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「コロナ拡散は死刑」と中国の裁判所が勝手に決められるワケ

プレジデントオンライン / 2020年5月1日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/studiocasper

中国・黒龍江省の高等裁判所は今年の1月末、新型コロナウイルスを故意に拡散した者に、最高で死刑に至る厳しい刑事罰を科す方針を発表した。中国法研究者の高橋孝治氏は、「中国では人民を喜ばせて人気を取るための『劇場的法システム』とでも呼ぶべきメカニズムが存在すると考えることができる」と指摘する——。

■なぜ「超法規的」判断が珍しくないのか

中国の法システムにおいてはしばしば、西側の国々から見れば首をかしげたくなるような事象が見受けられます。端的にいえば、「法の規定に基づいて公平な判断を下す」というよりは、中央なり地方なりの司法当局が実現したい「結果」が先にあり、そのために法を自在に解釈/運用したり、場合によっては「超法規的」な判断が行われることも珍しくありません。

例えば最近、黒龍江省の高級人民法院(日本の高等裁判所に相当)では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大防止を妨げる行為に対し、最高で死刑に至る厳しい刑事罰を科すという「緊急通知」を発表しました(*1)

それによると、故意にウイルスを拡散し、公共の安全に危害を与えた者には、刑法114条、第115条1項の「危険な方法で公共の安全に危害を与える罪」が適用され、最高刑は死刑。検疫や強制隔離を拒否して他人にウイルスを感染させた者は、最高懲役7年の「過失による危険な方法で公共の安全に危害を与える罪」(刑法115条2項)を科されます。

また、新型コロナ関連のデマを捏造(ねつぞう)したり、デマと知りながらそれを拡散した者は、刑法291条により15年以下の懲役に処される可能性があります。この規定は中国人はもちろん、現地に滞在する外国人にも適用されます。

■司法権と立法権の境目があいまい

既存の法を新しい状況にどう適用するかということ自体は、どこの国でもしばしば議論になります。西側の国々であれば、立件を担当する検察当局が「この案件にはこの法律が適用できる(よって違法行為である)」と主張し、裁判所がその可否を法に沿って判断するのが一般的でしょう。そして既存の法がカバーしていない部分については、必要であれば立法府が法改正なり新法の制定なりで対応することになります。

高橋孝治『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』(明石書店)
高橋孝治『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』(明石書店)

しかし中国では、中央ではなく一つの省の高等裁判所が、独自に処罰基準を制定できるのです。西側諸国の基準から見れば、検察と裁判所、司法権と立法権の境目があいまいで、「法の支配が成立しているのか?」と問いたくなる事例といえるでしょう。

しかし、中国は単なる「無法地帯」ではありません。一見するとしたい放題に見える中国の司法システムが、実は一定の法理論に基づいているという考察を、筆者は自著『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』で行っています。

日中の人的・経済的つながりが深まる中、中国の法システムの「常識」を知っておくことは、日本人にとっても重要だと考えます。以下、上記書で述べた内容に沿いつつ、中国の法理の基本について考えてみましょう。

■近代法の体系とは異なる中国特有の法則

中国にとっての「法」が、日本をはじめとする西側諸国の「近代法」とは異なる発想を持っていることは、中国法研究者の間では一定のコンセンサスになっています。世間では中国法を近代法と比較して「遅れている」と評価する向きもあるようですが、学者の中には「先進・劣後の関係ではなく、近代法と発想の構造を異にするだけだ」と主張する人もいます。

かつて中国では、憲法上法律の執行について監督を行う最高人民検察院監察局長が、自らのメンツのために、将来自分のライバルになるであろう別の検察幹部を法的根拠なく監禁し、してもいない犯罪を自白するよう迫った事件が発生したことがありました。「法律の執行を監督する」立場にある者が起こした事件である以上、これは一司法幹部が勝手に起こした事件ではなく、「このような事件が起こりうるのが中国の法システム」であり、国家の運用もそれに沿って行われていると考えるべきです。

■中国の法運用を理解するための四つの要素

これまでにも中国の法律は、その文言通りの運用がなされていないことについて、しばしばその理屈付けが考察されてきました。中国の超法規的措置について過去に提唱されてきた理論としては、1.政策の法源性、2.敵・味方の理論、3.非ルール的法、4.非公開の法、などがあります。

