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「どんな選手よりも努力家」名コーチにそう言わせる宮原知子の原動力

プレジデントオンライン / 2021年3月19日 11時15分

「オールジャパン メダリスト・オン・アイス 2019」での宮原知子さん - 写真=Getty Images

日本を代表するフィギュアスケート選手の一人、宮原知子さんは、2019年から練習拠点をカナダに移している。そこで起きた変化について、イーオンの三宅義和社長が聞いた——。(第1回/全3回)

■2019年、カナダのトロントに練習拠点を移した

【三宅義和(イーオン社長)】年(2020年)末の全日本選手権、おつかれさまでした。

【宮原知子(フィギュアスケート選手)】ありがとうございます。

【三宅】宮原さんは2019年秋から練習拠点をカナダのトロントに移されているわけですが、年末に全日本選手権があると、そのままご家族揃ってお正月を迎えることができて好都合ですね。

【宮原】そうなんです。おかげさまで、いいリフレッシュができています。

【三宅】宮原さんといえば、「ミス・パーフェクト」という呼び名がつくほど、安定していい演技をされることで有名ですが、いまはご自身のテーマを「ミス・チャレンジ」に変えられたそうですね。

【宮原】はい、いままではミスをしないことをかなり意識してやってきたおかげもあり、それなりの成果を残せてきたのですが、どうしてもブレイクスルーを起こせないというか、殻を破れずにいる自分がいたんです。

この状態のままいくら練習を続けても、次のステージに上がれないかもしれないと思うようになり、心機一転、「これからは失敗を恐れずに、できるチャレンジは全部やろう」という気持ちに切り替えたんです。その第一歩が、日本を離れてトロントに練習拠点を移すことでした。

【三宅】文字どおりのチャレンジですね。

【宮原】はい、かなり勇気を振り絞って決めました。ただ、英語の勉強は子どものころからずっとやってきていましたから、言語面での不安があまりなかったのは良かったと思います。

【三宅】では、現地で生活していて、英語で苦労することはあまりないのですか?

【宮原】そうですね。会話の内容がスケートに関することがほとんどということもありますが、なんとかなっています。

■練習内容も休日も、全部自分で決めなければならない

【三宅】練習の拠点をカナダに移されて、カルチャーギャップみたいなものを感じましたか?

【宮原】一番驚いたのは「練習内容を基本的に全部自分で決めないといけない」という点です。日本にいるときは「今日はこれをやりましょう」とか「試合に向けて今後はこういう計画で行きましょう」とか、すべてコーチから指示を受けるスタイルだったのですが、カナダでは「この日のこの枠では、なにをするか」とか「試合に向けてどの日に休みを入れたいか」ということまで、すべて自分で決めないといけません。

いきなり「どうする?」「どうしたい?」と意見を聞かれても、いままで自分で考えたことがなかったので、最初はかなり戸惑いました。たとえば、休日を入れるにしても、それが正しいことなのかどうかもわからなかったので。

【三宅】それは大きな変化ですよね。自己決定を促されるのは、欧米では当たり前のことですが、そこまで主体性が求められる機会は、スポーツの世界だけでなく、会社、学校、家庭などを含めても、日本ではなかなかない気がします。

【宮原】はい。でも、だんだん慣れてきて、最近はこのほうがいいのかなと思うようになりました。

■自分と向き合う環境に置かれて、滑り方が変わった

フィギュアスケート選手の宮原知子氏
撮影=原貴彦
フィギュアスケート選手の宮原知子氏 - 撮影=原貴彦

【三宅】演技の面で、いままで完成されたものを変えて、なにか新たなチャレンジをされようとしているんですか?

【宮原】現時点で「ここを大きく変えたい」というところはないのですが、環境が変わったことで、スケートとの向き合い方とか、滑り方自体が少し変わった感じがします。

【三宅】練習方法が変わると、表現の仕方にも変化が出るものですか?

