なぜ週刊誌は「芸能人が入籍した」という間違った表現を続けているのか
プレジデントオンライン / 2021年5月12日 15時15分
※本稿は、中村桃子『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。
■夫婦同姓を法律で強制しているのは日本だけ
国家が国民の名前を規制しているもっとも顕著な例は、夫婦は同じ姓でなければならないという法律だ。民法750条には、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とある。ここで、「氏」と称されているのは、いわゆる「苗字」のこと。苗字は、「姓・氏・名字」などとも呼ばれ、これらは歴史的にそれぞれ異なった意味を担っている。民法では「氏」が用いられるが、本章では読者になじみのある「姓」を使っていく。
家族法に詳しい二宮周平(2007)によれば、このように夫婦同姓を法律で強制している国は、世界でも日本だけ。どうして、このような法律ができたのだろうか。
先にも説明した通り、明治時代になって国民を把握する必要ができたときに、明治政府は一人一名主義を定めた。これは、氏名を用いて国民の戸籍を作るためだった。明治民法の戸籍は「家」制度にもとづいていたため、姓は「家」の名称になった。そのため、当初は、他の家から入ってきた妻はそれまでの姓を用いるという考え方もあったが(久武1988)、しだいに妻に夫の家の姓を名乗らせることで、妻も家に所属していることを明確にするようになった。姓の変更は、その人が属する「家」が変わることを意味したのである。
■婚姻改姓は「所属する家の変更」を意味していた
明治民法の家制度では、父である戸主に絶対的権力(戸主権)があった。父には、財産を管理し、住む場所を決め、子どもの親権や結婚、養子縁組、分家を承諾する権利があり、家族の生活はほとんど父によって決定されていた。
一方、妻は財産を管理したり処分することのできない「法的無能力者」とされただけでなく、親権もなかった。戸主権と財産は長男一人に相続されたので、女の子どもだけでなく長男以外の男の子どもにも継承されなかった。つまり、家制度の「家」とは、父親から長男に継承していく「男の家」を指していたのである。
その結果、改名禁止令にもかかわらず、国民の半分が改姓することになった。女性が結婚する時に夫の姓に変更する、婚姻改姓である。婚姻改姓は、女性が父親の家から夫の(父親の)家に所属が変更したことを意味したのである。
■「家」はなくなったのに「同姓と戸籍」は残された
しかし、1946年に民主主義にもとづく日本国憲法が発布され、家制度は、「婚姻における夫婦の平等」(第24条)に違反するとして廃止された。妻の「無能力者」という法的地位も廃止され、財産は均等相続となり、子どもの親権も夫婦共同になった。「家」がなくなったのだから、姓は家ではなく個人の名称になるはずだった。
ところが、このときに二つのものが残された。ひとつは、夫婦同姓と親子同姓であり、もうひとつは戸籍筆頭者を置いた戸籍編製である。典型的には、夫を戸籍筆頭者として、一組の夫婦と、この夫婦と姓を同じくする子どもを単位とする家族単位の戸籍である。これまで「家」を象徴していた姓が、こんどは「家族」を象徴することになったのである。
このような家族単位の戸籍制度を持っているのは、世界でも日本や台湾などごく一部で、その他の国では個人単位の登録を行っている。
■有名人の「入籍した」という表現から見えること
姓にもとづく家族単位の戸籍が使われ続けたことで、法的には廃止されたはずの「家」が人々の意識の中に残ることになった。それは、戸籍が、多くの場合、夫である戸籍筆頭者を基準に他の家族が入籍したり除籍する仕組みになっているからだ。
子どもが生まれれば子どもは夫の籍に入り、夫婦が離婚すれば、妻が除籍され、子どもが結婚すれば、子どもが除籍される。これは、明治時代の家制度における戸主と家族の主従関係を思い起こさせるものである。
この「家」意識を具体的な形に表しているのが、姓である。たとえば、週刊誌の見出しで、有名人が「入籍した」という表現は、どのように理解されているだろうか。「女性が男性の家に入った」と理解されることが多いのではないだろうか。
しかし、現在の法律で想定されている結婚とは、女性が男性の家に入るのではなく、女性も男性も親の戸籍から出て、新しい戸籍を作るのである。今でも結婚が、「女性が男性の家に入る」と誤解されているのは、女性の婚姻改姓が家の変更と結び付けられているからなのだ。
■日本の女性が改姓する最も大きな理由
結婚したら、女性が男性の姓になるのが当然だと考えている人は多い。実際、結婚したカップルの約96%は妻が夫の姓に変更している。テレビの連続ドラマでも、ヒロインが結婚したら、何の説明もなく、次の週から夫の姓を名乗っている。
しかし、民法750条には、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」とあるだけで、法律上は、妻か夫のどちらかが改姓すればよいことになっている。ではなぜ、女性が婚姻改姓するのだろうか。
最大の理由は、「みんながそうしているから」だろう。多くの人は、習慣として女性が改姓しているし、姓が変わることに対する躊躇もない。むしろ、婚姻改姓には「正式な結婚」という意味があり、正式な妻として認められた喜びにも通じる。
■結婚を知られる、仕事の連続性が失われる…
しかし、結婚する時には「みんながやっているから」と婚姻改姓した女性は、いくつかの問題に直面することになる。主なものだけ挙げて見よう。
ひとつは、姓を変更することに伴う膨大な事務手続きだ。携帯電話、パスポート、免許証、クレジットカード、銀行やネット、車の名義など、すべてを変えなければならなくなる。
また、お互いを姓で呼び合うことが多い日本では、女性だけが結婚のようなプライベートな情報を、仕事で関わる人や親しくない人に知られてしまう。よく指摘されるのが、同窓会名簿だ。女性の名前の後にだけ「旧姓」の欄があり、一目でだれが結婚したか分かるようになっている。
おめでたいことだから良いじゃないかと考える人もいるかもしれないが、結婚のようなプライベートな情報を、親しくない人にも知られることに抵抗を感じる人もいる。万が一離婚して旧姓に戻ることを選択したら、また、周りの人に離婚を知られることになる。