1.政策の法源性 中国では政策にも法的効力があり、さらに政策が法律より優先されることが一般的です。

2.敵・味方の理論 中国では、「人民(=中国共産党の指導に従う者)」以外には一切の権利を認めない(=不当に拘束を受けない権利なども含む!)という構成が取られています。国民を「人民」と「人民の敵(人民でない者)」に分け、異なる対応をするこの手法を「敵・味方の理論」と呼びます。

3.非ルール的法 制定法があってもそれを根拠にした裁判は行わず、「法律効果」より「社会効果」を重視する裁判官自身の判断によって裁きが進み、その結果が後に立法者によっても追認されることによって制定法になるという「法」の発想です。これは「一つ一つの事案についてまともな人間が公平な立場に立って一生懸命考えれば、行き着く結論は大体同じものになるはずだ」、あるいは「当該問題についての『誰もが認める一つの正しさ』=『公論』というものが必ずあるはずだ」という考えが前提にあります。この非ルール的法は、清代中国法をモデルに構築された理論ですが、現在の中国にもこのような「法」が残存しているとの指摘があります。

4.非公開の法 中国では政策にも法的効力が認められることはすでに述べましたが、さらに「紅頭文件」と呼ばれる、外部には公開されない政策文書が存在していることも明らかになっており、これが「非公開の法」として機能しているという指摘があります。

冒頭で紹介した「新型コロナウイルスを故意に他人に感染させるような行為に対し、地方の高等裁判所が独断で、最高刑が死刑となるような独自の処罰基準を示す」ケースは、3.の「非ルール的法」の発露といえるかもしれません。一方で、最高人民検察院監察局長がライバルを法的根拠なく監禁した事件は、上の四つのどの原理を使っても正当化しえません。

■人民を観客に見立てた「劇場」としての法システム

ここで筆者は、中国の法治にもう一つの特徴、すなわち「劇場的法システム」とでも呼ぶべきメカニズムが働いているのではないかという論を立てたいと思います(*2)。「民」を「劇場における観客」とし、「官」を「劇場における演者」とすれば、「中国政府にとっての法」は、「劇場内での現象」と同じ構造になっているといえるのではないでしょうか。劇場を運営する「一座」は、言うまでもなく中国政府や中国共産党であり、その目的は「観客」を喜ばせて人気を取り、「一座」が解散しないようにすることです。

つまり中国の司法当局としては、「民」(劇場における観客)から拍手をされるような「演劇」ができればそれでいいのであり、「民」には見えない「官」のみの世界(司法関係者同士のやりとりや法解釈など)は劇場における「楽屋」のようなもので、その中で何が起こっていてもかまわないという構造があるのではないか、ということです。

「民」(劇場における観客)から拍手をされるような「演劇」の例としては、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が蔓延(まんえん)した際、感染防止の観点から休業を命じられた遊興施設が、テナント先から家賃支払いを請求された民事裁判が挙げられます〔判決番号:(2004)瀘二中民二(民)終字第354号〕。このとき人民法院の示した判断は、「当該遊興施設は売り上げがないため、不動産賃貸借契約があっても、家賃の支払いを休業期間である3カ月分免除することが社会的公平に沿っている」というものでした。

休業で売り上げがない時期に、家賃の支払いが免除されるというのは、まさに「民」からすれば称賛したくなるような判断です。このとき「観客」の中には、家賃収入を期待していた大家という、遊興施設とは相反する利益を持つ者もいたわけですが、「家賃の支払いに苦しむ賃借人」の方が「劇場」内に多いなら、多勢に喜ばれる「演劇」を行うのは当然のことです。

■スキャンダルが出ても「名優」は守られる

時には「民」という観客と仲良くなった演者(「官」)が楽屋内部のことを話したり、一部の観客が「楽屋」に紛れ込んで、その内部を見てしまうことも起きます。「政府内部の不祥事が明るみに出る」のはそんなときですね。

