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建築家が「日本の大規模再開発は恐ろしい」と警鐘を鳴らす深い理由

プレジデントオンライン / 2022年1月31日 19時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ferrantraite

東京の街並みはどのようにして今の風景になったのか。その背景には、ヨーロッパとは違う日本ならではの建築の歴史があった。国際日本文化研究センター所長の井上章一さんと建築家の青木淳さんの対談をお届けしよう――。

※本稿は、井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■「外観は公共のもの」という考え方

――コロナ禍に見出すポジティブな面ということでいうと、日本は「自粛の要請」というかたちで中国や欧米のように都市をロックダウンせず、私権を極端に制限しないで対応してきたことを政府は誇っています。もちろん、これは評価が分かれるところですが……。片や、本書の3章のリレー・エッセイでお二人とも触れているように、日本の都市は欧米に比べて規制が緩く、自由なデザインの建築が多いという面もありますよね。そこで、あらためて公と私の関係や、「自由」というものについてご意見をお願いいたします。

【井上】青木さんが本書の3章で触れていた、フランスから来た留学生のエピソードが印象的です。ファサード(外観)は設計者のものじゃなく、公共のものだというふうに彼らは考えている。これには、ああなるほどと思いました。

【青木】ロンドンで、水上に建つ建築を建て替えるというプロジェクトを設計したことがあります。日本と同じで、イギリスでも建築確認申請が通らないと建設できないのですが、その前に「プレ建築確認申請」という事前審査があって、デザインや、環境問題、水中の生物に対する影響について、専門家たちと議論する場が設けられるんです。案のかなり初期から始まって、案の進行と並行して何度も議論します。本番は法文による審査なので、法律で禁じられてさえいなければ通るのですが、プレ建築確認申請は、法律より上位にあるとされている「常識」に照らし合わせての議論なので、実はこちらのほうがずっと通すのが難しいんです。

■クライアントが求める案が、プレ建築確認申請でNGに

【青木】私の設計は、波打つ水面のような外壁から成るデザインでした。でも、設計の途中、クライアントがもっと窓をいっぱい、また大きく開けたいというので、そういう案を試すと、窓だらけになってしまって、普通のオフィス・ビルのようになってしまうのです。私としては納得がいかないのですが、クライアントがそうでないと商売にならないというので、その案をプレ建築確認申請で見せたら、デザインとして許容できないと拒否されたんですね。前の案は、ここに建てるのにふさわしかったが、これだと環境破壊だと。それで元の案に近づけることになって、やっと審査に通って実現しました。私は、日本よりこの国のほうがずっと、建築家の「自由」が守られていると思いました(笑)。

【井上】まあ、そういうケースもあるんでしょうね。でも何ていうか、水上だから地権者ではないけれども、クライアントの「自由」は阻害していますね。

■商業的な意味合いとは違う何かがヨーロッパにはある

【青木】ええ、クライアントの自由を阻害している。だからそのとき、公的なというのかな――何を公的というかは難しいんですけれども――商業的な意味合いとは違う何かがヨーロッパにはあると実感したわけですね。

【井上】わかります。資本主義になり切っていないわけです。

【青木】経済効果よりも、もっと大事なことがある。パリでの設計は本当に制約だらけで大変なんですけれども、公益の観点から守ろうとする理屈はわかる。その制約の中にあって、それでも自由にできるのかどうかが、建築家の能力として問われているのかなという気がしますね。

【井上】ときどき大統領勅令があって、全ての制限を突破できそうなレアケースもあるんですけどね。ボーブールのポンピドゥー・センターみたいな例がね。でもそれはごく特異な場合で、普通はがんじがらめですよね。

【青木】ええ、がんじがらめ。

ポンピドゥー・センター
写真=iStock.com/Vladislav Zolotov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vladislav Zolotov

■ヨーロッパの施主は貴族、日本は下町の商店主

【井上】私がこの現象を社会問題として、最初に感じたのは、安藤忠雄さんが世に出られた頃です。「住吉の長屋」だけではなく、安藤さんは大阪の下町で、施主がお好み焼き屋さんとか文房具屋さんとかの店舗併設住宅もてがけておられました。それらはコンクリートの打ちっ放しですが、みなちっちゃなおうちです。それこそ十数坪の地主を施主とする住宅です。そういうちいさい土地持ちがアーキテクトに作品を要求する国って、すごいなと思ったのがはじまりです。

【青木】確かに(笑)。

【井上】ヨーロッパの都会地で、十数坪の地主ってありえないじゃないですか。東京で東(あずま)孝光(たかみつ)(1933~2015年)さんがつくられた「塔の家」に至っては6坪ですか。それに比べて、ロンドンの地権者はおそらく4~5人なんです。何ヘクタールというような地主しか、あちらにはいません。

【青木】そうなんですか。

【井上】しかも、みんな貴族です。私は学生のときにイギリスのお城を結構回ったんですが、まだ公爵や伯爵らが住んでいたんですよ。だけど日本に残る江戸時代の大名屋敷とか城郭はほとんど、地方公共団体が管理して一般公開もしているじゃないですか。つまり、市民の財産になっているわけです。ロンドンにかぎらずイギリスはまだ廃藩置県が終わっていないんかと。

【青木】領主がいる(笑)。

【井上】そう。どうしてそういうイギリスを、我々は近代化の先駆けみたいにして教わってきたんだろう。十数坪の文房具屋がアーキテクトに設計を依頼する日本のほうが、はるかに近代的なんじゃないか。ただ、ロンドンとちがって、日本では、ささやかな人民が自分の狭い土地へ勝手な建物を建てるから、ごちゃごちゃした街並みになるという問題もあるのですが。

■混乱した都市風景は日本の魅力でもある

【青木】ヨーロッパでは、建築家は大富豪のため、あるいは国家プロジェクトのために仕事をしますが、少なくとも戦後の日本では、建築家は小さい事業主というか地権者のために仕事をしてきました。そのため、日本ではバラック的なものが建ち並び、混乱した都市風景になった。町中、電信柱だらけで、空中には電線が蜘蛛の巣のように張っている。でも、私はそれが結構好きなんです。大きな権力ではなく、小さな権力の欲望でできている都市風景は、日本の魅力でもあるんじゃないか、と。ところが昨今、そんな有象無象が買収され、一つの資本にまとめられ、再開発されていく。日本的大富豪が生まれ、それが国家戦略と結びついて、彼らが思うヨーロッパ的な都市に変えていっている。

日本の伝統的な電柱
写真=iStock.com/Sho Ikawa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sho Ikawa

【井上】まだヨーロッパに憧れる心性がなくなっていない。

【青木】とはいえ、ヨーロッパの都市は、時代を跨いだ長い試行錯誤を経て、できあがってきたものですよね。そこでさえ、今や経済論理の力で急速にその姿が変わっていっています。過去と現代とのガチンコがあるからまだそれでも、というところはありますが、日本の場合は、過去はスクラップ・アンド・ビルドで総浚(そうざら)いした上での、大資本の論理だけでつくられる「都市美」です。急ごしらえの美意識で都市をつくるのは、いつだって危険なことだと思いますね。

■首都高は結果的に素敵な風景をつくりだしている

【井上】青木さんは混乱した都市風景がお好きだとおっしゃいます。たとえば東京オリンピックのレガシーである首都高は美しい。そう思おうよ、あれは素晴らしいじゃないか、と。セーヌ川の上にあんなものは到底通らないんだけど、これを通すことのできた日本を肯定しようよ、ということでしょうか。

【青木】微妙なところですが、首都高はところどころで、結果的に素敵な風景をつくりだしていると思っています。たとえば『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー監督、1972年)の映画の冒頭は、首都高を走るシーンです。1970年代における、未来的であると同時にノスタルジックな風景の美しさが、フィルムに定着されています。高架下から見上げると、飯田橋あたりはいいですね。それは、首都高の設計に変な美意識は入っていないから生まれた偶然の産物ですが。美意識がないので日本橋の上も頓着なく通しちゃうという暴挙もあり、問題も多々ありますが、全体的には……肯定したいなと思います。

【井上】わかりました。私はちょっと……いや、ちょっとどころか、かなり違うんです。そこで二人の物別れというオチができますね(笑)。

【青木】(笑)

