1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

ジョブズがアップルに復帰したとき、真っ先に切り捨てたもの

プレジデントオンライン / 2020年4月7日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hudiemm

アップルは1990年代半ば、倒産寸前に陥った。再建のため呼び戻された創業者のスティーブ・ジョブズはそのとき何をしたか。アップルジャパンでマーケティングコミュニケーションを担った河南順一氏は、「コア事業だけを残し、ほかの事業から撤退する決断をした。レガシーを捨てて変革を求めたことが、復活につながった」と分析する——。

※本稿は河南順一『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■ディスラプションの第一歩はレガシーを捨てること

今ほどディスラプション/破壊的イノベーションが注目される時代はありません。AI、IoT、AR、量子コンピュータといった新たなテクノロジーが台頭する歴史的な転換期にいるのです。変革をしない選択は、すなわち衰退を意味します。一方で苦難を避けられないことは、ディスラプションにまつわる冷徹な真理です。

ディスラプションの第一歩はレガシーを捨てることです。レガシーとは、先人が築いた物理的、精神的遺産のことであり、企業活動においては「業界の慣習」「組織の慣習」「ビジネスモデル」など、あらゆるものが該当します。時代後れになった資産。それがレガシーです。

1997年、倒産寸前だったアップルに創業者のスティーブ・ジョブズが復帰したとき、矢継ぎ早に行ったのはまさにレガシーを捨てることでした。スティーブはまず、コンピュータとOSというコア事業だけを残し、それ以外の事業部と製品群を片っ端から切り捨てました。かつてアップルはプリンタ、サーバ、モニタ、デジタルカメラ、アプリケーションソフトウェア、各種アクセサリなど、コンピュータ関連の製品を幅広く扱うメーカーでしたが、それらをバッサリ捨てたのです。

■コンシューマ市場から一時撤退を決断

主力のコンピュータ事業も大掛かりな整理が行われました。当時はパーソナルコンピュータの製品ラインだけでも11のプラットフォームがあり、スペックが同じマシンなのに異なる販売チャネルで製品名を変えて販売しているものもありました。それをスティーブはデスクトップとポータブル、プロ向けとコンシューマ向けの4プラットフォームに収斂させ、さらに、不良在庫が大量に発生して立ち行かなくなっていたコンシューマ市場から一時的に撤退することを決断。プロ向けのMacの開発と販売にリソースを集中させたのです。

大半の事業を切り捨てたことは1998年に発売されたiMacの成功に結びつき、その後の長期的成長や冷え切ったパソコン市場の再生につながることになりました。変革には、傷を負う覚悟が必要です。もし、痛みを伴わずに変化を遂げているのであれば、妥協や保身が隠れていることを疑う必要があります。失うものがないようにと考える前に、「最高のもの」を目指して前進しなければなりません。

■マーケティングはジョブズ直轄管理に変更

スティーブ復帰後には大幅な組織改革も行われました。特に大きな変化があったのがマーケティングチームの体制です。事業部単位、もしくは国単位のマーケティングチームにかなりの裁量権が与えられていた従来の体制をやめ、本社にワールドワイド・マーケティング・コミュニケーション(WWマーコム)という、「ブランド」「広告」「広報」「イベント」「コラテラル(制作物)」「ウェブ」の6チームからなるグループが新設されたのです。社内のあらゆるマーケティングコミュニケーション活動は、スティーブ直轄チームが一元管理することになりました。

マーケティング活動をWWマーコムチームとして1つに束ねるのは、広告代理店を絞り込むことを意味しています。それまで各国のマーケティング部隊はローカルの広告代理店を起用して独自の広告を作っていましたから、国や製品によって広告のテイストはバラバラ。これではまともなブランド構築ができるわけがありません。

■広告代理店もベンダーも対等なメンバー

スティーブ復帰に合わせてアップルの広告は、天才クリエイターでスティーブの友人であったリー・クロウ率いるシャイアット・デイが担当することになりました。シャイアット・デイは1984年にMacintoshが登場したときに、スーパーボウルで放映された伝説のテレビCM「1984」を制作した広告代理店。スティーブの復帰に合わせてかつての黄金コンビが復活したのです。

河南順一『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)
河南順一『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)

当時、私が一番驚いたのは、広告代理店の社内での位置付けです。通常、企業が広告代理店と仕事をするとき、そこにはある意味で主従関係があります。しかし、新体制においてリー・クロウはブレーン役としてスティーブを支えることになり、私たちアップル社員も彼を「ブランドの参謀」として尊敬していました。そしてアップル社員と広告代理店のメンバーは、対等なWWマーコムのメンバーとして一枚岩になって協働しました。

