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「私がきれいにすればいい」東京メトロ"最年長清掃員"は怒らない

プレジデントオンライン / 2020年5月1日 11時15分

撮影=永井浩

あなたの職場の「最年長社員」はどんな人だろうか。東京メトロ銀座線渋谷駅の最年長清掃員、畠山敬子さん(70)は「働いて苦労が少ない人生ではなかったけれど、やっぱり東京に出てきてよかった」と話す。連載ルポ「最年長社員」、第1回は「駅清掃員」——。

■独立し一人で歩んで行こうと決めた女性を導いた“師匠”

駅はさまざまな人生が交錯する場所だ。

日頃は、駅頭ですれ違う大勢の人たちがいったいどんな人生を歩んでいるのかいちいち関心を持つ余裕はないが、アクシデントやトラブルをきっかけにかかわりが生まれると、突如、相手の背後に家族や勤め先の同僚が存在することを知らされる。夢や悩みを抱えたひとりの人間であることに気づかされる。駅とはそんな場所である。

佐藤静(54・仮名)がメトロセルビスで働くことになったきっかけは、いわゆる熟年離婚だった。メトロセルビスとは、東京メトロ駅の清掃と警備を請け負っている東京メトロの系列会社である。

離婚の理由や条件を詳しく聞き出すことはできなかったが、佐藤は二年前、当面の人生をひとりで生きていかざるを得なくなった。鮮やかなブルーと水色の二色で構成された制服に身を包んだ佐藤は、いまだに主婦らしい雰囲気をたたえた女性である。

「以前、パートで接客や販売の仕事をしたことはありましたけれど、清掃の仕事は初めてなので体がきついです。セルビスは本体のメトロがあって安定しているから、ここで長く働きたいのですが、それには健康管理がとても大切だと思っています」

50代になるまで主婦だった女性がいきなり自分の収入だけで暮らしていくのは心細いと思うが、ひとりの“師匠”の存在がそんな不安を払拭してくれたという。明治神宮前連絡所(明治神宮前駅、表参道駅、渋谷駅、北参道駅、代々木公園駅を管轄)に所属するメトロセルビスの最年長社員、畠山敬子(70)である。

■師匠には「研修中一度も怒られたことがない」

畠山も佐藤も特定職社員という身分であり、定年は70歳。特定職社員は日給制でメトロ本体と同じ福利厚生を利用できる。求人情報によれば日給は8350円。そこに経験年数による加算給やトイレ掃除の加算が上乗せされ、週休2日・実働22日で20万前後の収入が見込める。佐藤が言う。

「入社すると配属先で1カ月の研修を受けますが、私は当時副主任だった畠山さんに5つの駅をひと通り回る現場研修を担当していただきました。畠山さんはいつも穏やかで高圧的なところがまったくなくて、研修中一度も怒られたことがないんです。作業の手順はもちろんですが、日常の立ち居振る舞いにも教えていただくことがたくさんあって、この仕事を続けられそうだと思えたのは、畠山さんがいてくださったからなんです」

取材場所の東京メトロ半蔵門線永田町駅事務所に現れた畠山は、師匠という言葉からくるイメージとは裏腹に、くりっと目が大きく、どこかきょとんとした表情の女性である。小柄だが指が太い。

セルビスの仕事がなかったら、佐藤と畠山の人生が交差することはなかっただろう。

■「家にいてもつまらない、とにかく働きたい」

畠山敬子は1949年(昭和24年)、秋田県北秋田郡で生まれている。5人兄弟の4番目。父親は営林署に勤務して国有林の管理をしていた。

「きょうだいが多かったから家計は厳しかったかもしれませんが、子供の前でそういう素振りは見せませんでしたね」

地元の中学を卒業すると和洋裁の専門学校に2年間通い、17歳のとき金沢の繊維会社に就職した。体調を崩して金沢の会社を退職ししばらく秋田の実家に戻っていたが、畠山は子供のときからずっとある疑問にとらわれていたという。

「親がぜんぜん怒らないんですよ。あんまり怒られないもんだから、私、もらわれっ子じゃないかって疑っていたんです。怒ると継母だってことがバレるから、怒らないんじゃないかって」

