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「彼らを誇りに思う」アイリスオーヤマ会長が感激した"クビ覚悟"という社員の行動

プレジデントオンライン / 2021年7月30日 9時15分

パリ近郊・リューサンにあるアイリスオーヤマ工場の落成式で撮影に応じるアイリスオーヤマグループの大山健太郎会長=2019年6月13日 - 写真=AFP/時事通信フォト

アイリスオーヤマは年間5000億円の売上高となった現在も株式上場していない。その理由を、創業者の大山健太郎会長は「社員を幸せにすることが最優先だから」と説明する。従業員5人の工場を大企業に成長させた経営哲学を、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

■「株式公開すれば創業者利益を手にできるだろうが…」

アイリスオーヤマの創業者、大山健太郎は「売り上げ500万円の会社を5000億円(2019年)以上にした」男だ(掲載当時)。会社を興(おこ)しただけでなく、実に10万倍以上に成長させている。彼には独自の哲学があり、株式を公開していない。「株式公開すれば創業者利益を手にできるだろう。しかし志を曲げ、自由に(会社を)指揮できなければ意味がない」

「事業内容よりも『創業の理念』がきちんと引き継がれることだ。そのためには血のつながった人間による『株式非公開の同族経営』が一番いいように思われる」

「本来、上場とは資金調達に必要だからするものだ。幸い今は資金の心配はない。今の日本には上場のメリットより問題が多いと感じる」

そう大山は言っている。

上場するしないについて、ベンチャー経営者はそれぞれの意見を持っているだろう。

株式公開は資金調達だと本来の目的を考慮に入れて、大山は上場しない決断をしている。株式を公開して創業者利益を得ても何ら問題はないし、本人にとっては得をすることなのだが、彼はそれを捨てた。

大山健太郎の決断の数々を見ると、いずれの場面でも、「自らの得を捨てる」「自分のメリットを考えない」ことを原則にしている。

■19歳で社長、11人の家族と従業員を養うことに

大山健太郎は敗戦の年、1945年に大阪府南河内(かわち)郡道明寺(どうみょうじ)村(現・藤井寺市)に生まれた。5歳のとき、布施市(現・東大阪市)に転居する。父親は金属関係の仕事をやっていたが、それをやめて自宅の敷地にプラスチック成型の工場(こうば)を建てた。同居していたのは父母、祖父母、叔父、姉、四人の弟と2人の妹……。13人の大家族だった。

大山が高校3年のとき、父親ががんで亡くなった。長男だったため、19歳で父親の町工場「大山ブロー工業所」を継がざるを得なくなった。ブロー工業所の「ブロー」とはプラスチックの成型技術のひとつで、ペットボトルやポリタンクなど中空(ちゅうくう)の製品を作るときに用いられるものを言う。

さて、彼は大家族と5人の従業員を食べさせていくための戦いを始めた。

当時、大山ブロー工業所が作っていたのは発注元から頼まれた部品で、同社は下請けと呼ばれるサプライヤーだった。そのころの商習慣として、買う側は半年に一度、サプライヤーの納入価格を値切ることになっていた。

度重なる値下げの要求に、彼は大きな決断をする。

■独自製品を開発し、自分の意思で価格を決める

「下請け仕事から抜け出したい」

それには独自製品を開発して、最終消費者に買ってもらわなくてはならない。アイデアがいるし、開発には投資も必要だ。それでも、毎回毎回、納入価格を値下げしなくともいいし、自らの意思で製品の価格を決めることができる。

「これだ」と思ったのはプラスチック製、中空の浮き玉(ブイ)だった。それまで養殖、漁業に使う浮き玉はガラス製と決まっていた。ただし、ガラスは割れてしまう。しかも、表面は平らだから、ロープでつなぐにしても、ネットで包まなくてはならなかった。大山はガラス製の短所を補ったプラスチック製の浮き玉を開発し、ロープを施しやすいように、突起をつけ、穴を開けた。穴にロープを通せば浮き玉をつなげることができる。

プラスチック製浮き玉は人気となり、真珠の養殖業者、ホタテの養殖業者など、全国に販路が広がった。今ではガラス製の浮き玉を見つけることが難しい。

■下請け仕事から脱却できた「着眼点」

浮き玉の次は、農業マーケットに進出した。それまで苗を育てる箱は木製だったが、軽くて通気性のいいプラスチック製育苗箱を開発したのである。これもまた木製の難点をカバーしたものだ。

同社が下請けから脱却できたのは、ニッチなマーケットに目を付けたからだ。そして、ガラス、木材という素材をプラスチックという新素材に替えたことだろう。

新素材の開発という彼の考えは現在でも通用するし、事実、その道筋で改良されている製品は今も各種ある。たとえば炭素繊維だ。鉄よりも軽くて丈夫だから、飛行機、高級自動車などの一部に使われるようになった。

