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「作文の添削は労働ではない」"自主的行為"扱いされる公立学校教師の理不尽

プレジデントオンライン / 2022年1月19日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

公立学校の教員の勤務時間外の業務についての裁判の判決が、さいたま地裁で出た。教育研究家の妹尾昌俊さんは「授業準備は1コマ5分しか認められず、業者テストの採点は認めるが小テストの採点は認めないなど一般には理解しがたい内容となっている。このような制度のままでは、教員志望者をさらに減らしてしまいかねない」という――。

■授業準備は1コマ5分までが労働

教員が勤務時間外や休憩時間に行った業務は「労働」として認められるか。こう書くと、おそらく大勢の方は「私的なことならまだしも、仕事、業務として行ったならば労働だ、当たり前の話でしょ」と考えるだろう。しかし、驚くべきことに公立学校の教員の場合は違うのである。「自主的、自発的行為」として労働時間とはみなされていないのである。

埼玉県の小学校の現役教員(田中まさおさん、仮名)がこの点を含めて訴えていた裁判の判決が去る2021年10月1日に出た。さいたま地方裁判所は、現在の法律は「教育現場の実情に適合していないのではないか」と付言したものの、原告の教員の訴えを退けたのだ。

この判決はTwitter等で物議を醸すことになった。時間外労働として認めた授業準備は「1コマ5分」というものだったし、時間外の保護者対応やプリントの採点、児童の作文の添削などは、労働時間として認定しなかったためだ。

主な労働時間と認めたもの、認めなかったもの

■「給特法」で、公立学校の教員は残業代が支給されない

それはなぜなのか。公立学校の教員は特別な法律によって、残業代を支給しないことになっている。「給特法」と略称されることが多いが、正式には「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」という長い法律がそれだ。その分、給与月額の4%が別途支給されているが、これは「定額働かせ放題だ」と多くの識者や当事者である教員たちから批判されてきた。

今回の裁判で主に争点となったのは2点ある。

ひとつは、小学校で常態化する時間外勤務に、時間外勤務手当が支給されるかどうかだ。

校長は、原則として時間外勤務を命じることができない制度となっており、その例外は特別な場合に限られている(給特法と関連する政令による)。たとえば、生徒の実習、修学旅行などの学校行事、職員会議、災害や生徒指導でやむを得ない場合などで、なおかつ、臨時または緊急のやむを得ない必要があるときに限られている。そのため「超勤4項目」と呼ばれている。

だが、現実としての時間外勤務は、小学校でも、中学校や高校、特別支援学校などでも、先生の仕事には、緊急でやむをえない場合(超勤4項目)以外の残業も多いのが現実だ。

■原告が勤務時間後にした膨大な教育活動

本訴訟では、勤務時間の開始前である早朝の登校指導や、児童のマラソン練習、また、勤務時間終了後の夕方・夜間の授業準備やテストの採点、事務作業、さらには、勤務時間中の休憩時間を潰して授業準備や児童の見守りなどを行ったことには、時間外勤務手当が支払われるべきだ、というのが原告の主張であった。

次の写真のとおり、裁判では、原告が勤務時間後にもたくさんの教育的活動や事務作業に従事したことを示す資料が添付されている。

出所)裁判資料より一部抜粋。勤務時間外にも多くの仕事に従事していることが主張された。
出所=裁判資料より一部抜粋。勤務時間外にも多くの仕事に従事していることが主張された。

それに対して、さいたま地裁の判決では、「教員の業務は、教員の自主的で自律的な判断に基づく業務と校長の指揮命令に基づく業務とが日常的に渾然一体となって行われているため、これを正確に峻別することは困難」であると指摘。そのうえで、「教員の勤務時間外の職務を包括的に評価した結果として」4%の調整額が支給されているので、時間外勤務手当の支給は認められない、とした(カッコ書きは判決文から引用)。