最年長社員
撮影=永井浩

24歳のとき、東京で仕事をしている秋田出身の男性と見合いをして結婚。上京して葛飾区で暮らすことになった。相手は金属にメッキ加工をする工場で働いていた。

「秋田は寒いから、東京に行きたかったんです」

2人の子供に恵まれ、子育ての最中はパートに出て教育費を稼いだ。夫は酒好きだがギャンブルはやらない「まじめなダンナさん」。金に困っていたわけではないが、家にいてもつまらないからとにかく働きたかった。

■特にこだわりはなく駅清掃員の仕事を選んだ

フルタイムで働くようになったのは、子育てが終わった平成5年、東京ステーションホテルにメイドとして雇われてからである。

メイドとはベッドメイキングと客室の清掃をするスタッフのこと。畠山はステーションホテルで13年間働き、後半の6年間はチェッカーを務めた。

チェッカーとはメイドが仕上げた客室に不備がないかをチェックする指導者的な役職であり、セルビスにおける副主任と似ていなくもない。畠山は人にものを教えるのが得意なのだろうか。

平成18年にステーションホテルの改装が始まり、仕事がなくなった。その後、畠山はセルビスに入社するのだが、駅の清掃の仕事を選んだことに特段の理由はないという。たまたま、夫がセルビスの採用面接を受けたのがきっかけだ。結局、夫は入社しなかったが、体を動かすのが好きなので自分も受けてみようと思ったという。

「3月末で退職するのでもう副主任は交替したんですが、教えるという面では、反省してるというか、足りないところがあったなと思います」

セルビスの清掃スタッフは主に駅構内のトイレ、ホーム、階段、エスカレーターなどの清掃を行うが、場所によって使う器具も薬剤も異なる。それなりの知識と技術と経験が必要になる。

佐藤は、エスカレーターの手すりの内側のステンレス部分にこびりついてしまった汚れの落とし方を畠山に教えてもらったのをよく覚えていた。

「ステンレスにこぼれたアイスクリームとかジュースが乾いてしまうとなかなか拭き取れなくて……。私が困っていると、畠山さんが何度も上り下りしながら拭くんだよって教えてくれて、一緒にやってくださったんです。畠山さん、何でも器用にサッとやってしまうんですよ」

■「人のやり方が不完全でも、私がやればいいやって思っちゃう」

新人時代の佐藤にとって、畠山はまさに“お助けマン”だったようだが、なんでも卒なくサッと片づけてくれる存在が教育係として優れているかどうかはわからない。畠山が言う。

「私、人にきつく言える性格じゃないし、叱るよりも話せばわかると思うタイプかな。何度言っても覚えない人もいるけど、数をやってるうちに覚えると思うし、教えた人のやり方が不完全でも、掃除の仕事をしてるんだから私がきれいにすればいいやって思っちゃうんです」

メトロセルビスの最年長社員、畠山敬子さん
撮影=永井浩

筆者だったらストレスをため込んで深酒するか、ある日突然、怒りをぶちまけるかのどちらかだろう。

「私は人を恨むことも、怒ることもないですね。ストレスもないし、お酒も飲みません」

夫にイライラすることもないのだろうか。

「ああしろこうしろと文句を言わずに私の自由にさせてくれるし、一応、自分のものだけは洗濯してますね。掃除と食事は私がやりますけど、食事といったって簡単なものですよ。うちのダンナさん簡単な人なんで(笑)」

簡単な人、簡単な人生……。その内実がどのようなものなのか、畠山から見ればおそらく“めんどくさい人”に属する筆者には、まだよくわからない。

■トラブルがあり、駅のお店に助けを求めたが…

当たり前のことだが、東京メトロの各線は1年365日動いている。必然的に、セルビスも年中無休である。

トイレ清掃を担当する日は朝7時に出勤し、それ以外の日は8時半に出勤する。退勤は17時半。1日に1つの駅だけ担当することもあれば、午後から別の駅に応援に行くこともある。昼食は明治神宮駅構内の詰め所で、清掃スタッフ全員が集まって食べる。

「嫌いな人はいなかったから、仲間には恵まれたと思います。お昼もワイワイできて楽しかったですね」

メトロセルビスの最年長社員、畠山敬子さん
撮影=永井浩

10年間のセルビスの仕事のなかで最も印象的だったのは、某駅のトイレを清掃中の出来事だという。その日、女子トイレの清掃に入ると、個室の中から中年らしい女性が声をかけてきた。