彼は人があまり目を付けないニッチな分野の従来製品を見て、自分の強みであるプラスチック技術で問題を解決したのである。アイデアマンというよりも、問題を大きな視点で見直し、解決したのである。

■「この社長の下だったら頑張ってみるか」

大山ブロー工業所は成長していった。19歳で工場を継いでから8年後、500万円だった売り上げは7億6000万円になった。下請けから脱却するという決断の結果だ。同社はサプライヤーから業界向けプラスチック製品の開発メーカーとなったのである。

大山は社内を一致団結させるため、社員と密なコミュニケーションを取り、自らのことよりも、社員のことを考えた。上場しないという決断の背景には、「まず社員のことを考える」という哲学がある。その哲学が芽生えたのが会社の創業期だった。

工場で機械をチェックする2人の技術者
写真=iStock.com/ibigfish
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ibigfish

当時を思い出して、こう語っている。

「仕事が終わると、よく社員を私の家に招き、母の手料理を振る舞いました。仕事中だけでなく、仕事以外でも社員といろいろな話をしていると『小さな会社だし、給料は安いが、この社長の下だったら頑張ってみるか』と思ってくれるようになります」

「この社長の下だったら頑張ってみるか」が大切だ。

ベンチャー企業、中小企業の社長が部下に対して見せる生活態度とはこれしかない。

成功した後、自分だけが高級車に乗ったり、賛沢なレストランへ行ったりする社長は部下の気持ちを考えていない。そういう社長と長く働きたいと思う社員はいない。

■「社長の理想像」を描いて自分を変えていく

大山は若くして会社を継いだから、他社で働いた経験がなかった。そのため、「自分が会社員だったら、どんな会社に勤めたいか」を考えることにした。また、「自分が部下だったら、どんな社長の下で働きたいか」を頭に描いた。「社長の理想像」を組み立てて、その像に向かって自分を変えていったのである。

「社員に情をかけることでした。豪華な食事を一回だけごちそうしても、心は動きません。『うちの社長は何が目的なんだろう』と身構えるだけです。そうではなく、毎日毎日情をかける。情の深さは接触回数に比例するのです」

起業家になるためには構想力、説得力、実践力、結果責任の4つが必要だと彼は言っている。そして、もっとも大切なのが構想力だと断言している。

「起業家には、自己の利益に根差した願望ではなく、市場に何を提供し、社員と共にどう成長し、社会に貢献するかという構想が必要なのです」

プラスチック製品の開発、社員のために理想を追求する。このふたつは彼の構想から生まれたものだ。

■もっともつらかった「決断の瞬間」

彼にとって、もっともつらかった年は1978年だ。彼は社員50名をリストラせざるを得なかった……。いまだにそれを忘れることができず、一生の悔いだと発言している。「これからは何があっても絶対にリストラはしない」と自分自身に言い聞かせている。

19歳だった大山が父親の後を継いで始めた会社、大山ブロー工業所は順調に成長し、75年には創業地の東大阪と宮城県のふたつに工場を構え、従業員は200名、売り上げは15億円近い中堅メーカーになっていた。当時の主力製品は農業用の育苗箱。それまで木製だった育苗箱をプラスチックに変えたのは彼の考えだった。

しかし……。

市場を席巻していた同社製育苗箱の値崩れが始まったのはオイルショック(1973年)から2年が過ぎたころだった。蓄えた資金は枯渇し、彼は金策に走る。手形のジャンプ(支払期日の延期依頼)を繰り返したが、ぬかるみに足を踏み入れたような状態で業績は元に戻らなかったのである。

そして、78年、彼は東大阪の工場を閉鎖し、生まれた町から宮城県へ移ることを決めた。創業時から家族同然と思い、仕事をしてきた従業員をリストラすることになったのだった。

■会社を立て直すため「幹部は全情報を共有する」

「金融機関には『業態を変えるから会社存続に協力してください』と頭を下げた。しばらくは漬物用の樽や塩辛の容器などをこつこつ作る。売上高は半減したが、経費も減り毎年の赤字はなくなった。しかし、これではいつまでも借金は減らない」

リストラの翌年に始めたのは幹部研修会だ。四半期ごとに幹部と泊まりがけでさまざまなことを議論する機会を設けた。売り上げの増やし方、技術、設備、人材、組織……。大切だと考えたのは、とにかく経営者と幹部が全情報を共有し、共にレベルアップしていかなくてはならないということ。

大山は言う。

「一般に営業部門の幹部は営業の情報、生産部門の幹部は生産の情報に詳しいという偏りがあるため、個別最適で動きがちです。しかし、社内の全情報を与えれば、その幹部たちも全体最適で判断します。社長の目線が高いのは、社内の情報を独占しているからにすぎないのです」