■「バチカンが燃えていいのか」ローマを守るために降伏したイタリア

【井上】イタリアで教えられて知ったのですが、第二次世界大戦中の1943年7月19日に、初めてローマは連合軍の空爆を受けたんです。この翌日にイタリアの参謀本部はもう戦争をやめようと、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世に掛け合いました。ムッソリーニの逮捕と連合国への休戦申し込みを、初空襲の翌日に決めるんですよ。

【青木】なるほど。

【井上】彼らは、ローマに爆弾が落ちると思っていなかったのです。で、あらためて考えだしました。コロッセオを焼いていいのか、バチカンが燃えていいのか、と。ローマはそこら中に建築の宝がある。これを維持するのは自分たちの務めだ、という思いがかなり強かった。フランスだって、ナチスの前に早々と敗北を決めたのは、パリを焼くわけにいかんという思いがあったからです。ごく近年も、ノートルダム寺院の屋根が焼けおち、脱魂状態になったフランス人はおおぜいいました。ナチスの戦車とパリでドンパチするわけには、いかなかったと思います。

だけど東京は、連合国の空爆に3年4カ月持ちこたえました。軍の一部では、国土が焦土となっても戦闘を継続する途さえ、さぐられたんですよ。後世へ伝えなければならない建築などというものはただの一つもなかったんだなと、非常に切なく感じます。建築という文化財が戦争への抑止力となることに気付いたとき、私はイケイケドンドン風の建築観を改めました。

■自分たちが築いてきた環境への愛情が希薄な日本

【青木】まったく同感です。日本においては、自分たちが築いてきた環境への愛情が希薄ですね。自分たちが生活している日常的な風景が失われることにかなり無頓着です。自分の人生が周りの環境よりずっと短く、私たちはその環境をただ通り抜けていっているだけという感覚がない。シェークスピアではないけれど、ヨーロッパだとどこかに、人間はこの世という舞台に登場しては消えていく役者にすぎないという感覚があるんでしょうね。

井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)
井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)

そんな日本ですが、一人一人の、その時々の欲望でできあがる建物の集合である町もまた、それでもなぜか、固有の空気の質をもってしまうのが、私は面白いと思っています。荻窪という東京の中央線沿線の住宅地がありますが、いろいろな時代につくられた、ほんとうにさまざまな意匠の家が立ち並んでいます。でも、そこにはなにかひとつの空気が漂っている。それを象徴するように、高架となった中央線に乗って町を見ると、ひとつひとつの個性は消えて、一面に広がるじゅうたんのように見えるんです。それぞれの細胞が次々に自由に建て替えられて行っても、全体の空気はさほど変わらない。その安心があったから、自分の周辺環境に無頓着だったのかな、と想像しています。

そういうなかで、もっとも怖いのは面的な大規模再開発です。都市における細胞である建築の交換なら大丈夫、首都高のような血管である道路の増設もまだいい、でも違う臓器が移植されたらひとたまりもない。

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井上 章一(いのうえ・しょういち)
国際日本文化研究センター所長
1955年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒、同大学院修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手、国際日本文化研究センター助教授、同教授を経て、2020年より現職。専門の風俗史・意匠論のほか、日本文化や美人論、関西文化論など、研究範囲は多岐にわたる。『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫)サントリー学芸賞受賞、『南蛮幻想』(文藝春秋)芸術選奨文部大臣賞受賞、『京都ぎらい』(朝日新書)新書大賞2016受賞など著書多数。

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青木 淳(あおき・じゅん)
建築家・京都市美術館館長
1956年横浜市生まれ。東京大学大学院修士課程を修了。91年青木淳建築計画事務所(現在、AS)を設立。住宅、公共建築、商業施設など作品は多岐に渡る。《潟博物館》で日本建築学会作品賞を受賞。京都市美術館の改修に西澤徹夫とともに携わり、2回目の日本建築学会作品賞を受賞。2019年4月から同館の館長に就任。東京藝術大学教授。著書に『原っぱと遊園地』など。04年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

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(国際日本文化研究センター所長 井上 章一、建築家・京都市美術館館長 青木 淳)

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