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エリザベス女王も同情を寄せていた…雅子皇后を苦しめ続けた"男子限定"という時代遅れ

プレジデントオンライン / 2022年1月27日 10時15分

エリザベス女王、チャールズ皇太子、コーンウォール公爵夫人カミラ、ウィリアム王子、ケンブリッジ公爵夫人キャサリン、ジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子 - 写真=dpa/時事通信フォト

2013年、イギリス王室の王位継承は男女関係なく第1子とする長子優先に変わった。ジャーナリストの多賀幹子さんは「男女平等を重視するヨーロッパ王室は、男子優先という従来の継承制度から次々と転換している。女性・女系天皇の議論が進まない日本の皇室は、時代の変化に取り残されている」という――。

■キャサリン妃の妊娠を知り、女王が希望したこと

昨年末、安定的な皇位継承を検討してきた政府の有識者会議が報告書をまとめた。皇族数を確保するため、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、旧皇族の男系男子を養子に迎える案が盛り込まれた。長期間かけて熱心な討論がなされたはずだが、女性・女系天皇の是非など、今最も必要な抜本的対策には踏み込んでいない印象だ。

一方、日本と同様に伝統を尊重し長い歴史を誇るイギリス王室では2013年に大きな変化があった。約300年ぶりに法律を改正し、王位継承を男子優先から完全な長子優先に移行することになったのだ。いったい何が起きていたのだろうか。

2011年、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の長男ウィリアム王子と、大学の同級生だったキャサリン妃が結婚した。イギリスの人たちは、赤ちゃんのニュースを心待ちにしたが、翌2012年はロンドンオリンピックが開催。2人はイギリス選手団の応援代表に就任し、連日会場に顔を見せて声を張り上げた。この時期に妊娠発表をして選手の頑張りをかすませてはいけないという配慮からか、期間中におめでたの発表はなかった。

■雅子皇后も苦しめられた男子出産のプレッシャー

オリンピックが終わるとまもなく第1子の妊娠が発表されたが、女王から1つの提案がなされた。女王は王位継承に関して長子優先への変更を希望するというものだった。

それまでの制度では女性も君主になれるが、あくまで男子が優先された。1952年にエリザベス女王が君主に就いたのは、兄も弟もいなかったためだ。エドワード8世が離婚経験のあるシンプソン夫人と結婚するために退位した後、エリザベス女王の父ジョージ6世が戴冠した。当時10歳だった女王は、自分の「恐ろしい」将来を知って、母親に「弟を生んで」と懇願したといわれている。

エリザベス女王は、キャサリン妃が出産にまつわるプレッシャーに苦しむことがないように、男子優先から完全な長子優先に変更すべきと考えた。この時、女王は口には出さないが、男子出産のプレッシャーを抱えていた雅子皇后に同情を寄せていたといわれている。

女王はメディアを通じて、それとなく長子優先への期待を示した。イギリス国民の反応は、前向きだった。これは「アドバルーンを揚げる」と呼ばれている。女王らが何か決定する前に国民に問いかけ、反応を待つ。

■「女性に君主は務まる」を体現した女王

国民が長子優先に賛成したのは、男子優先が時代遅れであると感じていたからだ。男女平等は国の大事なルールであることを具体的に示す必要性は共通認識になっていた。一番初めに生まれた子供が性別に無関係に君主に就くと定めるのは、わかりやすい男女同権の証しである。

女性に母と妻と君主の役割を背負わせるのは、荷が重すぎて心配であるという「紳士」の立場からの意見もあったが、これはエリザベス女王の並外れた努力に水を差すものとして一蹴された。4人の子供を出産・育児(ナニーが面倒を見たとしても)をしながら長く健康で君主の公務を勤勉に果たした姿が説得力を持った。「女性に君主は十分に務まる」ことを女王は体現していた。

王冠
写真=iStock.com/Yurii Kifor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yurii Kifor

キャサリン妃は2013年に長男ジョージ王子を、2年後には長女シャーロット王女を出産した。王女が生まれた際には、「歴史的なプリンセス」と呼ばれた。たとえ彼女の下に男の子が生まれても王位継承順位が揺るがない、王室史上初めてのプリンセスなのだ。実際、その後に次男ルイ王子が誕生したが、王女の順位4位は変わらなかった。

■ヨーロッパの王室に近く訪れる「女王の時代」

イギリスは歴史と伝統を重視するが、変化もまた受け入れる。女性には体力的・精神的に君主は無理があると主張する人がいても、女王のこれまでの成功と人気は、女性君主が十分に可能であることを示した。

それに何より、7つ(モナコなど公国を除く)あるヨーロッパの王室で、男子に限定していたかつての王位継承制度から男子優先、さらに長子優先に切り替える流れがあったことも影響している。イギリス王室はむしろ遅かったと見なされた。

現在、在位している女王はエリザベス女王とデンマークのマルグレーテ女王(1972年に即位)の2人だが、スウェーデン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、スペインでもいずれ女王が誕生する見通しだ。ヨーロッパでは「女王の時代」がすぐそこまで来ている。

■男子優先では「男女平等への努力を損なう」

まずスウェーデン王室。ここはすでに1952年に国会で初めて女子の王位継承権を認める動議が提起された。それは、「王朝の存続」と「男女平等」の観点からだった。ただ、大きく動いたのは1970年代後半になってからだ。

国内では、女子の王位継承を認めたとしても、男子優先継承を選択すれば、教育など国内のあらゆる方面で行われている男女平等への努力を損なう恐れがあるという懸念があった。したがって、男女平等を達成する方法で女子の王位継承を導入すべきとして、1979年に「完全長子優先法案」が国会で可決された。この法案は、ヨーロッパでは初めての例だった。

