全てを失い倒産寸前に追い込まれた社長が、たった3年で再建できたワケ
プレジデントオンライン / 2020年4月8日 9時15分
※本稿は、清水唯雄『のっこむ! 「ものづくり日本」を人で支えた半世紀』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■オイルショックで、すべての仕事が契約解除
製造業の工場内で業務を請け負う「製造請負」の仕事はその後も順調に増えつづけ、事業としての先行きが見通せるようになってきました。私は法人化を決意し1971(昭和46)年2月、現在の日総工産の前身、日総工営株式会社を設立しました。
会社設立の翌年、1972(昭和47)年に田中角栄内閣が成立し、「列島改造ブーム」が日本中を席巻するようになります。建設機械、産業機械分野の大幅な需要拡大を受けて、大手メーカーからの仕事がさらに増えていき、社業は順調に発展を遂げていきました。
しかし、残念ながらこの好況は長くは続きませんでした。その翌年の1973(昭和48)年10月、第1次オイルショックが世界を、そして日本を襲ったのです。仕事は徐々に減っていき、75年の初めには、請け負っていたすべての仕事が契約解除となりました。従業員は解雇せざるを得ず、不動産など会社の資産もすべて手放しました。虎ノ門にあった事務所も引き揚げ、川崎にいた知り合いの会社に間借りする形で仮事務所を置きました。
このままでは終われない。何とか会社を再興させたい──。そんな思いで始めたのが、夜間の工業団地巡りでした。
高度成長期、首都圏では工業団地の造成・誘致が盛んに行われていました。千葉県でも、松戸市では自治体が主導する形で北松戸・稔台・松飛台の3つの工業団地が造成され、浦安にも都内から鉄鋼関連の企業が移転する形で工業団地ができつつありました。
■夜9時過ぎ、懐中電灯を片手に工業団地へ
そこで、この2つのエリアの工業団地から仕事を受注しようと、夜9時過ぎに自分で車を運転して訪れるようになったのです。
昼間ではなくなぜ夜間かというと、夜遅くに仕事をしているということは、つまり残業しているということですから、相当に忙しいだろうと踏んだわけです。こうした工場なら、「忙しい業務を外注することで、従業員には別の新しい仕事をさせることができますよ」と営業をかければ仕事がもらえるのではないかと思ったのです。
工業団地の近辺に到着したら、ゆっくりと走行し、明かりがついている工場を探します。見つけたら少し手前に車を止め、懐中電灯を片手に建物の入り口まで歩いていき、中で作業をしているかどうか確認します。そして、それが確認できたら、入り口の表札を懐中電灯で照らして社名を見てメモするのです。
翌日、図書館に行き、『会社録』でその会社について調べます。まず、業種は何か──装置産業なのか、それとも一般の製造業なのかを見ます。もし、溶鉱炉などを持っている鉄鋼関連の企業なら、炉を止めずに作業を続ける必要がありますから、夜間に作業をするのは特別なことではありません。一方、一般の製造業で夜遅く仕事をしているということは、人手が足りないということです。
これでアプローチ先が選別できますから、早速目星をつけた会社を訪問して、業務請負のセールスをするというわけです。
■狙った会社とはすぐに交渉が進んだ
この作戦は、目論見どおりうまくいきました。狙いをつけた会社は急激な増産に対応できずに悩んでいる場合が多く、たいていは門前払いせずにこちらの話を聞いてくれました。
「本当にそんな金額で請け負ってくれるの? 人を集められるの?」
「大丈夫です。お任せください!」
首尾よく交渉が進んで、その日のうちに大まかな受注計画や仮の積算単価を詰め、すぐに体制づくりに動くといったこともありました。
業種で多かったのは、当時増えつつあったプラスチック関連の工場でした。多くは浦安方面にありましたが、洗面器など家庭用のプラスチック製品をつくっている工場や、食器や小物などをプレスして製造する際の材料になるシートを専門につくる工場などさまざまでした。
■手持ち資金がなく、金策に奔走
その後も受注は順調に回復していき、業種もプラスチック関連だけではなく、本田技研工業の下請け企業など自動車関連へと徐々に広がりを見せるようになっていきました。
ただ、ゼロからの再出発だったため、手持ち資金がなかったことには悩まされました。次々と仕事の依頼が舞い込むのはありがたかったのですが、先方からの支払いを待たずに従業員たちに賃金を払わなければならないことも多く、日々、金策に奔走していました。
ホンダ系のある自動車部品メーカーの仕事を請け、30人程度採用したときのことです。当然ながら採用した全員に仕事がスタートした当月から給料を払わなければならないのですが、通常の支払いサイトでは、20日締め翌月末払いと40日後となってしまい、給料日の毎月5日に間に合いません。