幹部研修会は倒産の危機に直面していたアイリスオーヤマをよみがえらせる原動力になった。危機に際しては、全員がとにかく動いて販売力で売り上げを上げようとする会社が目に付く。しかし、大山は立ち止まって考えることを選んだ。そうして、同社はふたたび成長していく。

■個々の危機管理力が光った東日本大震災

宮城県に本社を置くアイリスオーヤマにとっては2011年の東日本大震災は忘れることができない。

同社は電池、毛布、IHコンロといった生活用品、コメなどの食料、そして防災用品を扱っている。生活のライフラインでもある。

震災の直後から社員たちはフル活動した。家族を自宅に置いて出社し、後片付け、生活用品の積み出し、輸送に力を尽くす。余震のなか設備が壊れた物流倉庫を復旧させるため、不眠不休で働き、4日間で元の状態に戻した。足りないガソリンを節約するため、社員は一台に5人ずつ相乗りして出社した。こうした危機管理、危機対応は緊急マニュアルに書かれていたものではない。マニュアルは大して役に立たず、社員たちはそれぞれの現場で知恵を出して解決していった。

■「クビになるかもしれません、でも、いいんです」

グループ企業のダイシンはホームセンターを運営している。翌日から営業を開始したが、停電していたのでレジを打つことができなかった。それでも店を開けた。従業員は入り口に来た客から必要なものを聞き、店内から探し出して販売した。手持ちの現金がなかった被災者には名前を書いてもらい、品物を手渡した。代金は後ですべて戻ってきた。

気仙沼(けせんぬま)店では寒さのなか、客が列を作った。様子を見た店長は現場の判断で手持ちの灯油を放出。一人10リットルまで無料で配ったという。その店長は取材に来ていたテレビ局の記者にこう言った。

「クビになるかもしれません。でも、いいんです」

東日本大震災の津波被害
写真=iStock.com/enase
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/enase

やり取りをテレビで見た大山は店長の対応に感激した。

「私はつねに相手の立場に立って考えよと言ってきた。それが『ユーザーイン』という哲学だ。その哲学を身につけ、自分自身で判断し、動いた社員たちを誇りに思う」

アイリスオーヤマの力は危機になると発揮される。危機管理に強い。

どんな会社も危機に陥る。商品が売れなくなることはある。災害、感染症もやってくる。誰もが同じ条件で立ち向かわなくてはならない。

そんなとき、経営者はどうすればいいのか。大山は知っていた。

■危機感のない経営者との違いはなにか

彼は語る。

「苦難を味わった経営者が皆、強い危機感を持つかというとそうではない。差は何か。それは人生観です。こういう言い方をするのは失礼かもしれませんが、経営者の人生観によって、会社をどこまで発展させられるかが決まるというのが私の本音です。

株式上場で多額の資産を手にした経営者が大豪邸を建て、ぜいたく三昧の暮らしをしているという話を聞くことがあります。それも人生のあり方ですから、否定はしない」

大山は会社を上場させる気はない。

最優先にするのはアイリスオーヤマをもっといい会社にすること。社員を幸せにすることだ。彼自身はぜいたくをせず、毎朝30分のウォーキングと趣味のクラシックを聴くくらいだ。

だが、考えてみれば大豪邸を構え、ワインのコレクションを持つといったお金持ち定番の楽しみを追求するよりも、彼の方が金の使い方を知っている。

大山は金を持とうと思えば、すぐに持てる立場にいる。しかし、わざとそれをしない。現金や宝物よりも、自らが望む生活、自らの考えの方が価値があると思っているからだ。財物より形而上(けいじじょう)(形を持っていないもの)の価値に重きを置いている。

■リーダーの役割は「リスクを取ること」

大山が語る経営とはこうだ。

野地秩嘉『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックス)
野地秩嘉『あなたの心に火をつける超一流たちの「決断の瞬間」ストーリー』(ワニブックスPLUS新書)

「本質的に考える。次に長期的、多面的に考える。長期的とは、会社が将来進む道をビジョンで示すこと。多面的とは、競合や環境変化に目を配ることです。(略)競合情報を共有し、自社の強みや革新性を分析・判断しないと、井の中の蛙で、痛い目に遭います。

こうした思考は高学歴な人ほど得意かもしれませんが、現実を見ると、起業家に高学歴な人は少ない。その理由は彼らは学ぶことは得意でも、実践することは苦手な人が多いからです。しかも知識が豊富なため、リスクが取れない。過去の成功事例・失敗事例を学びすぎたことで、リスクに過度に反応し、それを克服しようとしないのです。

(略)リーダーが確固たる意志を持って、周囲に率先して行動するのです」

本質的にはリーダーの役割はリスクを取ることだ。商品の当たり外れ、経営施策に効果があったかどうかはやってみなくてはわからない。計画するのがリーダーではなく、リスクを取って実行するのが経営者だ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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