さらに、結婚前と後の仕事が、同一人物が達成したものであることも分からなくなる。現代社会では多くの女性がさまざまな分野で成果を上げているが、その制作者名、登録者名、著者名などは、「姓+名」で記録される。そのため、たとえば婚姻改姓して姓が「中村」から「鈴木」に変わると、改姓前の業績は「中村」の業績、改姓後は「鈴木」の業績と、まるで別の人の業績のように表示される。その結果、改姓前と後の仕事の連続性が失われてしまう。
このような連続性の喪失は、女性自身にとっても、「自分でなくなるように感じる」という喪失感につながる。前の姓で業績を積み上げてきた自分が、いなくなったように感じる人もいるかもしれない。名前をその人そのものととらえる名実一体観によれば、このような感慨も理解できる。
■約7割は選択的夫婦別姓に「賛成」
これらの問題を解決すべく、1980年代半ばから、多くの法律家、政治家、活動家が夫婦別姓を提案してきた。1996年に法制審議会が答申した改正案では、結婚する時に夫婦が同姓か別姓かを選択できる制度(選択的夫婦別姓)に加えて、兄弟姉妹の姓を統一するために、結婚する時に子の姓を母または父のどちらかに決めておくことや、すでに結婚している人も別姓を選択できることなどが提案された。
2017年に法務省が行った世論調査では、別姓を認めるように制度を改めても構わないと考えている人が42.5%と最も多い。結婚後も以前の姓を通称として使えるように法改正しても構わないと考えている人が24.4%で、夫婦は同姓を名乗るべきと考えている人は29.3%である。
また、2020年11月には、早稲田大学の教授と市民団体「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」が、全国の60歳未満の成人男女7000人を対象にネット調査した。その結果、「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦は同姓でも別姓でも構わない」が35.9%で、「自分は夫婦別姓が選べるとよい。他の夫婦は同姓でも別姓でも構わない」も34.7%。「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦も同姓であるべきだ」と回答したのは、14.4%のみだった。これは、7割が選択的夫婦別姓に賛成だと解釈できる結果だ。
■名前は「その人の人格を象徴するもの」という判決がある
さらに、名前はその人物を他人と区別する符号ではなく、その人の人格を象徴するものであるとする判決もある。最高裁は1988年に、「氏名は、(……)人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するもの」とした。名前が人格権のひとつならば、自分をどのような名前で呼ぶかは、憲法の保障する表現の自由として保護されるべきである。
しかし、2020年の現在まで選択的夫婦別姓は実現していない。それは、夫婦が別姓になると、「家族の一体感がなくなる」という意見が根強いからである。「たかが名前」にこれだけ長期の論争が続いているのは、名前に日本の家族像が象徴されているからなのだ。
しかし現代は、「家族」の概念も多様化しており、国がひとつの家族の形を基準にすることに意味がなくなっている。2015年の国勢調査によると、夫婦と子どもからなる世帯は全世帯の26.9%に減少した。晩婚化と高齢化の結果、単身世帯が34.6%に増加し、「夫婦のみ」の世帯も20.1%になる。つまり、日本の「家族」の3割以上が「ひとり家族」なのだ。
■「夫婦同姓は家族の一体感を表す」は本当なのか
さらに、男と女だけを夫婦とみなすと、同性のパートナー関係は家族ではなくなる。届け出を正式な結婚とみなすと、事実婚や婚外関係が正式ではないことになる。未婚で子どもを持つことに対しても、基準から逸脱しているという先入観で見ることになる。現実にはすでにさまざまな家族の形があり、固定した家族像は、それ以外の生き方を認めない息苦しい社会をつくり出しているのだ。
先に見たように、諸外国では夫婦同姓を強制していない。先日、夫婦別姓が当たり前の中国の友人に、「あなたは、姓が違うと家族の一体感がなくなるように感じますか」と聞いたら、何を言い出したのかという表情で笑われてしまった。どうやら、日本人の中に、夫婦同姓は家族の一体感を表していると考える人がいるのは、日本ではほとんどの家族が同姓だからだという単純な理由なのかもしれない。
これまで通り「姓」に束ねられた家族を基準とするのが良いのか、それとも、さまざまな関係も同じ家族として受け入れる社会が良いのか。これまで結婚したら女性が男性の姓を名乗ることが当然だと思っていた人も、「姓」が担ってきた家意識や国が名前を規制することについて考えてみる価値がありそうだ。
なぜなら、名前は、私たちのアイデンティティそのもの、最高裁も言っている通り、「人が個人として尊重される基礎」なのだから。
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関東学院大学経営学部教授
専攻は言語学。1955年東京都生まれ。上智大学大学院修了。博士。著書に『新敬語「マジヤバイっす」――社会言語学の視点から』『翻訳がつくる日本語――ヒロインは「女ことば」を話し続ける』(白澤社)、『女ことばと日本語』(岩波新書)、『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房、第27回山川菊栄賞受賞)、『と日本語――ことばがつくる女と男』(NHKブックス)、『ことばとフェミニズム』『ことばとジェンダー』『婚姻改姓・夫婦同姓のおとし穴』(勁草書房)など。訳書に『ことばとセクシュアリティ』(三元社)『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマー新書)など。
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(関東学院大学経営学部教授 中村 桃子)
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