主従関係をなくしたのは広告代理店だけではありません。PRエージェンシーやプロモーション用のコラテラルを制作するベンダーのメンバーも同様です。皆がビジョンと理念を共有し、それぞれの専門性と才能を発揮して戦略を実行する仲間でしたから、アップル社員・ベンダーの隔たりなしでメンバーが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をする光景は日常茶飯事でした。

長年マーケティングに携わってきた私にとってそれは新鮮な体験でしたが、強烈なビジョンを持つリーダーと、できる限りフラットな実行部隊がいたことが、Think differentキャンペーンの成功要因の1つであると思っています。

■販売チャネルのリエンジニアリングを断行

アップルが倒産寸前に追い込まれた原因は非常に複合的ですが、決定的な打撃を与えたのはコンシューマビジネスの失敗でした。パーソナルコンピュータ市場は成長期を脱していたにもかかわらず、ビジネスモデルとチャネル構造が一切変わっていなかったのです。

販売チャネルとサプライチェーンの抜本的なリエンジニアリングは至上命題でした。初代iMacの発表後、日本でも販売チャネルのリエンジニアリングが実施されました。1990年代半ばの日本市場では、アップル製品を扱う販売店は3700店を超え、それを束ねる1次店が40社もありましたが、販売チャネルを整理。ディストリビュータを4社に絞り、新規チャネルを構築して100のiMac販売店とあらたな契約を結び、各店舗へアップルから直接製品を配送するモデルに切り替えたのです。

■売上ダウンも覚悟の上で販売チャネルを変更

改革にあたっては、当然のことながら従来の販売店側から大きな抵抗がありました。「iMacが扱えないなら、アップル製品は売らない」というものです。パラダイム転換の先に「安定」というパラダイスは保証されません。修羅場はディスラプションのサブセットです。

はたして、日本におけるアップル製品の売上は、従来の販売店側の宣言通り大幅に減少したのです。従来から、日本の販売チャネルに不利な状況が生じる改革を行うと、「今年は売らない」と販売店側が日本のトップを威嚇して変革が阻まれるという構図がありました。当時全世界の1割を売っていた日本市場での売上が極端に減るのは、アップルのグローバルな業績にも大きな痛手となったからです。

ここでアップルの日米トップがディスラプターの真骨頂を発揮しました。スティーブとアップル日本法人の原田泳幸社長が、破壊なくしてアップルの未来の創造はないとの不退転の覚悟で、あえて売上ダウンを想定のうえで販売チャネルのリエンジニアリングを実行したのです。

こうしたバリューチェーンの一新は、iMacに不可欠でした。というのもiMacの成功要因はデザインとブランドとマーケティングにもありますが、17万8800円という当時としては破格の値段が大きな要素だったのです。それを実現するためには緻密な計算と戦略が必要であり、チャネル・リエンジニアリングはその中で最も重要な要素でした。

■「作用する」者としての意思を持つ

最高のものづくりを追求するオブセッションと、妥協や迎合は相容れないものです。人の「事情」や「都合」ばかりを考えていては、最高のアイデアは生まれません。また、ストレスや不安のないコンフォートゾーン(快適な空間)に革新は生まれません。何かを新しくすることや変化が起きることに人間は抵抗するものです。

イノベーションを起こすには、「失敗」を容認するカルチャーがその組織になくてはならないとよく耳にします。そもそも、お膳立てができるのを待って行動を起こす人が、オブセッションを抱くことはないでしょう。そういう人に「最高のもの」が作れるとは思えません。

最高のものを作るのは、失敗が許されるのか許されないのかという「作用される」側に立つのではなく、「作用する」者としての意志を持って不退転の覚悟で臨む姿勢が必要になります。もし、自分自身が保身にとらわれ、前進することに迷いと恐れを抱いているようであれば、それを断ち切ることから始めなくてはなりません。

作用する者となるための方法はいくつかあるはずですが、取っ掛かりを作るシンプルな方法が1つあります。最高のアイデアの提案とともに、「進退伺書」をしたためるのはどうでしょう。自身の覚悟の度合いを測ることができ、前進するに際しての迷いが消えます。ディスラプションは、信念を強固にして恐れを乗り越え、最初の一歩を踏み出す勇気を持つことから始まることを忘れてはなりません。

----------

河南 順一(かわみなみ・じゅんいち)
同志社大学大学院ビジネス研究科 教授
マーコムシナジー源 代表取締役。同志社大学商学部卒業、アリゾナ州立大学W.P. Carey School of Business MBA修了。日本マクドナルド、アップルジャパン、すかいらーく、サン・マイクロシステムズ、モービル石油等に勤務。アップルで“Think different”を掲げたブランド戦略の展開、マクドナルドでCEOコミュニケーションの一新を担うなど、ブランド再生や企業イメージの刷新に勤しんできた。

----------

(同志社大学大学院ビジネス研究科 教授 河南 順一)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください