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「"世界に一つだけの花"というウソ」夢をあきらめる人生のほうが絶対に幸せだ

プレジデントオンライン / 2021年7月27日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/borchee

2002年に発表されたSMAPの楽曲「世界に一つだけの花」は、いまや国民的楽曲として定着している。しかし、そのメッセージに苦しんでいる人もいる。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「現実には大半の人は夢をかなえられない。夢をあきらめる人生のほうが、絶対に幸せになれる」という──。

■「夢」は多くの人を不幸にする

加速するばかりの少子高齢化に伴い、すっかり低成長国家となった日本。現時点でもすでに若者が割を食う社会になっているが、今後はますます若者がラクには生きられない国になっていくだろう。

そんな国において、若者は一体どんな夢を見て、どんな将来を思い描けばよいのだろうか。

先に結論を述べてしまおう。夢なんていらない。夢は多くの凡人、そして運のない人を不幸にする。むしろ夢なんて抱かないほうが幸せに生きられる。

昨今、子どもたちの憧れの職業はYouTuberだと聞く。たしかに彼らのなかには、人気者になって膨大な再生数を叩き出し、下手な芸能人よりも稼いでいる人が存在する。だが、YouTuber全体を見たとき、収益化に成功している人は果たしてどのくらいいるのか。さらに、儲かってウハウハ……なんてYouTuberは0.0何パーセントだろう。「YouTuberになるのが夢」という子どもを否定するつもりはないが、結局、これは「夢」ではなく「妄想」にも近いものでしかないのだ。

■世界に向けて情報発信、とはいうけれど

インターネットがあれば、世界中からカネを集めることができる――そんな夢が語られることもあるが、現実には「日本語」という超マイナー言語の壁もあり、世界を相手にするのはなかなか難しい。英語で情報発信をする芸能人、アスリート、政治家、ジャーナリストのツイッターのフォロワーの多さは、日本人とはまったく比較にならぬレベルなのだ。たとえば、日本の芸能人でフォロワー数1位の松本人志はおよそ818万人だが、ジャスティン・ビーバーのフォロワー数は1.1億人である。

英語を上手く使いこなして情報を発信できれば、もしかしたら世界から潤沢な広告費を集めることもできるかもしれないが、日本語しか使えないのであれば、日本という狭い島国のなかだけで細々とパイを奪い合うしかない。

■「世界に一つだけの花」というウソ

近年の日本社会に広まる「夢」に関する言説を語るうえで、ある歌謡曲の出現を見逃すことはできない。2002年に発表されたSMAPの楽曲「世界に一つだけの花」だ。

花
写真=iStock.com/studioportosabbia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/studioportosabbia

同曲は「一人ひとり、みんな違っていい」「ナンバーワンよりオンリーワン」と説き、多くの共感を呼んだ。この曲はのちにSMAPの代表曲のひとつとなっただけでなく、作詞作曲を担当した槇原敬之のセルフカバー版を筆頭に数多くのアーティストにもカバーされて、いまでは国民的楽曲として定着している。教育現場にも採り入れられ、授業内で歌われたり、合唱コンクールの課題曲になったりもしている。そうした背景もあって、メディアや教師たち、そして親たちは、この楽曲の世界観にならって「各人が各人に合わせた夢を持つべきだ」と子どもたちに伝えるようになった。

私は1973年生まれだが、この歌が流行った2000年代前半あたりまでは「夢を持て」「みんなオンリーワンなのだ」と臆面もなく語るような言説はあまりなかったように感じている。もちろん小学校の卒業アルバムや文集などに「将来なりたいもの」という項目はあったものの、「夢」という言い方はいまほど乱用していなかった。私は「教師」と書いたが、多くの男子児童は「プロ野球選手」などと書いていた。

とはいえ、プロ野球選手と書いた子どもたちも、本気でなれるとは思っていない者が大半だっただろう。ほかにこれといって思いつかないから、自分の知っている職業のなかでもっとも憧れるプロ野球選手を書いただけなのである。