楽屋裏を見た「観客」は、「一座」(中国政府や中国共産党に相当します)やその看板を張る「名優」(大物幹部)に対して激怒しますが、たいていの場合「一座」は「観客」の怒りに耳を貸さず、ただ「観客」がそのスキャンダルを忘れるのを待ちます。なぜなら、「一座」の「名優」の人気の低下は、「一座」の存亡に関わるからです。スキャンダルが発覚した「名優」についての宣伝を一座がそれまで以上に並べて、「観客」の記憶が薄れるよう積極的にアプローチすることもあります。

■運営側の都合で「アドリブ」も大アリ

時には怒った「観客」が、上演中の「演劇」を妨害することもあります。そんな「観客」は「劇場」の警備員にとがめられて「楽屋」へ連れていかれます。すると、「観客」だったはずのその人物に対しては、連れていかれた「楽屋」という「他の観客には見えない」場所で、法律によらない行為が許されるようになります(敵・味方の理論)。

こうした「劇場的法システム」というとらえ方は、中国の超法規的措置に関するこれまでの説明ともうまく結合できるように思われます。

さて、「中国政府の法認識」が劇場内の現象と同質だとすると、法律とは何に相当するのでしょうか。中国には先に述べたように、法律より優先される政策や非公開の法などが確かに存在していますが、大部分は法律の条文通りに運用がなされています。そして、法律は一般に活字形式で公開されています。

「観客」に公開されている法律とは、「劇場のパンフレットに書かれている演劇のあらすじ」に相当します。しかし、上演中に「舞台監督」(中国の国家首脳や中国共産党幹部に相当する)がより「観客」が満足するような「演出」(政策)をとっさに思いついた場合は、パンフレットに書かれているあらすじ(「法律」)を別の内容で上書きすることができるのです。中央の政策には「一般に公開される」という特徴がありますので、いわば「パンフレットに添付される訂正表」のようなものです。

また、「演者」(地方の党幹部や裁判官など)が、「観客」が喜ぶ「アドリブ」を思いついて実行することもあります。こちらも評判が良ければ次回以降の公演時にも使われますが、政策とは異なり必ずしも成文化はされず、いわゆる「非ルール的法」として効力を発揮していくことになります。

■中国における「真の法」を見極めよ

中国では成文化された法律だけでなく、「政策」や「非公開の法」を含めた規範が、さまざまな国家活動の根拠となる「真の法」として機能しています。その真の法こそが、中国を「劇場」に、さまざまな法的現象や国家活動を「演劇」に見立てた場合の「台本」に当たるといえるでしょう。「真の台本」の一部は、一般には公開されないのです。

本稿では、中国という国家を「劇場」という形でモデル化し、その舞台裏をある程度見ることに成功したように思われます。中国共産党政権が今後も「観客」を喜ばせて人気を取り続けることができるのか、今後の動向にも注目が必要でしょう。

新型コロナ禍の後も中国と付き合い続けるほかないであろう隣国の住人としては、引き続きなるべく多くの事例を分析し、中国における「真の法(劇場における台本)」を推測していく作業が必要といえるかもしれません。

(*1)「最高死刑!保障打赢“战疫”,黑龙江高院严打涉疫情防控相关刑事犯罪!」(2020-01-31)
  (*2)『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』(明石書店)第8章 「中国における劇場的法システ
    ムという試論」 より
 

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高橋 孝治((たかはし・こうじ))
立教大学 アジア地域研究所 特任研究員 韓国・檀国大学校 日本研究所 海外研究諮問委員
日本で修士課程修了後、都内社労士事務所に勤務するも退職し渡中。中国政法大学 刑事司法学院 博士課程修了(法学博士)。台湾勤務を経て現職。研究領域:中国法・台湾法。行政書士有資格者、特定社労士有資格者、法律諮詢師(中国の国家資格「法律コンサル士」。初の外国人合格)。著書に『ビジネスマンのための中国労働法』(労働調査会、2015年)、『中国年鑑2018』〔共著・中国研究所(編)、明石書店、2018年〕など。「時事速報(中華版)」(時事通信社)にて「高橋孝治の中国法教室」連載中。

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(立教大学 アジア地域研究所 特任研究員 韓国・檀国大学校 日本研究所 海外研究諮問委員 高橋 孝治)

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