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「明治維新は薩長によるテロだった」初めて大河ドラマでそう描いたNHKをもっと褒めよう

プレジデントオンライン / 2021年10月9日 12時15分

画像=NHK大河ドラマのウェブサイトより

これまでのNHK大河ドラマは、どれも明治維新を賛美するものだった。しかし現在放送中の『青天を衝け』は違う。歴史評論家の香原斗志さんは「『青天を衝け』は明治維新を薩長によるテロとして描いている。非常に画期的なことで、もっと注目されるべきだろう」という――。

■明治政府は「勝者」によってつくられた

身分に縛られ、年貢など重い課役に苦しめられる封建制を壊し、開明的な世のなかを実現して、近代化への道筋をつくった――。そんなふうに明治維新をポジティブに受け入れている人が多い。

実際、学校でもそう教えている。

文科省中学学習指導要領には、「明治維新と近代国家の形成」という単元で学ぶ目標について、「明治維新によって近代国家の基礎が整えられて、人々の生活が大きく変化したことを理解すること」と明記。さらには、「近代国家を形成していった政府や人々の努力に気付かせるようにすること」とまで書かれている(注1)

その記述を間違いとまでは言えない。だが、「明治維新」が「近代国家を形成」するための唯一の道だったのか、と言う問いには、私は強く「否」を唱えたい。

なぜなら、明治維新とは、すでに幕藩体制が終焉し、挙国一致で近代化を進めようとしていたにもかかわらず、主導権を握りたい薩摩藩や長州藩、一部の公卿が強引に起こしたものだからである。

「歴史とは勝者の歴史」という言葉を思い出してほしい。歴史とは、勝った側が残したい記録だけを記したものだという意味で、この場合の勝者は明治政府である。

明治政府の歴史観は、いまの政府も継承している。

事実、日本の政治システムは、明治政府が導入した内閣制度、立憲および議会政治の流れを汲んでおり、その姿勢は、2018年に「明治150年」を祝った際の「明治の歩みをつなぐ、つたえる」というキャッチコピーに、象徴的に表れている(注2)

しかし、「明治の歩み」は、無批判に「つなぐ」「つたえる」対象にするにしては、あまりにも謀略的、暴力的で、血なまぐさく、モラルに欠ける。

そして、意外にも、そのことをいまNHKがわかりやすく伝えている。実業家の渋沢栄一を主人公にした大河ドラマ「青天を衝け」である。

■維新を賛美する「司馬史観」からの脱却

これまで幕末から明治期を描いた大河ドラマは、1968年の『竜馬がゆく』を皮切りに、大村益次郎を描いた『花神』(1977年)、西郷隆盛と大久保利通が中心の『翔ぶが如く』(1990年)、『徳川慶喜』(1998年)と、司馬遼太郎が原作のものが多かった。

司馬遼太郎による歴史の見方は俗に「司馬史観」と呼ばれる。

幕末から明治期に関して、司馬史観の特徴を簡単に説明するなら、日本を急速に近代化させた明治維新と新政府、その時代の日本人を賛美する姿勢だといえる。

むろん、大河ドラマには、ほかの原作者を立ててこの時代を描いた作品も少なくないが、近年の『竜馬伝』(2010年)にせよ、『西郷どん』(2018年)にせよ、維新を賛美する史観は概ね継承されていた。

それに対し、私は以前から強い違和感を覚えていたが。それだけに、『青天を衝け』における維新の描き方には、ある意味、拍子抜けしながらも、ようやく安堵できている。

ただし、それぞれの場面に目を凝らし、描写やセリフの意味を一つひとつ考えないと、描かれている明治維新の「実像」に気づかないままになりかねない。

そこで、以下に『青天を衝け』から注目すべき場面を拾って、その意味を解いていきたい。

■公家と薩摩藩が密謀し「錦の御旗」を偽造する

一橋家に仕官したのち、当主の慶喜が15代将軍に抜擢されたため幕臣となった渋沢栄一は、1867年、パリ万国博覧会に出席する慶喜の異母弟、徳川昭武に随行してパリに渡る。そして、翌年に帰国するまでの間に江戸幕府は終焉を迎え、新しい政府が樹立され、戊辰戦争は大勢を決していた。