だが、21世紀に入っておよそ10年のあいだに「夢は必ず叶う」「みんな特別な存在」的論説はすっかり市民権を得るようになっていった。

■美辞麗句やきれいごとが世間に溢れる

世知辛いことをいうようだが、才能のない者は、その分野でいくら将来の明るい展望を追い求めても(夢を持っても)、実現できる可能性は限りなくゼロに近い。それが現実だ。ところが「夢を諦めたらダメだよ」的J-POPが2000年代前半以降に蔓延し、すっかり夢を持つことの重要性が一般化したのである。

私はこの風潮に当初から違和感を抱いていた。そして、夢にまつわるヌルい言説に真っ向から対立する新書『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』(星海社)を2014年に上梓した。

本の内容としては「近年、世間に美辞麗句やきれいごとがあまりに満ち溢れすぎている」「しかし現実の社会は理不尽や不寛容、事なかれ、差別、優勝劣敗で成り立っており、自分が夢想したとおりの人生を歩めることなど滅多にない」「仕事なんてものは『怒られたくない』からやるのである」といった、身もふたもないものである。

■「夢」に辟易しだした人々

同書は『凡人のための仕事プレイ事始め』(文藝春秋)という2010年に書いた単行本が前身になっている。この本に加筆修正を加え、再編集を施したものが『夢、死ね!』だ。

2010年当時、文藝春秋の40代編集者は36歳の私が書いた内容を「仕事論」と捉えたが、新書化を担当した星海社の20代編集者は「夢の諦め方」と捉え直したのが実に興味深い。2000年代前半に小中学校に通った若者たちは、それだけ夢を持つことの重要性を学校で叩きこまれ、社会に出てから現実の厳しさに打ちのめされていたのだろう。

『夢、死ね!』の担当編集者・I氏は「そんなのはまやかしです。だから中川さんに加筆していただき、タイトルも一新して刊行したいんです!」とオファーしてきた。結果的には新書のほうが圧倒的に売れたわけで、たぶん「夢」に辟易としている人々から支持してもらったのだろう。

同書ではまえがきで、サッカー選手の本田圭佑がイタリアのプロサッカーリーグ・セリエAの名門クラブ「ACミラン」に入団するという夢を叶えたことに触れている。本田は小学校の卒業文集に「セリエAで10番」と書いていたのだが、その夢を見事実現させたと各種メディアが絶賛したのだ。だが、あくまでも本田は日本サッカー界におけるナンバーワン級の選手であり、日本のサッカー経験者の99.9999%は本田になれない、と私は断言した。そして、まえがきではこう続く。

〈恐らく、日本に現在何万人と存在する小学6年生のサッカー少年の多くは「日本代表になる」「バイエルン・ミュンヘンでプレイする」なんてことは文集に書いているはずである。だが、ほぼ全員にとってその夢は叶わない。本田というたった一つの超レアな成功例だけを、ことさら取り上げるのはナンセンスである〉

■持つべきは「夢」ではなく「目標」

私は本のなかで「夢」なんかよりも「年収1000万円になる」や「国家公務員試験に合格する」といった、現実的な「目標」を設定することのほうが生きるうえでは重要だと述べた。さらに、ワタミの創業者である渡邉美樹氏が著作や講演などで語っている「夢に日付を!」という考え方よりも、「夢を諦める日付を」と引き際を冷静に見極める姿勢のほうが大事だとも解説した。

加えて、芸人やミュージシャン、作家などは「今回は審査員が悪いだけだ」などと愚痴を並べ、夢の諦めどきをなかなか見極められない人も多いが、スポーツ選手であればかなり早い段階で潔く諦められることも述べた。

そりゃそうだろう。大谷翔平と高校時代に岩手県の大会で対戦したら「あっ、これはレベルが違うわ。オレなんてプロになれるわけがない。さっさとプログラミングの勉強でも始めよう」「素直に家業を継ぐか」といった話になるに違いない。

■芸人の世界に見る「現実」の厳しさ

私はこれまで、お笑い関連の人々と数多く出会ってきた。芸人はユニークな視点や優れた言語センスを備えた人物が多いので、ネットニュースの記事を彼らに書いてもらってきたのだ。そのうちの一組はキングオブコントで優勝するなどしたが、他はなかなかブレイクするまでには至らなかった。しかし、彼らは実に真面目だし、感じがよいし、ライターとしては優秀だった。

私としては「時給の安いバイトを掛け持ちして何時間も酷使されるよりは、ライターをしてもらうほうがネタ作りや稽古などに時間が割けるようになるのでは」とも考えていた。実際、「好きな文章を書いて原稿料をもらい、とても助かっている」「ネタを考える時間ができて助かる」と感謝されたこともある。その一方、彼らとの交流を通じて、あまりにも競争が激し過ぎるお笑いの世界で夢を叶えるのは、本当に難しいことなのだと痛感した。

いまはもう原稿のやり取りをしていない人も多いのだが、現在、彼らのなかには40代を迎えた芸人もいるし、コンビを解散し、ピン芸人としてギリギリの可能性にかけている人もいる。彼らはまだ、夢を諦めきれないのである。

■夢を追い続けた者の末路を想像してみる

彼らのことを思うとき、あくまで勝手な想像だが、私にはこんなシチュエーションが頭に浮かんでくるのだ。

バイトに忙殺される日々を送り、気が付けば48歳。とある冬の寒い夜、安アパートで一人カップ酒をすすりつつ「明日はオーディションだ」「ウケたらいいな」などと考えながらアタリメをかじっている。すると次の瞬間、ストーブの灯油が切れて、「ボッ」という虚しい音とともに最後の炎が消えてしまった。途端に部屋は寒さにつつまれ、肩がぶるりと震える。しかし、灯油の買い置きはもうない。

そして、この芸人は思うのだ。「はぁ、夢を追い続けて26年。一体オレは何をやっているのだろう」と。大学時代の友人には上場企業の役員になった者もいるというのに、自分は寒い部屋のなか、最低限の暖さえ取れない。「オレは人生の選択を誤ったのだろうか」「夢を見続けた結果がこれなのか」と自問自答し、暗澹たる気持ちに押し流されそうになりながら、現実逃避するようにカップ酒をあおる……。

これが夢を追い続けた者の末路である。なにも芸人に限った話ではない。現実感に乏しい夢、実現が極めて難しい夢は叶わずに終わることが大半である以上、程度差はあれど、夢にすがりすぎてしまえば誰でも人生のなかで味わう可能性がある悲劇だ。

■行き当たりばったりで生きる

こうした姿を間近で何度も見てきたからこそ、私は「絶望したくなければ夢を見るな」と提案したいのだ。なまじっか夢を見てしまったがために、その夢が実現していない現状を嘆くことになる。であれば最初から夢など見ず、行き当たりばったりで生きればいい。

その際に重要なのが「思い付き」である。そして、次に重要なのが「その思い付きを相談できる人」だ。

それは2008年のこと。私にとって「師匠」ともいえる存在であり、現在は博報堂で執行役員を務めている嶋浩一郎氏と、次のような会話をしたことをよく覚えている。当時の状況を補足しておくと、私は2006年からニュースサイトの編集を手がけるようになっており、嶋氏から「自分が携わっている某大手出版社(X社)の雑誌記事をウェブに展開したいのだが」と相談を持ちかけられたのだった。

【嶋】いまのネットに出回っているコンテンツのクオリティを考えると、オレが担当しているX社の雑誌記事だったら十分勝てると思うんだ。それらの記事をネットで効果的に活用するには、どうやって出せばいい? お前、この2年ほど、ネットニュースを扱ってきたよな? その知見を活かす仕事をしてもらいたいんだよ。

