた。

■皇室バッシングも乗り越えて

平成は災害の多い時代だった。平成2年の雲仙・普賢岳噴火に始まり、7年の阪神・淡路大震災、そして23年の東日本大震災などと続いた。

美智子上皇后の美しい歩み
AFLO=写真

美智子さまは、平成の天皇とともに災害が起こるたびに被災者を訪ねられた。ときに手を取り、抱き寄せ、ひざまずき、真摯に被災者の声に耳を傾けられる姿は多くの国民の心をとらえた。

しかし近重氏は、決してこれは平成に始まったものではなく、昭和の皇太子ご夫妻のころから変わらないお姿だと言う。被災者だけではなく、以前からハンセン病施設や児童養護施設などを定期的に訪れ、社会的弱者とのふれ合いを続けてこられているのだ。

「被災地ご訪問や地方ご公務、戦地の慰霊訪問など、さまざまなシーンの美智子さまを取材してきましたが、どのような相手にも常に敬意を持って接されるご様子は、本当に尊いお姿だと感じていました」

近重氏は美智子さまの尊さは「積み重ね」だと続ける。常に国民に寄り添い、愛を注がれてきた長い年月の積み重ねが、国民からの絶大な支持につながってきたのだという。

「初の民間出身妃として大変な思いもたくさんされたと思います。たとえば、過去に一部メディアが平成の皇室のあり方などをバッシングした時期がありました。それまで頑張ってこられたことを否定され、美智子さまにとっては大変なショックだったと思います。93年に失声症になられたのは、その影響と言われています。しかし、そういったつらさや大変さも乗り越えてこられたところに美智子さまの尊さがあるのです」

上皇陛下を一歩下がって支えながら、常に公人として国民に寄り添い、その幸せや平和のために尽くしてこられた美智子さま。その尊いお心に人々は感動するのだろう。

美智子上皇后の美しい歩み
美智子上皇后の美しい歩み

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近重幸哉(ちかしげ・ゆきや)
皇室ジャーナリスト
1988年に「女性自身」(光文社)記者となり、皇室取材を担当。平成の始まりから令和へと皇室取材を続けている。テレビのコメンテーターとしても活躍。

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松本 史(まつもと・ふみ)
フリーランス編集・ライター
熊本県出身。子育て情報誌や教育情報誌の編集に長く携わり、2017年に独立。現在は、ビジネス誌や教育誌、書籍・ムック、企業社内報などで幅広く編集やライティングを担当。屋号は松本明生堂(まつもとめいせいどう)。

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(フリーランス編集・ライター 松本 史)

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