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「ハンコ廃止はハンコのためだけに非ず」日本の押印文化が抱える本当の問題点

プレジデントオンライン / 2020年10月9日 18時15分

グループインタビューに答える河野太郎行政改革担当相=2020年10月1日、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

■「脱ハンコ」は日本のダイナミズムを高めるのか

現在、河野太郎行政改革担当相が、行政手続きの「脱ハンコ」に向けて取り組んでいる。同大臣は、9割以上の行政手続きでハンコの使用を廃止できると述べた。政府が時代遅れの押印文化の慣習を改め、新しい組織文化を社会に根付かせようとすることは、社会の古いシステムを改革する意味でとても重要だ。

ある意味、押印文化はわが国社会の象徴だ。それは、人々の行動や意思決定に無視できない影響を与えてきた。企業などでは役職の低い者から順に右から左へ印鑑を押し、組織的な合意を形成する。ただし、押印による合意形成の結果として責任の所在が曖昧だ。

テレビドラマで、銀行経営などに問題が発生した際に組織のトップではなく、ミドルや末端が責められるのは、そうした人々の価値観、生き方を端的に示す。

そう考えると、政府が率先して行政手続き上の押印を廃止しようとしていることは重要な意味を持つ。何事も、新しい取り組みを進めるためには強力なリーダーシップと具体的な取り組み策の明示が欠かせない。押印廃止など河野大臣の行政改革を皮切りに、わが国に新しい文化が根付き、社会全体のダイナミズムが高まることを期待する。

■押印のために出社する本末転倒な人々

押印はわが国の文化の象徴だ。文化とは、人々の生き方を意味する。思い浮かべてみると、わが国では個人の日常生活からビジネス、行政など多くの場面で“ハンコ”を所定の紙に押すことによって、確認、合意、承認などの意思が表明されてきた。学校や所属組織から表彰状を受け取った時、朱肉で押された印章を見て到達感を味わう人も多いだろう。

特に、企業や公官庁などの組織においては、押印なくして合意や確認は成立しなかった。その期間が長く続いた結果、多くの人が押印の必要性や負担に疑いを持たず、当たり前のこととして扱ってきた。具体的な例を確認すると、わたしたちの生活に押印が深く浸透したことがわかる。

日本の印鑑
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

良い例が、宅配便の受け取りだ。少し前まで、届いた荷物を受け取る際、伝票に印刷された丸印にスタンプ式の印鑑や三文判を押すことが当たり前だった。それを見直すきっかけの1つとなったのが、アマゾンをはじめとするEC(電子商取引)の増加だ。

それによって再配達などの負担が増加し、配送業者は需要の高まりに対応しきれなくなった。配送業者が需要に対応するために玄関先や宅配ボックスへの“置き配”を導入するまで、押印が重要という“常識”を人々が見直し、それがなくても問題がないことに気づくことは難しかったように思う。

組織の場合、押印の文化が人々に与える影響はさらに大きい。例えば、上司に提出する書類に押印する際は、印鑑を左に傾け(お辞儀しているように見える)、かつ上司の押印箇所よりも下に押印するのが社会人のマナーと指導された経験をお持ちの方は多いだろう。

金融機関で債券などのトレーディング業務に従事していたある知人は、「一定金額以上のポジション(持ち高)を売却する際、担当者を起案者にチームリーダー、課長、部長、担当役員が稟議書に押印しなければならない。承認を得るのにかなりの時間がかかる。結果的に売却のタイミングを逃したこともある」と話す。

コロナ禍でテレワークが推奨されている中、書類への押印のために出社した人も多い。いずれも本末転倒だ。

■「他部門も押印しているから、自分に責任はない」

わが国の企業にとって押印は合意形成に欠かせない。事業計画書などに押印することは、関係者が“合意”したことを示す。関係者の合意が得られたうえで計画は実行に移る。押印は企業の意思決定に影響する。

稟議書には担当部門の業務と関係のない役員などが確認の意味で押印する欄が設けられていることが多い。問題は、合意形成に関わる人数が増えると、誰に責任があるかがわからなくなることだ。つまり、合意はするが、誰も責任を取ろうとしない。それが押印を通した合意形成の盲点だ。