【私】オレもそう思います。X社の雑誌はクオリティが高いので、Yahoo!をはじめとしたポータルサイトも配信を受け入れてくれるでしょう。そして、実際に記事を出したら案外PVを稼げると思います。

【嶋】じゃあ手伝ってくれ。オレもX社もネット記事の作り方とか、いろいろ学びたいし。

かくして、私はここからより本格的にネットニュースの編集業務に携わることとなる。そして嶋氏のこの「思い付き」を実現すべく、それまで一緒にネット記事を作ってきたライター軍団にも参加してもらった結果、このプロジェクトは無事に始動し、けっこうな額のお金をもらうこともできた。

■大切なのは「思い付き」

そしてその2年後には、小学館において、総合出版社では恐らく一番手となる「雑誌記事をネット向けに再編集した記事を主軸に置く、新しいスタイルのニュースサイト」としてNEWSポストセブンを立ち上げることになる。

当初はあくまでも同社のネット戦略をどう考えればいいか? という漠然とした相談だった。だが、議論を重ねる過程で「出版業界のなかで一歩先をゆくニュースサイトを始めよう」という意欲的なプランが形づくられていった。

これもいわば「思い付き」の産物である。「X社の手法と同様のことをすればいいのでは」とひらめき、一案として小学館に提示した結果なのだ。以後、同様のネットニュース編集業務が私のもとに殺到し、収入が激増するようになった。

そうした経験を重ねて、私は「下手に夢なんかにこだわらなくていい。行き当たりばったりで構わない」「行き当たりばったりで現れた課題に、その都度誠実に応えていけば、結果は自然とついてくる」という確信を深めていった。

さらに「夢という曖昧で掴みどころのないものではなく、目の前の課題(仕事)から発想した『○年後にはこうなっていたらいいな』『こうすれば、きっと実現できるだろうな』という未来を、現実的に思い描いていくことが重要なのだな」と考えるようにもなった。私が「夢」ではなく「目標」を持てというのは、そういうことなのである。

■望む未来は「現実的な思考」と「日々の積み重ね」の先にある

私が「2020年8月、47歳で仕事の一線から退いてセミリタイアをする」という目標を掲げ、それを予定どおり達成できたのも、毎日の地味な仕事を積み重ねていった結果に過ぎない。

30代のころから「40代のうちに仕事漬けの生活を離れて、悠々自適に暮らしたい」と考えていたが、その目標を現実的に捉えて「2020年8月」と明確に線が引けたのは、過去の想定よりも資産が順調に増えていったからである。自分の望む未来は、夢というふわふわしたものではなく、極めて合理的で現実的な思考に基づいた逆算がなければ手にすることができないのだ。

ここまでで、私が「夢」にどれほど懐疑的かおわかりいただけたかと思うが、一方で「願望」を持つことは非常に大切だと考えている。

ここでいう「願望」とは、目標を達成したときに得られる特典のようなもののことだ。私の場合、セミリタイアをした先に何を得たかったかといえば「釣り」「虫捕り」「農業」「電車に乗らずに済む生活」だ。現在、東京から佐賀県唐津市に引っ越すことにより、農業以外は達成できた。農業についても近いうちに達成されることだろう。

■唯一の「夢」が叶った瞬間

結局、私は一生で一度も「夢」を持たなかった。いや……ひとつだけあったな。それは「作家の椎名誠氏から仕事を依頼される」である。

単純に「一緒に仕事をする」だけなら、こちらからインタビューのオファーを出すなどすればわりと簡単に達成できただろう。しかし、夢はあくまでも椎名氏にこちらを認めてもらい、椎名氏の側から依頼を頂戴する、ということだった。