■労基法では1日8時間労働なのになぜ

もうひとつの争点は、「1日8時間を超えて労働させてはならない」という労働基準法(労基法)の規制(第32条)に関連してであった。

さいたま地方裁判所は、公立学校教員にも労基法の適用は認めた。その上で、校長の職務命令に基づく業務時間が「日常的に長時間にわたり、時間外勤務をしなければ事務処理ができない状況が常態化しているなど」教員の労働が無定量になることを防止しようとした給特法の趣旨を没却させるような事情が認められる場合について、校長は「違反状態を解消するために、業務量の調整や業務の割振り、勤務時間の調整等などの措置を執るべき注意義務がある」とした。

そのうえで、こうした措置を取らずに法定労働時間を超えて教員を労働させ続けた場合には、国家賠償法上違法になるとした。

ただし、本件では給特法の趣旨を没却するほどの事情には当たらないとして、賠償責任はないと判断し、原告の訴えを退けた。

■勤務時間外の業務は「労働」か、自発的なボランティアか?

以上の2つの争点と関わるが、この裁判を参照しつつも、もう少し全般的に改めて考えたいことがある。教員の仕事は、どこからどこまでが「労働」なのか、ということだ。

他の先進国と比べても、日本の教員の業務量は多いし、多岐にわたる(OECDのTALIS調査などを参照)。勤務時間内では終わらないことは多く、どうしても勤務時間外にはみ出すことも多いわけだが、これは労基法上の「労働」に当たらないのだろうか。

最高裁判例を紐解くと、京都市立の小学校と中学校の教諭が訴えた事案(京都市事件)がある。この件では、研究発表校になったことなどから発生した授業準備や新規採用者への支援・指導、テストの採点、部活動指導等の過重な時間外勤務が、校長の安全配慮義務違反に当たるかどうかが問題視された。最高裁の見解を以下に要約する(最三小判平23.7.12)。

校長は「個別の事柄について具体的な指示をしたこともなかった」のであり、「明示的に時間外勤務を命じてはいないことは明らかで」、「また、黙示的に時間外勤務を命じたと認めることはでき」ない。「強制によらずに各自が職務の性質や状況に応じて自主的に上記事務等に従事していたもの」と考えられる。

■校長の指揮命令があったかどうか

このように、授業準備やテストの採点、部活動などは、教師の自発的、自主的なもの、つまり校長の指揮命令の下での「労働」には当たらないと判断をする裁判例はこれまでも多い。

さいたま地裁の判決も基本的にはこれを踏襲しているように見える。

たとえば、朝の登校指導は校長も把握しており、参加を働きかけていたものであるから、「労働」であるとした一方、朝学習(朝の自習)の準備に要した時間外勤務は、個々の教員の自主的なものだからとして「労働時間」と認定していない。

休憩時間中に行った連絡帳やドリル、音読カードの確認も、校長が指揮命令したものではないので、「労働時間」として認めなかった。ただし、休憩時間中の会議や学校行事の練習は「労働時間」として認定した。

■不登校児童の保護者との面談は「労働時間」にあたらない

勤務時間終了後についてはどうか。児童の作文へのペン入れやノートの添削、ドリルのチェック、教材研究、小テストの採点、不登校児童の保護者との面談は、校長の指揮命令のもとに行われた業務ではないので、「労働時間」に当たらないとした。

一方で、教室の掲示物の作成と管理、最低限の授業準備(1コマにつき5分)、業者テストの採点、日直業務(校舎の見回り、施錠等)、週案簿の作成、学年花壇の草取り・管理、学級・学年会計の確認・報告、通知表の作成(児童1人あたり40分)、自己評価シート(人事評価関係)の作成、学年便りの作成、遠足等の校外学習の準備、教室のワックスがけなどは、校長による明示もしくは黙示の指揮命令があったとして、一定の「労働時間」を認定した。

■先生たちが自分の判断でしている「ボランティア活動」は多い

詳細は法律論の専門家による解説を待ちたいが、今回の判決文を読む限りでは、最高裁判例に基づき基本的には判断しているが、従来の裁判例よりもかなり広範に時間外の「労働」を認定しようとする裁判所の姿勢を垣間見ることができる。

とはいえ、上記のとおり、朝学習の準備や児童の提出物への添削、保護者面談、教材研究などが「労働」として認められないというのは、納得がいかないと言う人も多いのではないだろうか。言い換えれば、これらの業務は、先生たちが自分の判断でやっているボランティア的な活動ですよ、ということなのだから。

