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なぜベテラン整備士は自分が整備した飛行機に乗れなくなったか

プレジデントオンライン / 2020年9月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SolStock

仕事のささいな失敗が原因で、パニック発作を伴う「消耗性うつ病」に陥る人がいる。精神科医の遠山高史氏は、「安心安全を過度に追求する社会に原因がある」という――。

※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■ささいな事故がきっかけで出社不能に

定年で公立病院を辞め、3年前に都心から30分ほどのJR駅近くに心療医院を開いた。毎日驚くほどたくさんの悩める人が訪ねてくる。開院してから数カ月で、医師も看護師も足りなくなった。

心の悩みは人それぞれだが、最近WHOが、世界でうつ病を病む人が3億2000万人を超え、10年前より18%増えたと発表した。アジアの途上国でもうつ病が急増しているそうだ。ご多分に漏れず、我が医院もうつ病が多い。

50歳ぐらいの暗い表情をした、航空機の整備会社のベテラン技術者がやって来た。

彼は自分が整備した飛行機に乗れないことを非常に恥じていた。乗ろうとするとめまいや動悸、不安にかられるパニック発作が起きるようになっていたのだ。かかる有り様は乗る人にはなはだ失礼な話だから、誰にも言えない。死んでお詫びするしかない、と漏らす。

この数カ月で5キロも痩せたが、それでも最近まで、何とか出勤していた。ところが、2日前に、ついに朝からめまいや動悸、不安の発作が起きるようになり、出社できなくなった。

少し以前に飛行場の中で運搬用の車を標識にぶつけてしまったことが、きっかけのようだ。破損はわずかで修理もいらない程度のものだったが、気分は激しく落ち込んだ。

日頃は、飛行場内での運転を指導する立場であったが、あろうことか自分が事故ってしまったのだ。これが、ひどい自信の喪失につながった。自分が整備した飛行機に乗れなくなっていたことがばれるのではないかと不安にかられた。

なぜ、些細な事故で落ち込むのか。もともと滅入りやすいタイプだから。そうした説明もあながち間違いではないが、かなり前から彼の精神は疲弊し切っていた。

■「逃れられない恐怖」がやってくる

食品や化粧品に異物が混ざれば、膨大な品物の回収作業だけでなく、すべてのラインの点検が必要になる。まして航空機の場合、ビス一つでも紛失すれば、点検作業は際限がない。

1年ほど前に、修理工場から機密扱いの部品が盗まれるという事件があった。その時の捜索、点検、各機関への報告、謝罪に加え、再発予防の会議や現場確認、各種書類作成などに莫大な時間を費やした。

当時修理のリーダーであった彼の睡眠時間は極限まで削られ、以前にも増して、おびただしい数の監視カメラが取り付けられることになった。

持続する緊張と慢性的睡眠不足が、彼の精神を崖っぷちに追い込んだ。しかも、この地獄から、にわかに逃げ出す術がなく、彼はパニック発作を伴う消耗性うつ病と診断された。

パニック発作は単独でも起こるが、病理的にはうつ病とあまり変わらず、うつ病と併発することが多い。こういう人は、飛行機どころかおちおちエレベーターや電車にも乗れない。

医学用語では「広場恐怖」というが、にわかに逃げ出せない場所にいると、自律神経の大混乱が起きるのだ。反対に速やかに逃げ出せる場合は、パニック発作は起きない。

文明社会に生きる人は交通手段として飛行機や電車に乗ることを免れない。

そもそも、かのまじめな整備士は会社から逃げられるであろうか。彼は飛行機だけでなく、会社から逃げられないため、出社しようとするだけでパニック発作を起こすようになってしまった。

文明とはさまざまなルールを決め、そのルールに従うことで安心安全を保障するものである。その一方で過度の安心安全の追求が、人々を逃げられない場所に縛りつけ、パニック発作を伴う消耗性うつ病へ追いやるのではないか。私にはそう思えてならないのだが。

■「新人指導が厳しすぎます」

結婚式場で働く40過ぎの女性が沈んだ面持ちでやってくる。

勤続15年のベテランで長らく新人の教育係を任されてきた。しかしある時、30歳くらいの新人女性に研修をしたところ、その新人がすぐに辞めると言い出した。彼女の指導が厳しすぎて到底ついていけないと彼女の上司にメールで訴えたのだという。