ドラマでは、栄一の動向と並行して日本の政治状況が描かれ、栄一の帰国後に、あらためてその間に起きていたことが、栄一に物語るかたちで回想された。

なかでも維新の本質が描かれていたのは、第23話「篤太夫と最後の将軍」(7月18日放送)だった。ちなみに、篤太夫とは栄一のことだ。

まず、薩摩や長州などの下級武士たちと連携して討幕を画策していた公卿の岩倉具視の言動だ。

蟄居中の岩倉は大久保一蔵(利通)に向かって「これがあれば戦になっても心配あらしまへん」と言いながら、旗を用意している。いわゆる「錦の御旗」である。

岩倉は続ける。「御旗も源平から足利のころまでいろいろありますよって、生地を大和の錦に紅白緞子(どんす)でパッと。政(まつりごと)を朝廷に返すのは当然のこと。徳川を払わねばとてもとても、真の王政復古とは言えまへん」。

公章
写真=iStock.com/NSA Digital Archive
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NSA Digital Archive

このセリフからなにがわかるだろうか。まずは錦の御旗の偽造である。周知のように、鳥羽・伏見の戦いで錦の御旗が掲げられると、旧幕府側は「朝敵になってしまう」と大きな衝撃を受け、慶喜が敵前逃亡するきっかけになった。

岩倉は来るべき新政権から徳川を排除する目的で、その御旗を、朝廷とは無縁のところで、大久保らとともに勝手に作っているのである。

■「討幕の密勅」に天皇はかかわっていない

一方、京都・伏見の薩摩藩邸では、西郷隆盛らが来るべき戦に備えて浪人を集めている。

「このままでは、いつ薩摩が兵を起こすかわからぬ」と懸念した慶喜は、先手を打って朝廷に大政奉還する。

実は、慶喜が政権を朝廷に返すことで実現しようとしたのは、イギリス型議会主義を模倣した政体だった。なにも戊辰戦争という悲惨な内戦を経験しなくても、日本は近代の扉を開くことができたはずなのだ。

しかし、岩倉は慶喜に先手を打たれたのが悔しくて、こう発言する。

「慶喜というのはエライ男や。蟄居中のワシがあっちに手紙を出し、こっちにこっそり足を運んでと、エライ思いをして討幕の密勅をひねり出したというのに、先手を打ってくるとは」。

維新十傑の一人、岩倉具視。位の低い公家だったが維新後、太政大臣にまで上り詰める。
維新十傑の一人、岩倉具視。位の低い公家だったが維新後、太政大臣にまで上り詰める。(写真=作者不詳/Public domain/Wikimedia Commons)

大政奉還の前日、「討幕の密勅」が下されていたが、この秘密の勅令は、天皇の裁可を受けていない。

慶喜が朝廷に政権を返上してしまうと、武力による討幕が叶わなくなるので、その前に、一部の公卿の名を連ねてでっち上げたものなのだ。岩倉の「ひねり出した」というセリフは、そういう意味である。

■戦争をしたくない慶喜と戦争をしたい西郷

王政復古の大号令が出された日に京都御所で行われた小御所会議の模様も、刺激的に描かれていた。

天皇の下に諸藩主による公議政体を設け、将軍をその最高責任者にするという趣旨で大政は奉還されたのに、その場に慶喜がいない。

そのことに土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、尾張の徳川慶勝らが相次いで異を唱えた。

それを聞いた西郷は「こいはやっぱり、いっと戦をせんな」とつぶやく。

徳川を排除して薩長が主導する政権を築くためには、やはり戦争をするしかない、と悟ったのだ。

岩倉は「向こうが戦おうとしてへんのに、こっちが戦をしかけたんでは、道理が立たしません」と弱気だが、西郷は「戦がしたくなかちゅうなら、したくなるようにすっだけじゃ」。