■業者テストの採点は労働なのに、小テストの採点は労働ではない

教員が時間外に行っていることのうち、業者テストの採点は「労働」なのに、小テストの採点は「労働」ではないとか、通知表の作成は「労働」なのに、保護者面談は「労働」ではないなどというのは、おそらく常識的な感覚からすれば、違和感のあることだと思う。

はたして、校長の指揮命令があったかどうかで、「労働」か否かが分かれるという理屈で、本当によいのだろうか。

■学校に遅くまで残っている先生は「趣味で」なのか

多くの学校では、こと細かく校長がこの時間には何々をせよと命じることはそうはない。だが、この裁判の原告が示したように、先生たちは時間外にも膨大な量のさまざまなことを、学校の業務、仕事として従事している。なのに「労働」ではないなんて。趣味で遅くまで学校に残っているとでも言うのだろうか?

また、今回は翌日の授業準備については、1コマあたり5分だけ「時間外労働」として認められたが、5分で準備できれば誰も苦労しないし、おそらく質の高い授業にはならないであろう。

さらに付言すれば、校長の指揮命令にはない、教員の自主的、自発的に取り組んでいるとされる業務のなかには、授業準備や教材研究、添削、コメント書きなど、子どものためを思って一定の裁量をもって尽力していることが多く含まれている(なかにはやらされ感のある仕事もあるかもしれないが)。こうした一定の裁量、自由度は、本来は教員という仕事の魅力だったはずだ。それを「労働ではない」としていいのだろうか。

裁判は個々の具体的な事案についての判断であるが、立法論、政策論としては、時間外の業務の位置づけについて、今一度、考え直す必要があるのではないか。

■部活動指導は「労働」か?

とりわけ部活動については、整合性のある説明をすることは、おそらくできない。今回の埼玉県の訴訟では小学校教諭が原告となっていたので、部活動は争点となっていないが、中学校、高校などでは、勤務時間外に部活動指導が及ぶことは日常茶飯事だ。たとえば、定時が17時の学校の場合、17時までの部活指導は「労働」で、17時以降は「労働」ではなく、ボランティアだというのは、おかしな話だろう。実態としては17時前後で何も変わらないのに。

それに、校務分掌の一環として「○○部の顧問は誰々先生にお願いします」ということは職員会議等で確認している学校は多い。しかも、部活動のガイドラインやコロナ対策の影響もあって、月間の活動計画を校長に提出している学校も多いことだろう。校長は、勤務時間外に部活動が展開されていることは百も承知のはずだ。今回の裁判例もそうだが、これまでの判例でも、指揮命令とは黙示的なものも含まれている。なのに、時間外の部活動は校長の指揮命令の下の業務ではない、と言えるのだろうか。

■部活動指導は法的に矛盾だらけ

さらに、休日の部活動指導には、特殊勤務手当のひとつが支給されている。なぜ、労基法上の「労働」とは言えない自発的なことに、公金を支出するのか。

このように、部活動指導の法的な性格は矛盾だらけ、あるいは甚だ曖昧なのである。

時間外の業務を真正面から「労働」と認めると、全国各地の学校が労基法違反となってしまうだろうし、時間外勤務手当をどうするかといった問題も生じてくる。少子高齢化の中、教育に追加的な予算はなかなか付かないなかで、どうしていけばよいのかは難題だ。

こうした現実的な問題が大きいのは確かだが、だからといって、働いているのに「労働」とはみなされないというのは、納得がいくものではないだろうし、大問題である。こんな制度のままでは、教員志望者をさらに減らしてしまいかねない。

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妹尾 昌俊(せのお・まさとし)
教育研究家、学校業務改善アドバイザー
徳島県出身。京都大学大学院修了後、野村総合研究所を経て、2016年から独立。全国各地の教育現場を取材し、講演・研修、コンサルティングを行っている。中央教育審議会委員、スポーツ庁、文化庁において部活動のあり方を検討する委員等も務めた。主な著書に『教師崩壊』(近刊)、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法―卓越した企業の失敗と成功に学ぶ』、『変わる学校、変わらない学校』など多数。高1、中2、小6、小3の4人の子育て中。

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(教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊)

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