彼女は上司に呼ばれ、パワハラで訴えられかねないからと新人教育の役職を外された。

今まで何のトラブルもなくやってきたことのどこが間違っていたのか。納得がいかなかったが、上司はもう時代は変わったのだと彼女に告げた。

会社のため長年、真面目に努力してきたことへの評価の言葉もなかった。問題化を恐れる上司から注意を受けた彼女は自信を喪失し、ひどく落ち込み、うつ状態となった。

不本意でも会社を辞めるわけにはいかない。ずいぶん前に離婚しており、一人息子の教育費のため必死で働かざるを得ず、母親の介護を兄や妹に代わってやっている。

その疲れから少々いら立っていたかもしれない、と彼女はいう。

PC関連の資格を持つ新人は、事務職に就くことを望んでいたが、彼女はまず、自分が新人だった時と同じように会場の整備やテーブルの配置、式に必要な小物の準備などについて指導した。そのことも新人女性には大きなストレスになったようだ。

いったい、それを時代が変わったとは、どういうことだろうか。

■学校は大した事実確認もせず…

こんな例もある。少し知的能力が低く、特別支援学級にいる6年生の男の子の親が突然、学校から呼び出された。

女の子につきまとい猥褻行為をしようとしたので、今後は電車での登下校時に親が付き添うか、あるいはルートを変えるようにと言われたのである。

彼が帰りの電車に乗りこんだ時、電車はガラ空きで、座席の端に同じくらいの年ごろの女の子が座っていた。彼はその子の隣に座ったのである。空席だらけの電車であえて女の子の横に座ればあらぬ嫌疑をかけられる恐れはある。

その女の子は彼の名札を見て記憶し、つきまとわれたと父親に報告したのである。

二つ先の駅で彼女は降り、彼はその後をつけたわけでもなかったが、父親は彼の通う学校の校長に「娘に彼を近づけるな」と強く抗議した。

「猥褻行為をしようとした」という訴えは言いすぎだった可能性もあるが、学校は大した事実確認もせぬまま登下校時の付き添いを言い渡した。こっぴどく親に叱られた彼は以後部屋に引きこもり、学校に行こうとはしなくなった。

■人を追い詰める「性悪説」という風潮

件の教育係の女性や支援学級の男の子が一方的に制裁を受けたのはおかしくないだろうか。

遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)
遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)

ある法律家に尋ねると、こちらが意図していなくても相手にそのように受け取られれば問題とされ得る、とのことだった。時代が変わったとは性善説から性悪説に人の理解が変わったということか。

外来には、うつに悩む人が多数やってくる。原因はさまざまだが、恋人に死なれた、ひどい災害に遭った、同級生に殴られた、というケースは少ない。

ここに示した事例のように意図しないことで針小棒大に非難され、それを呑まざるを得ない状況が引き金になることが少なくない。

深層心理学的に、うつ状態とは我慢が行きすぎ怒りを外に出せなくなった状態をいう。日本は平和や豊かさを謳歌してきたが、学校や職場では、性悪説に基づく他罰の風潮が吹き荒れている。その中で行きすぎた対応によって濡れ衣を着せられ、うつに陥る人も多いのだ。

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遠山 高史(とおやま・たかし)
精神科医
1946年、新潟県上越市生まれ。すぐに東京に移り、そこで成育する。千葉大学医学部在学中に、第12回千葉文学賞受賞。大学卒業後は精神病院勤務を続け、1985年より精神科救急医療の仕組みづくりに参加。自治体病院に勤務し、2005年より同病院の管理者となる。2012年、医療功労賞受賞。2017年、瑞宝小綬章受章。自治体病院退職後、2014年に桜並木心療医院を開設。現在も診療を続けている。46年以上にわたり臨床現場に携わった経験を生かし、雑誌『FACTA』(ファクタ出版)にエッセイを連載中。著書に『微かなる響きを聞く者たち』(宝島社)、『ビジネスマンの精神病棟』(JICC出版局。のち、ちくま文庫)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)など多数。千葉県市原市で農場を営み、時々油絵も描いている。

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(精神科医 遠山 高史)

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