1977年にビクトリア王女が誕生し、弟カール・フィリップ王子が2年後に生まれたが、ビクトリア王女の王位継承順位は1位のままであり、皇太子と位置づけられた。ビクトリア皇太子は、民間のジムのトレーナーであった平民のダニエル氏と恋愛、多くの反対を乗り越えて結婚にこぎつけた。第1子は2012年生まれのエステル王女だ。弟オスカル王子がいるが、エステル王女が母ビクトリア皇太子の次に女王になることが決まっている。

■国民が期待を寄せるベルギー史上初の女王

ノルウェー王室は、男子のみが王位を継承するとした1905年の憲法の規定が適用されていた。それが1990年、男女平等の観点から憲法が改正され、長子優先となった。

ホーコン皇太子の交際相手、メッテ=マリット皇太子妃には連れ子がいて、その子供の父親が麻薬で収監されたことがあった。妃自身も麻薬パーティーに参加したとして、結婚に反対する声が高かった。しかし、妃の「過去は変えられないが、未来は変えられる」という涙ながらの謝罪と誠実な誓いに流れが変わり、妃は国民から受け入れられた。

王室のウェブサイトには「1990年の憲法改正にともない、男女の区別なく第1子が王位継承順位1位になる」と明記されている。これにしたがって2004年生まれの長女イングリッド・アレクサンドラ王女が将来の女王になる。

ベルギーは1991年、議会が男女同権の観点より長子優先と決め、憲法が改正された。そのために第1子で2001年生まれのエリザベート王女が次の女王と決まっている。ベルギー国民は史上初の女王誕生に期待を寄せている。

エリザベート王女は、オランダ語、フランス語、ドイツ語が堪能で、13歳の時に3カ国語で追悼スピーチをして絶賛された。さらに英語も堪能で、君主の伝統である軍の学校での訓練もこなすなど、文武両道の才女だ。現在はオックスフォード大学で政治などを学ぶ。

オランダ王室は、1983年に長子優先になった。現在のウィレム=アレクサンダー国王には3人のプリンセスがいて、2003年生まれの長女カタリナ=アマリア王女が次期女王になる。

■将来の女王たちと愛子さまは同世代

スペイン王室では、2005年生まれの長女レオノール王女が将来の女王だ。スペインは男女平等の観点から、男子優先を長子優先にするべきとの国会の動きがあった。男子誕生でレオノール王女の継承順位が下がるのを防ぐためだったが、レティシア王妃の第2王女の懐妊が発表され、緊急性がなくなった。法改正には至っておらず、7つあるヨーロッパ王室で唯一男子優先が維持されている状態だ。

レオノール王女は、13歳の誕生日にスペイン憲法を読み上げることを最初の公務とした。16歳の時には、イギリスのウェールズにある国際的な寄宿学校に入学、一般生徒らとの集団生活を経験している。

これらの国の将来の女王たちは2001~2005年生まれと、2001年生まれの愛子さまと同年代だ。その母に当たる王妃らに目を向けると、興味深い共通点がある。彼女たちは平民、高学歴、結婚前はキャリアウーマン、語学堪能などで、いずれも恋愛結婚である。

オランダのマクシマ王妃はアルゼンチン出身で、ニューヨークで銀行の管理職をしており、デンマークのメアリー皇太子妃はオーストラリア出身で、結婚前はマイクロソフト社で働いた。国際結婚もまったく珍しくない。

■日本の皇室は「不平等」の象徴でいいのか

先日、オランダでは「たとえ王位継承者が同性愛でも退位の必要はない」と首相が発言したり、王室専用馬車の側面にひざまずいた奴隷が白人領主にココアなどをささげる様子が描かれているとして、国王が馬車の使用を無期限に停止したりした。「過去をなかったことにすることはできない。しかし過去の汚点を引き継がない」との強い意志が伝わる。王室こそ、人権問題においてリーダーシップを取る立場にあるという考えが根底にあるのだ。

イギリス王室のウィリアム王子は、キャサリン妃の出産をまずツイッターで国民に知らせた。またインスタグラムなどのSNSを使用して、誕生日や記念日などの機会をとらえては国民との距離を縮めている。キャサリン妃のカメラの腕前はプロ級といわれ、撮影する3人の子供の写真は特に人気があり、「開かれた王室」に貢献している。

こうした例を見ていると、皇位継承で男女平等さえ実現できない日本の皇室は周回遅れといえるのではないか。日本の皇室は特別で、ヨーロッパの王室とは違うと主張しても、国際的には理解されにくいのが現実だ。「日本は男子のみでいい」「皇室に変化の必要はない」といった意見も、ただの独りよがりに感じる。

皇居と二十橋
写真=iStock.com/licsiren
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/licsiren

女性天皇を認めない皇室は、日本社会の男女「不平等」の象徴になってしまっている。国民の7割以上が女性天皇に賛成であるという世論調査やアンケート結果が出ているのに、なぜそれは反映されないのだろうか。今、皇室が変わるチャンスを逃すと、日本の男女平等の実現は大きく遠のいていくに違いない。皇室の「ガラパゴス化」がこれ以上進まないためにも、皇位継承のあり方が国民的な議論となり、進展することを期待したい。

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多賀 幹子(たが・みきこ)
ジャーナリスト
お茶の水女子大学文教育学部卒業。企業広報誌の編集長を経てフリーのジャーナリストに。1983年からニューヨークに5年、95年からロンドンに6年ほど住む。女性、教育、社会問題、異文化、王室をテーマに取材。著書に『親たちの暴走』(朝日新書)、『うまくいく婚活、いかない婚活』(朝日新書)『孤独は社会問題』(光文社新書)など。

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(ジャーナリスト 多賀 幹子)

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