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日本人の資産を取り戻す…大和証券が「預かり資産1兆円」のためシンガポールに派遣した営業マンのヤバい働き方

プレジデントオンライン / 2024年4月26日 16時15分

大和証券のシンガポール法人WCS(ウェルス・アンド・コーポレート・クライアント・ソリューションズ)で働く営業員たち - 撮影=永見亜弓

大和証券のシンガポール法人WCS(ウェルス・アンド・コーポレート・クライアント・ソリューションズ)は、かつて閉鎖寸前だった状況から、7人の社員の奮闘で預かり資産1兆円を達成する一大事業に成長した。彼らはどうやって顧客を獲得していったのか。『海を渡った7人の侍 大和証券シンガポールの奇跡』(プレジデント社)を出した野地秩嘉さんが書く――。(第2回/全4回)

■欧米のPBに比べたら、金もなく、人もいない

シンガポールで、日本人移住者の富裕層を顧客にしている大和証券の一部署が急成長している。それが大和証券シンガポールの富裕層向けサービスを行っているWCS(ウェルス・アンド・コーポレート・クライアント・ソリューションズ)だ。

WCSはかつて鳴かず飛ばずで一時は閉鎖寸前まで行った。

だが、2012年のこと。「最後にひと勝負したい」と当時、海外担当の役員だった岡裕則(現副社長)がある戦略を考えた。それは日本の国内で頑張っている営業マンをシンガポールに派遣すること。WCSが想定する顧客は移住した日本人富裕層だから、英語は得意でなくともいい。それよりも、「おもてなしスピリット」と根性のある営業マンを抜擢したのだった。

シンガポールはアジアの金融の中心地で、富裕層ビジネスを占有していたのは欧米のプライベートバンクだ。移住した日本人の富裕層もまた欧米資本の会社に相談して、資産運用していたのである。

「日本人の資産を取り返す」ために営業マンたちは必死に働いた。欧米のプライベートバンクに比べたら金もなく、人もいない。しかも、英語は得意ではない。彼らは昭和的営業手法とおもてなしスピリットでじりじりと前へ進んでいった。

■100本の電話をかけても95人には断られる

まずはシンガポールという国についての基礎知識だ。

ここにある数字はシンガポール日本商工会議所と外務省ホームページによる。

国名:シンガポール共和国
面積:約720平方キロメートル(東京23区622平方キロメートルよりやや大きい)
人口:約564万人
人口の内訳:国民355万人、永住者52万人、外国人156万人
民族:中華系74%、マレー系14%、インド系9%
GDP:3970億米ドル(2021年)
1人当たりGDP(2021年):7万2695米ドル
※日本は3万4064米ドル(2023年12月、内閣府発表)


在留邦人数(在シンガポール日本大使館への在留届数)3万2743名(2022年10月現在)
日系企業数(ジェトロ海外進出日系企業実態調査における調査対象企業数)
1084社・個人(2022年12月現在)※外務省のホームページより

2012年、シンガポールに派遣された山本幸司は半年間、営業したものの顧客はゼロだった。毎日、電話で営業したが、100本の電話をかけても95人には断られた。

そんなある日のこと、ひとりの資産家から相談があった。何度か話す機会があった人だったが、その人自身は大和証券の顧客ではなかった。スイスのプライベートバンクに口座を持つ日本人移住者だったのである。

「山本くん、時間あるかな?」
「はい、もちろんです」
「じゃあ、うちに来てくれる?」

■他社の客であっても、困っていたら積極的に助ける

そんな会話の後、自宅へ行くと、「これに何が書いてあるか、よくわからないんだ」と見せられたのがスイスのプライベートバンクから送られてきた書類だった。「マンスリー・ステートメント」と書かれていた。

「月次収支残高の報告書ですね。私が見てもいいんですか?」
「ああ、書いてあることを説明してくれるとありがたいんだ。私は英語がわからないわけじゃないんだが、金融用語はちょっと苦手だからね」(略)

山本は「かしこまりました」と返事をして、何が書いてあるか、どう返事をすればいいかを懇切丁寧に教えた。用語の解説にとどまらず、資産家が投資した金融商品の意味、価値がどのくらいのものかまで専門家として教えた。

プライベートバンクは資産家に日本人担当者を付けることはするけれど、そこの日本人担当者が英語の文書を細かく解説することまではやっていなかったのだろう。もし、やっていたのであれば山本の出番はなかったからだ。

彼は言う。

「おもてなしスピリットです。大和証券に入った時から、そう教わりました。だから、お客さまの喜ぶことをやろうと決めていたのです。ただ、私自身が他社の報告書をすべて理解できているわけではありませんから『表記を完全には理解していませんよ。そういうリスクは負えませんよ』とは言いました」

■「テレビのチャンネル設定」にも飛んでいく

「私がやったのは単に収支残高報告書を翻訳しただけではありません。他の会社に口座がある人でも、お客さまのためになることは何でも積極的にやりました。すると、日本人は、やっぱりやってもらったことに対して何かお返ししなくてはという気持ちになるんです。