当時はつなぎの資金も乏しく、借り先も底をつきつつありました。どうやってしのいだらいいのか──。そこで、意を決して担当者に直談判することにしました。
■3年後には再建の目処が立つまでに回復
「厚かましいお願いですみませんが、工賃を当月払いにしていただけないでしょうか」
「20日で締めて、10日後には支払えってこと? そりゃあいくら何でも無茶だよ。そんな条件で取引している下請けなんてないよ」
「この人手不足でしょう。働き手をつなぎ止めておくのは大変なんですよ。給料の支払いが遅れるなら、みんな辞めると言ってまして……」
「この時期にまとめて引き揚げられちゃかなわないな。うーん、困った。……ちょっと上と相談してみるよ」
決死のお願いが功を奏し、何とかこの条件で支払ってもらうことができました。相談した窓口も通常の下請け業者(サプライヤー)とは異なる「構内外注」の特殊性を理解してくれ、特別の対応を取ってくださったようでした。
しかしながら今考えれば、3カ月以上の手形取引も当たり前だった時代に下請けの立場で請求月に支払えとはよく言ったものだと思います。それだけ当時は必死だったのでしょう。
オイルショックですべてを失った私でしたが、必死でもがいているうちにだんだんと新規の受注が増えていき、3年後には再建の目途が立つまでに回復しました。
■リスクを追わずに労働力を増やすことは可能か
大半の企業が事業の立て直しに苦しむ中、工場構内の業務請負を生業とする会社が、なぜわずか3年ほどで再建に漕ぎつけることができたのか──。その背景には、日本の製造業がオイルショックを機に「減量経営」へと大きく舵を切ったという事情があったのです。
右肩上がりの高度成長期では、労働力を増やすことは“善”であり、それがそのまま競争力の強化につながりました。ところが、オイルショックのような出来事で急激な需要の後退が生じると、それが会社の経営を圧迫するリスクに変化します。
そうなると、企業としては景気後退に備えて正規の従業員は最小限にとどめておく、という選択肢を取ることになります。これが、オイルショック後に企業が選択することになった「減量経営」です。
しかし、好況に転じ業績を拡大できるチャンスが到来したら、機を逃さずに生産能力を高めたい。つまり、企業にとっては、景況に応じて生産計画を自由に調整できることが望ましいのです。では、リスクを負わずにこの問題を解決するにはどうしたらいいか──。
■オイルショックを引き金に、市場が一気に拡大
そこで各企業が選択することになった手法が、外部への業務委託でした。外部への委託──私たちにとってみれば工場内の業務請負は、こうして一気に増えていくことになります。これを牽引したのが自動車産業で、70年代後半から急速に需要が拡大していきました。
かつての自動車業界は“自前主義”で、一般の製造ラインに業務請負という形で外部の業者を入れることはありませんでした。しかし、オイルショック後に組織のスリム化を図った結果、再び生産拡大の機運が高まってくると、現状の体制では生産計画の維持が難しくなり、請負業者を利用せざるを得なくなったということです。
自動車産業は巨大産業ですから、部品メーカーをはじめ下請け企業の層も厚く、自動車メーカー各社の業績が回復しはじめると、系列の部品メーカーなどからの引き合いも増え、業務請負の市場は一気に拡大することとなりました。
オイルショックが引き金となって、むしろビジネスチャンスは以前よりも広がったのです。それと同時に、取引先や請け負う業務の内容も大きく変化していました。日総工営としてはすでに再建を果たし、さらに成長を続けていましたが、あえてここで一区切りつけ、組織を新しくして、真の意味での“再出発”を図るという考え方もあるのではないか──。
そんな思いから、これからの時代の人材ビジネスを担う新しい法人を立ち上げることを決意し、オイルショックから7年が経過した1980(昭和55)年8月21日、日総工産株式会社を設立しました(日総工営はその後、同社に合併されました)。
まさに満を持してのリスタートでした。
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日総工産 取締役(名誉会長)
1936(昭和11)年8月21日、神奈川県横浜市に生まれる。日本鋼管(現・JFEスチール)勤務を経て、1971(昭和46)年2月、日総工営株式会社(現・日総工産株式会社)を設立、代表取締役社長に就任。日総工産代表取締役社長・会長を経て、2019(平成31)年4月、取締役(名誉会長)に就任。社会福祉法人近代老人福祉協会 理事長。一般社団法人日本生産技能労務協会 名誉相談役(元会長)。
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(日総工産 取締役(名誉会長) 清水 唯雄)
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