【宮原】はい。自分と向き合う機会が増えた結果、たとえばプログラムに関しても、ただ言われたことをこなすのではなく、「ここではこういう風にしたほうが良いのかな」と自発的に考えるようになりました。結果的に、プログラムがより自分のものになるというか、深い理解ができるようになっていると感じます。

■海外での単身生活でオンとオフの切り替えがうまくなった

【三宅】そのほかに、カナダに行かれて大きく変わったことはありますか?

【宮原】日本にいたときは、オンとオフの切り替えが苦手で、「24時間いつもオン」という感じだったのですが、最近は切り替えの感覚がちょっとずつわかってきたと感じます。以前は、練習中は当然集中するのですが、練習が終わっても「さて休憩しよう!」という気分にあまりなれなかったんです。常に頭がスケートモードというか、次の日の調子のことをどうしても考えてしまって、結果的に十分休みがとれない状況がずっと続いていたと思います。

【三宅】なにがきっかけで意識が変わったのでしょうか?

【宮原】現地の人たちがしっかりオンとオフを切り替えているのを見ていることもありますし、あとは単身で行っているので、自分の身の周りのことは自分でやらないといけないことも大きいと思います。

【三宅】お一人で生活されているんですね。てっきりマネージャーの方が同行されているのかと思っていました。

【宮原】一人です。ですから、練習が終わっても「晩御飯どうしよう」とか「洗濯しないとな」とか、いろいろやらないといけないことがあるので、強制的に意識をスケートから切り離さないといけない機会が自然と増えています。個人的にはいい変化だなと捉えています。

■選手としては寂しい「声援なし・花束なし」の試合

イーオン社長の三宅義和氏
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏 - 撮影=原貴彦

【三宅】フィギュアスケートというと、日本では熱狂的なファンが多いイメージが強いのですが、海外と比べてどうですか?

【宮原】日本は明らかにフィギュアスケート人気が高いと思います。日本で街を歩いているとたまに気づかれますけど、トロントで気づかれたことはありません。それはそれで新鮮な感覚ですね。

【三宅】今シーズンは新型コロナウイルスの影響で、試合後に花束が大量にリンクに投げ込まれることがありませんでしたが、選手としてはどういう気分なのですか?

【宮原】仕方がないとはいえ、やっぱり花束がなかったり声援がなかったりするのは、選手としては少し寂しいですね。純粋に試合の盛り上がりに欠けるというか。もちろん、盛り上がり方で演技が左右されるわけではないのですが、活気があったほうが楽しいですからね。

【三宅】つまらない質問で申し訳ないですが、あれだけの花束をいただいて、試合のあと、どうされるんですか?

【宮原】車にすべて積み込んで、自宅とおばあちゃんの家で2つに分けて、ありがたく飾らせていただいています。ちょっとした搬入作業です。

■基礎を習得するなら日本、発展させるなら海外で

【三宅】日本を飛び出してみて、いろいろな気づきや発見があったということですが、正直いかがでしょう? もう少し早く海外に行っていればよかったと思われますか?

【宮原】それは思います。もともと海外に行くことが好きだったので、もう少し早くアメリカやカナダに行っていたら、いまごろ自分はどんな選手になっていたんだろうと考えることはあります。

【三宅】日本的なトップダウンの指導と、欧米的な主体性を重んじる指導の両方を経験されたことは、大きな意味があると思うのですが、仮に将来、お子さんが産まれて「スケートをやりたい」と言われたら、日本でやらせますか? それともアメリカやカナダでやらせますか?

【宮原】そうですね。最初は日本で、それから海外へ行くと思います。

【三宅】それはどういう理由からですか?