私はそれを見込んで親切にするわけではありません。やっている時は見返りは考えていません。それがおもてなしスピリットなんです。私がやったことが他の方々にも伝わったようで、その後、『山本さん、子どもの学校を一緒に見に行ってくれないか』『シンガポールで自宅を買いたいけれど、一緒に下見してくれないか』と頼まれるようになりました。

『山本くん、引っ越したんだけれど、日本のテレビが見られないんだ』と言われたら、すぐ飛んでいってチャンネル設定までやりました。そうすると、お客さまも『どうしたらお返しできるのかな』と考えるようなんです。全力で、まず初めにおもてなしするしかないんです」

■客は母国語で話してくれる営業員を望む

大和証券シンガポールの「おもてなしスピリット」が知られるようになると、顧客がひとり、ふたりと増えていったのである。そうなると、シンガポールの金融業界でも注目を浴びて、ライバルが出てくるはずだが、真似をするところは出てこなかった。

まず、同国でプライベートバンク業務をしているスイスやアメリカの金融機関とは顧客ターゲットが異なっていた。彼らにとってシンガポールに移住している日本人資産家は主要なそれではない。なんといっても数が少ないからだ。それよりも、英語が通じるシンガポール人、もしくはシンガポールにいる欧米の資産家を対象にした方が効率がいいのである。

また、欧米のプライベートバンクが日本人資産家を狙うとすればそれは日本に暮らしている富裕層だった。その方がはるかに数が多いし、日本支社にいる日本人社員が担当すればいい。そういった事情で欧米のプライベートバンクは大和証券シンガポールの営業活動を知ってはいたけれど、追随しなかった。

客は結局のところ、母国語で話してくれる営業員を望むからだ。

■テレアポも飛び込み営業も苦手な6人目の侍

大和証券シンガポールが採った戦略はニッチなマーケットを攻めることであり、それは自然のうちに他社からの参入を防ぐ障壁となっていた。加えて、顧客になってもいない人間から呼ばれて、「テレビのチャンネル設定をしてくれ」と言われたとしても、欧米のプライベートバンカーはやらなかったろう。

彼らはビジネスに対価を求める。顧客でもない人間の要望に応えることはない。また、顧客もそのことをよくわかっているからプライベートバンカーに雑用を頼むことはない。

大和証券シンガポールが採用したおもてなしスピリットは、ユニークで、他社がなかなか真似できない営業手法だったのである。

山本がシンガポールに着任してから、2年後、自ら手を挙げて赴任してきたのが平崎晃史だ。赴任直前まで香港で働いていた平崎は「シンガポールで山本が暴れている。気を吐いている」と噂を聞き、自分もまた暴れたいと勢い込んで赴任してきた。

2014年に赴任した平崎晃史さん。テレコールも飛び込み営業も苦手だったが、「顧客を人間としてリスペクトして好きになる」を信条に入社5年目で全店のMVPを受賞した
撮影=永見亜弓
2014年に赴任した平崎晃史さん。テレコールも飛び込み営業も苦手だったが、「顧客を人間としてリスペクトして好きになる」を信条に入社5年目で全店のMVPを受賞した - 撮影=永見亜弓

平崎は1984年生まれ。入社は2007年。団塊の世代が引退した時期で、新卒採用は多く、同期は1100人もいた。(略)

平崎はテレコール、飛び込み営業、ともに苦手だった。よく言えば内省的、ざっくばらんに表現すれば引っ込み思案だったから、知らない人に話しかけることができなかった。また、「株式の営業です」と言ったとたんに「結構です」と断られると深く傷ついた。繊細な性格なのである。

■全店の営業MVPを受賞した理由

新人時代、「自分にはとても株の営業はできない」と考えていた。彼が見ている限り、優秀な営業員とはブルドーザーのように進んでいく山本のような人間だ。何があってもあきらめない。断られても、追い返されそうになっても、それでも営業トークまで持っていく。そういったタイプの人間に自分を改造したいと考えてみたことはあるが、すぐに「無理だ」とあきらめた。平崎はあきらめるのも早かった。

だが、そんな静かな男がなぜか営業員として5年目に全店のMVPを受賞してしまう。営業成績がよかった人間だけが獲ることのできる表彰である。

彼は「運だけでした」と言った。

「運がいいだけです。お客さまを紹介してもらえたんです。その後、紹介に次ぐ紹介というか。やっぱり運だけだったと思います」

そういう男がシンガポールへ赴任することになった。

平崎が大和証券シンガポールのオフィスに着いた時、富裕層セクションはWCSという名称になっていた。所属するものは全員で5人。平崎が加わって6人になった。業績はやっと収支トントンの状態で、平崎は自分の給料を確保するためにもすぐに営業に出なくてはならなかった。彼が見るところ、山本は忙しそうにしていたが、組織一丸となって営業活動に邁進しているといった風情ではなかったのだった。

■目をつけたのは「休眠口座」だった

山本以外の人間は海外への留学経験がある、あるいは英語ができるといった観点で選ばれていた。営業経験があったわけではなかったから、電話営業もおぼつかなかったし、まして、シンガポールにある日本人経営の会社や商店に飛び込み営業するなんてことはしていなかった。それでは業績が上がるはずもない。