「お掃除の方ですかという声がしたので、そうですと答えると、下着を汚してしまって外に出られないから買ってきてくれませんかというんです」

たまたまその駅には下着を販売している店があったので、畠山は掃除を中断してその店に走った。財布は持っていなかったが制服を着ているし、胸には社員証がある。信用して下着を渡してらえるものと思った。だが……。

「後で必ずお客様を連れてきてお金を払ってもらうからと言っても、お店の若い女性はダメだと言うんです。お客様を待たせているし、困ってるだろうなと思って、あのときは焦りました」

■楽しみはひとり、ファミレスでランチをすること

何度も頭を下げた末にようやく承諾してもらい、下着を渡すことができた。畠山はほっと胸をなでおろした。

後日、件の女性がお客様センターに感謝の電話をしてきたためにこの出来事は会社の知るところとなり、畠山は表彰を受けることになった。

「そのほかで覚えているのは、小学校高学年ぐらいの男の子がお母さんと一緒にトイレに入ってきて、お母さんこのトイレきれいだねと言ってくれたことですかね。やっぱり、自分がやった後はきれいだって思われたいから、手を抜くことはできませんね」

メトロセルビスの最年長社員、畠山敬子さん
撮影=永井浩

週に2日の休日は何をしているのだろう。

「ひとりでファミレスにランチを食べに行くんです。ランチを食べながら、置いてある雑誌を読みます。昔は友だちとカラオケに行ったり旅行に行ったりもしましたけど、この年になるとお金を使わせちゃ悪いからね」

■「退職は寂しい」それは仲間との別れというより…

70歳。退職を控えた最年長社員として、畠山はどのような感慨を持っているだろうか。

「最年長だからって特に……。でも、セルビスをやめるのは、ちょっと寂しいものがありますよ」

やはり仲間と別れるのは寂しいのだろうか。

「いやそうじゃなくて、体が丈夫な内は働きたいと思っているんですよ。私、仕事はなんでもいいから74歳ぐらいまでは働きたいんだけど、70歳で再就職となると1日、2~3時間の仕事しかないでしょう。仲間との別れも寂しいけれど、74歳くらいまではフルタイムで働きたいんですよ」

メトロセルビスの最年長社員、畠山敬子さん
撮影=永井浩

メトロセルビスの定年は65歳となっている。ただし、定年後も引き続き勤務することを希望する社員については、特段の事情がない限り、70歳まで再雇用することが認められている。会社に問い合わせたが、70歳という線引きに特にはっきりとした理由はないという。ならば、体力が続く限りセルビスで働き続けてもいいような気がするが……。

夫も60歳でメッキ工場を定年退職になった後、70歳まで嘱託で働いたが、その間の給料はすべて自分で使っていた。畠山もセルビスの給与はすべて自分で自由に使っていたから、それが減ってしまうのが寂しいというのだ。しかし、週に1度か2度のランチ以外、お金の使い道はないはずだが……。

「だって、いつ施設に入ることになるかわからないでしょう。子供に迷惑かけたくないしね」

■底抜けの穏やかさの正体

徐々に、畠山は他者に求めるものが極端に少ない、恐ろしく自己完結した人物であるように思えてきた。唐突だが、昔、ある宗教家に聞いた言葉を思い出した。

「仏教では人生を苦と見ますが、人間にとって最大の苦とは他者を変えようとすることです」

畠山が他者に怒りや嫌悪を覚えることが少なく、人間関係の中でストレスをため込まないのは、彼女が他者を変えたいという意識をまったく持っていないからではないだろうか。人生の窮地にあった佐藤には、それが穏やかさ、優しさと映ったのではないか。

メトロセルビスの最年長社員、畠山敬子さん
撮影=永井浩

「私は楽天的で、あんまり深くものごとを考えないんです。働いて働いての人生だったけど、苦に思ったことはないし、やっぱり東京に出てきてよかったし、健康な体を与えてくれた両親に感謝しかないですね。ああ、私、演歌のコンサートには行きますよ。2カ月に1回ぐらい。天童よしみとか、島津亜矢とか、川中美幸とか」

畠山は、自分の言葉に驚いたようにほほ笑んだ。

「私の人生に、楽しみってあったんですね」

(※記事中の人物の所属等は、2020年3月現在の情報です)

連載ルポ「最年長社員」、第1シリーズは全5回です。5月1日から5日まで、5日連続で更新します。第2シリーズは6月に展開予定です。

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山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』(朝日新聞出版)などがある。

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(ノンフィクションライター 山田 清機)

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