責任の所在が曖昧になると、当事者意識をもって事業に臨むことは難しい。その結果、不祥事の発生や不適切な取引など想定外の展開に直面すると、合意形成に関与した人々の間に、「他部門も押印しているから、自分に責任はない」との意識が広がる。

計画を立案した部署でも「複数の部署が合意した計画だから責任は会社にある」と都合の良い解釈が先行する。ある経営の専門家は、押印文化は不祥事などが発生した際の企業の対応力に無視できない影響を与えると指摘する。

■電子決済サービス不正引き出しに、なぜ速やかに対応できないか

押印文化の影響力を確認するためのケーススタディのひとつとして、昨今注目を集めている電子決済サービスを経由した預金の不正引き出しを考えると良いだろう。本来、そうした問題を起こした企業のトップは、速やかにシステムを止め、被害の拡大を阻止しなければならない。

しかし、実際の対応を見ていると、抜本的な対応がすぐに進まなかった。それが示唆するのは、多くの人が合意形成に関与したことが1つの要因となり、わが国の企業における結果責任への意識が希薄化した可能性があることだ。

突き詰めて考えると、新規事業計画などの承認と実行には、組織全体の最高意思決定権者と当事者間の合意があればよい。そのほうが責任の所在は明確かつシンプルだ。

それが、目標達成にこだわり、さまざまなリスクに対してより鋭敏に感覚を研ぎ澄まし、スピード感をもって変化に対応する意識向上を支える。押印による合意形成が本当に組織の実力(組織全体が集中して目標の実現に取り組む)の向上に資するか否かは冷静に考える必要がある。

■永く受け継がれてきた価値観を虚心坦懐に見直せるか

自然界においても経済においても、強いものが生き残るのではない。変化に機敏に対応し適応できるものが生き残る。重要なことは、印鑑の存在を問うことではない。押印によって集団の合意形成を重視するわが国の文化が、加速化する世界経済の変化に対応できていないことだ。

カフェにて、スマホで決済をする女性の手元
写真=iStock.com/Chainarong Prasertthai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chainarong Prasertthai

コロナショックの発生によって、世界的にテレワークが当たり前になった。それによって、世界から優秀な人材を募り、競争力を高めることができると考える企業経営者は増えている。

しかし、紙への押印が続けばテレワークの推進は阻害され、人々がより良い能力の発揮などを目指した新しい働き方を目指すことは難しくなる。それが続けば、わが国企業が優秀な人材を確保することは難しくなり競争力は低下するだろう。

今、わが国の政府と企業に求められることは、永く受け継がれてきた価値観が、加速化する環境の変化に適しているか否かを虚心坦懐に見直すことだ。その上で、「どうもおかしい」と多くの人が感じることは速やかに是正すべきだ。それが規制改革の基本的な発想だ。

そう考えると、河野大臣が推進する押印廃止などの行政改革は、わが国全体が「新しい生き方=文化」を創出し、世界経済の変化に対応するために重要だ。

■デジタル時代にふさわしい文化の醸成を目指せ

これまで、わが国の政府は“規制改革”が重要だと主張してきた。しかし、実のある改革を実現することは難しかった。

アベノミクスの継承を掲げる菅内閣は、前政権が踏み込めなかった改革を徹底して進めてもらいたい。それは、押印廃止のように、世界の常識などに照らした場合におかしいと考えられることを一つひとつ洗い出し、変化に合った方策を実現することだ。

10月初旬時点での内閣支持率は7割に達した。押印廃止をはじめ行政改革に関する世論の期待は高い。住民の行政手続きに必要な押印の原則廃止を表明する自治体も増えている。

政府にはより多くの世論の賛同を取り付けて行政改革を進め、デジタル時代にふさわしい文化の醸成を目指してほしい。それが企業の経営改革をはじめ、わが国経済の活力向上に重要な役割を果たすだろう。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
法政大学大学院 教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授などを経て、2017年4月から現職。

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(法政大学大学院 教授 真壁 昭夫)

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