平崎は営業を始めた。後に山本の顧客を一部引き継ぐことになったが、最初は顧客がいない。山本がやったように、シンガポール日本商工会議所の名簿を見て富裕層と見込んだ人に電話をする。また、移住した日本人が集まっていると聞けば紹介してもらって会合に出席した。元来、営業は好きではなかったが、そんなことは言っていられない。毎日、どこかへ営業に行くことを自分に課したのである。

シンガポールの中心地には、世界中の金融関連企業の拠点が集まっている
撮影=永見亜弓
シンガポールの中心地には、世界中の金融関連企業の拠点が集まっている - 撮影=永見亜弓

そんなある日、社内の記録を見ていたら、口座はあるけれど、誰も接触していない顧客がいるのを見つけた。いわゆる休眠口座である。かつて1度か2度、取引したことのある顧客だが、大和証券シンガポールが連絡しないままになっていた。平崎はそういう顧客に対してテレコールを行い、アポイントが取れたら会いに行くことにした。

■「船主」という大口顧客をつかまえた

そして、ひとりの顧客と出会った。話をしに行ったら、その顧客は「わかった。じゃあ、よろしく」と平崎に運用を依頼したのである。そして、「同じ仕事をやっているから」と仲間を何人も紹介してくれたのだった。

平崎は「あの人こそ恩人です」と言った。

「海事(海運、船舶関係)の仕事をしている方で、船主の方でした。シンガポールと香港は海事会社の法人税がほぼゼロなんです。シンガポールでは認定国際海運企業(Approved International Shipping Enterprise:AIS)に認定されると、外国船籍であっても海運収益に対する法人税が免除になります。

平たく言えば船主であれば税金を払わなくていい。だから、シンガポールには船主が集まっています。シンガポールとしては船主からの税収を得るより多くの船に寄港してほしい。そこでお金になればいいんでしょう。世界ではシンガポールの他にパナマでも同じような優遇制度があります。ですが、日本人でパナマに住んでいる人って、あまり聞いたことがない。

船主さんはタンカー、バルカー(バラ積み船)などを所有していて、それを日本郵船、川崎汽船といった運行会社に貸し出す。マンション経営する不動産オーナーみたいな存在です」

平崎さんが考える営業とは「金融商品を売ろう」ではなく、「生活のすべてを投入して、サービスすること」だという
撮影=永見亜弓
平崎さんが考える営業とは「金融商品を売ろう」ではなく、「生活のすべてを投入して、サービスすること」だという - 撮影=永見亜弓

■「買ってくれ」「お願いします」ではない営業がある

「タンカー、バルカーは何十億もする船です。1隻を売って、新しい船を建造する場合、日本で売ると、利益に税金がかかる。ところが、シンガポールではかかりません。利益をストックしてさらに高価な船を買うことができる。日本だと税金を取られるから新型の船を買おうとしてもなかなか買えない。すると、香港やシンガポールの競合他社に負けてしまう。そこで船主さんはシンガポールに住むんです」(略)

平崎はやはり幸運だった。シンガポールならではの仕事をしている顧客に出会うことができたのである。顧客を獲得した直後から、平崎は営業に打ち込んだ。それは「株を買ってくれ」「債券もお願いします」といったストレートな売り込みではない。

「顧客を人間としてリスペクトして好きになる」ことが彼の営業だ。

平崎の言葉ではこうなる。

「お客さまを好きになります。アイ・ラブ・ユー作戦と言いますか。何を望んでいるかを一日中、考えることです。この金融商品を売ろうではありません。生活のすべてを投入して、サービスするのです。だから、心からサービスしたいと思う人じゃないと、もうやりたくないんです」

■「外地で働く同志」という思いでつながっていた

彼は昭和の営業マンになった。夜中の1時に枕元に置いてある電話が鳴ったとする。かけてきたのが顧客だったとする。

野地秩嘉『海を渡った7人の侍 大和証券シンガポールの奇跡』(プレジデント社)
野地秩嘉『海を渡った7人の侍 大和証券シンガポールの奇跡』(プレジデント社)

「平崎くん、今、飲んでるんだけれど、もしよかったら来る?」

「行きます」と電話を切って、シャワーを浴びて、30分以内には店に到着するようにした。深夜でなくとも、週のうち4回から5回は顧客と食事をした。行くところは高い店ではない。居酒屋が多い。

打ち合わせを兼ねた接待ではあるが、大和証券がすべて支払うわけではない。割り勘だったり、顧客がごちそうしてくれることもある。社員と顧客という立場は変わらない。だが、意識の底では顧客も平崎も「オレたちは外地で働く同志だ」と思い込んだ。

食事や酒席をともにするだけではない。ある顧客とは週末にタイへ出張に行った。その顧客はシンガポールに本拠を置き、タイ、マレーシアなどで事業を行っている。週末でも顧客が行きたいと言えば海外出張に付いていくのが平崎のやり方だった。(第3回に続く)

海から見た夜景
撮影=永見亜弓

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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