インタビューを受けたりした際に「憧れの人は?」といった質問をされると、私は一貫して「椎名誠さんです」と答え続けてきた。そして2015年、同氏の“青春三部作”の二作目にあたる『新橋烏森口青春篇』の文庫版が新たに小学館から刊行されることとなり、解説と帯コメントの執筆を編集者から依頼されたのだ。椎名氏から直接連絡を受けたわけではないが、私はこの依頼に感激し、とても光栄に思った。

おそらく椎名氏と編集者のやり取りのなかで「誰かいい候補者はいる?」と椎名氏が尋ね、「はい、中川淳一郎という人が、椎名さんの作品をほぼ全部読み込み、文体もマネするほど私淑しているそうです。青春三部作も折りに触れて読み返しているというから、この本の解説に適任なのでは」などと伝えてくれたのだろう。その提案を「いいんじゃない」と受け入れてくれたのだと思われる。

■ただの妄想が実現に向けて急加速する

私が初めて椎名氏の本に触れたのは、中学2年生のときだった。そして大学に入ってから本格的に読み込むようになり、大ファンになった。

社会人として広告会社で働くことになったころ、無名のフリーライターになったころの自分からすれば、椎名氏から仕事のオファーが来るなんて「妄想」ないしは「どっきり」でしかない。この段階では「夢」にすら思えないくらい、遥か上にいる憧れの存在だった。

そうして日々ネットニュースの編集業務や記事の執筆に明け暮れているうち、気が付けば自分も本を出したりインタビューを受けたりする側になっていた。すると途端に「椎名氏から仕事のオファーをいただく」は「目標」として輝きを放ち始める。「夢」を一気に飛び越え、実現可能な「目標」になったのだ。その加速度はすさまじく早かった。あとはいつその日が訪れるか、である。そして、2015年に機会が到来した。

その後、椎名氏からは自身が責任編集を務める雑誌への寄稿依頼もいただいた。また、2019年~2020年5月にかけて、前出の嶋浩一郎氏が自身の経営する「本屋B&B」にて私のセミリタイヤカウントダウンイベントをシリーズ開催してくれたのだが、その第5回(2020年2月)に椎名氏はゲスト出演してくれた。壇上で2時間以上、嶋氏も交えて3人でじっくりと話をし、その後は打ち上げもご一緒した。これはまさに「目標」が完全に叶った瞬間だった。

■「目標」を達成するための3ステップ

夢は罪作りである。夢を抱き、それが叶った状況を妄想するのは、確かに心地よいだろう。しかし、夢は多くの場合、実現しないまま終わる。

私の場合、「夢を持つことはひとかどの人物のみに与えられた特権である」という控え目な考えを持ち、現実的な目標を掲げて、目の前の仕事に粛々と取り組むことを続けた。その結果、日々の積み重ねがあるレベルにまで到達したところで、一気にその目標を達成する……ということを繰り返してきた。

夢というものは、非現実的なものである。だから、なかなか叶うものではない。よって、以下の3ステップが大事なのではないだろうか。

【1】とにかく、行き当たりばったりでいろいろやってみる
【2】そこで成果を淡々と挙げていく
【3】成果を積み重ねていく過程で実現可能な「目標」を設定し、達成に向けて合理的に動いていく

これこそが「夢」に足元をすくわれることなく、「とんでもなく幸せなこと」を達成する着実なやり方である。

絶望したくなかったら夢を持つな――逆説的だが、これが夢を叶える最良の方法なのだ。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・世間には「夢は必ず叶う」「あなたは特別な存在だ」といったヌルい言説が溢れている。しかし現実においては、大半の人が夢を叶えられず、凡人として生きていかなければならない。
・夢を見るから生きるのがつらくなる。夢なんて持つな。そのかわりに、日々の積み重ねの先にある、達成可能な「目標」を常に意識すべし。
・「行き当たりばったり」で生きても構わない。そうして自分の目の前に現れた課題に粛々と取り組み、成果を挙げていこう。そうすれば、あるとき唐突に「とんでもなく幸せなこと」が舞い込んでくるかもしれない。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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