【宮原】日本の指導は、コーチ主導で進む分、厳しさというか、やるところはきっちりやらないといけない部分がありますよね。そういう指導スタイルを嫌う人も当然いるでしょうけれど、私は悪いことだとは感じていません。自分一人で自分を追い込むことはやはり難しいですから、基礎の段階では厳しい指導を受けたほうが上達は早いと思います。成果を出せるようになって、自分のスタイルがわかってきたくらいのタイミングで海外に行って、自分の長所をどんどん伸ばしていったほうがいいのではないかと思います。

■「一番の努力家」と言われるワケ

【三宅】なるほど。守破離(しゅはり)の「守」はスパルタのほうが効率的ということですね。

【宮原】そう思います。とくにフィギュアスケート選手は若年齢化していますから、幼少期にどれだけみっちり基礎をつくれるかは大事だと思います。

【三宅】ちなみに宮原さんといえば、濱田コーチが「いままで指導した選手のなかで一番の努力家」と称賛されています。その原動力はどこからくるんですか?

【宮原】練習自体がすごく厳しい上に、私がとにかくスケートが大好きで、その上、昔から「これだ!」と決めたことは絶対にやり通すという性格なので、それらがすべて相まった結果、気がついたら24時間スケートのことを考える生活になっていた感じです。

【三宅】それにしても内に秘めたパワーがすごいということが、ひしひしと伝わってきます。

【宮原】いえ、自分ではまだまだパワーが足りないと思っています。

■強靭な精神力を持つライバル、ロシアの選手たち

【三宅】尊敬している選手はいらっしゃるんでしょうか?

三宅 義和『対談(5)! プロフェッショナルの英語術Ⅱ』(プレジデント社)
三宅 義和『対談(5)! プロフェッショナルの英語術Ⅱ』(プレジデント社)

【宮原】イタリアのカロリーナ・コストナーさんや、スイスのステファン・ランビエールさんですね。アイスショーでご一緒させていただくことがよくありますが、そのときは必ず演技を生で見るようにしています。

あと、ロシアの選手は、どんなときでも自分のできることを試合できっちりやりきるメンタルの強さを持っている方が多くて、尊敬しています。

【三宅】たしかにロシアの選手は強いですよね。それはやはり、宮原さんのように小さいときからスパルタで鍛えられてきて、それを勝ち抜いてきた選手たちだからですかね。

【宮原】そんな気がします。なにがあってもめげないし、ブレない、すごいメンタルを持っていますよね。ロシアの選手と比べたら、私はまだまだだなと感じます。

【三宅】そんなことはないと思います。ちなみに、先ほどカナダでは自分で考えることを重視するとおっしゃっていましたが、日本でそのようなスタイルの指導は受けられるものですか?

【宮原】もちろんコーチ次第だと思いますし、仮にスパルタのコーチについたとしても、結局は主体的に考えるという話なので、本人にそういう意思があれば、どのようにでもできると思います。

イーオン社長の三宅義和氏(左)とフィギュアスケート選手の宮原知子氏(右)。
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏(左)とフィギュアスケート選手の宮原知子氏(右)。 - 撮影=原貴彦

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三宅 義和(みやけ・よしかず)
イーオン社長
1951年、岡山県生まれ。大阪大学法学部卒業。1985年イーオン入社。人事、社員研修、企業研修などに携わる。その後、教育企画部長、総務部長、イーオン・イースト・ジャパン社長を経て、2014年イーオン社長就任。一般社団法人全国外国語教育振興協会元理事、NPO法人小学校英語指導者認定協議会理事。趣味は、読書、英語音読、ピアノ、合氣道。

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宮原 知子(みやはら・さとこ)
フィギュアスケート選手
1998年、京都府生まれ。フィギュアスケート選手で種目は女子シングル。幼少期を過ごしたアメリカでスケートと出合う。帰国後に本格的にフィギュアスケートを始め、国内外の大会で活躍。2014年から2017年にかけて全日本フィギュアスケート選手権4連覇を果たし、2015年には世界選手権2位となる。2018年の平昌オリンピックに出場し、個人戦で4位、団体戦で5位と入賞を果たす。

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(イーオン社長 三宅 義和、フィギュアスケート選手 宮原 知子 構成=郷和貴)

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