ドラマでは、その後、江戸城二の丸が焼けたが、それが薩摩の放火だとの風説がある旨が語られる。

これに対し、慶喜は「これはワナだ。動いてはならぬ」と釘を刺すが、しばらくして「奸賊薩摩を打つべし、とのご老中の名を受け、庄内(藩兵)を先鋒とする兵が薩摩屋敷を砲撃」との報告を受ける。

この、いわゆる「薩摩藩邸焼き討ち事件」が、鳥羽・伏見の戦いのきっかけになるのだが、それは、いみじくも西郷が「したくなるようにすっだけじゃ」と言ったように、彼が仕組んだものだった。

江戸の町民が「薩摩御用盗」と呼んだ無頼集団を組織し、日夜、強盗や略奪、放火、殺人、強姦などの狼藉を繰り返して幕府を挑発し、是が非でも内戦に持ち込もうとしたのだ。それをドラマでは、慶喜に「ワナ」と呼ばせていた。

■強引に引き起こされた内戦によって流れた血

続く第24話「パリの御一新」(8月15日放送)では、栄一の従兄の渋沢成一郎(喜作)に、「上様(慶喜)が尊王の大義に背いたことはない」と言わせている。

これは逆に言えば、でっち上げられた「討幕の密勅」や「錦の御旗」によって、「尊王の大義」を抱く慶喜を無力化し、日本人同士が血を流し合った戊辰戦争という内戦を、あえて引き起こしたということだ。

第25話「篤太夫、帰国する」(8月22日放送)では、その内戦の生々しさが描かれた。渋沢成一郎らは佐幕派の部隊である彰義隊を結成し、新政府軍に徹底抗戦した。

そして、内部対立ののちに成一郎らの振武隊に参加した栄一の養子の平九郎が、新政府軍に執拗に追われた挙句、銃で蜂の巣のように撃たれながら自決した壮絶な姿を映し出した。

この悲痛な場面の直前、平九郎らは上野の山が燃えるのを遠望する。

史実を述べれば、すでに江戸城が無血開城したのち、上野の山に立てこもった彰義隊の本隊も、大村益次郎率いる新政府軍の一斉攻撃を受け、二百数十人がほぼ全滅した。

西郷と勝海舟によって江戸城は無血で開城されたが、その裏では新政府軍による凄惨な殺戮が行われていた。
西郷と勝海舟によって江戸城は無血で開城されたが、その裏では新政府軍による凄惨な殺戮が行われていた。(画像=作者不詳/Public domain/Wikimedia Commons)

すでに勝敗は決し、無視すれば済んだような相手を、新政府軍は執拗に攻め、徳川家への恨みを晴らすかのように、菩提寺である寛永寺をほぼ全焼させたうえで、死んだ彰義隊士の遺体を数カ月も放置した。

■明治維新の本質を描いた大河ドラマ

むろん、明治という時代そのものを否定する必要はない。

しかし、薩長や一部の公卿が新政権において自らが主導権を握るために、謀略を重ね、テロを起こし、日本人同士が殺し合う状況をわざわざ引き起こしたのは、紛れもない事実である。

第27話「篤太夫と八百万の神」(9月26日放送)でも、渋沢は大隈重信に向かって

「天子様のもと、世界の知識を第一に用いた徳川と諸侯が一体となって政(まつりごと)をすべきだったんだ。上様にはそのお覚悟があられた。だから、政を返したんだ。にもかかわらず、薩摩や長州が徳川憎しと戦を」と怒鳴っている。

明治維新の本質を端的に表していると言えよう。

NHKという公共放送のドラマを通して、学校で習う歴史でも、政府の見解としても避けてきた、明治維新の負の側面を学べる――。NHKが(日本が)少しは開けてきたということか。いずれにせよ、歓迎すべきことではないだろうか。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。小学校高学年から歴史に魅せられ、中学時代は中世から近世までの日本の城郭に傾倒。その後も日本各地を、歴史の痕跡を確認しながら歩いている。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)がある。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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