「興味深い国だけど、女性はかわいそう」ポール・マッカートニーが初来日で衝撃を受けたこと
プレジデントオンライン / 2022年2月1日 12時15分
■やけくそで当たって砕けろ作戦だった
以下は1998年10月の末、ロンドン、ソーホースクエアにあるMPLコミュニケーションズ(MPL Communications)のオフィスで行った1時間半のインタビュー記録である。MPLはポール・マッカートニーの個人事務所で版権管理などをする会社だ。
わたしは『ビートルズを呼んだ男』(小学館文庫)の取材で彼に会って話を聞いた。テーマは1966年のビートルズ日本公演とその時のプロモーターでキョードー東京の創業者、永島達司についてのものだ。ポールは永島のことを「Tats(タツ)」と呼んだ。
1998年4月、ポールは長年連れ添った奥さん、リンダを亡くして自宅に引きこもっていた。それなのに時間を作ってくれたのは永島との長い友情があったからだ。
わたしは通訳を頼まずにひとりで行った。通訳を頼むとすればお金がかかる。フリーランスのライターは通常、金持ちではない。むろん、わたしもそのひとりである。ロンドンまでの航空運賃やホテル代を出すのだけで四苦八苦したのだから、そのうえ通訳を雇う予算があるはずもなかった。
ポールのインタビューが決まってから1カ月間くらい、FEN(Far East Network、在日米軍向けラジオ放送)を流しっぱなしにしてヒアリングの特訓をして、そして、インタビューに臨んだ。やけくそであり、当たって砕けろという精神だった。
さて、MPLのオフィスはロンドンの下町、ソーホースクエアにあり、小さな公園に面していた。5階建てのおしゃれなビルで、アポイントを取った時間の30分も前から待機していた。
■部屋に運ばれてきたのはなんと緑茶
するとビルの前に1台のバイクが止まり、ヘルメットを脱いだら、ポール・マッカートニー卿だった。
彼はそこにぼーっと立っていた日本人を見つけると、「Hi」と言った。日本人とはわたしである。
「行こうか」と先導されて、MPLのビルのなかへ入っていった。ビルは5階建て。中に入ると、アンディ・ウォーホルがビートルズの4人を版画にした作品が飾ってあった。
「高いのだろうな」と思ったけれど、口には出さなかった。しかし、ポールは内心を見透かしたように「これ、アンディが送ってきた。お金は払ってない」と言った。
「素晴らしい作品ですね」とお世辞を言って、彼の執務室がある最上階まで階段を上っていった。
部屋にはジュークボックスと現代美術の絵画(デ・クーニングの作品)があり、ソファに座ると、緑茶が運ばれてきた。
「グリーンティーは体のなかを清浄にする」と言いながら、左手の手のひらでおなかを撫でた。
そうだ。彼は左利きだ。わたしはそこにものすごく感心した。
■だれが日本公演を提案したのか
鼻歌(曲名はわからず)を歌っていたポールが「録音の準備できた?」とわたしを見た。
「はい」と答えたとたん、インタビューは始まった。出たのは緑茶が一杯だけだった。
——さて、あなたが永島さんと初めて会ったのはいつでしたか?
【ポール】日本に最初に行ったとき。何年だったかな?
——1966年です。
【ポール】1966年……。ああ、そうか。初めての日本ではとても興味深い経験をした。今まであんな多くのポリスを見たことはなかったから。(日本にいた間)ぼくたちはほとんどタツだけとやりとりをした。アメリカ育ちだったのが楽だったね。英語は堪能だし、ぼくらのやり方をよく理解してくれた。だからいい友達になったんだ。それが最初に会ったときかな。
——ビートルズ来日公演を最初に提案したのは誰でしたか?
【ポール】(マネージャーの)ブライアン(・エプスタイン)が決めたんだ。ブライアンが「日本に行くのはいいんじゃないかと思うんだけど」って言ったから、ぼくらは「まかせる」と答えた。するとブライアンは行くのか? 行かないのか?」なんて聞いてきて。あの時、ぼくらが「ノー」と言えば強制されることはなかった。
■ポールがいちばん驚いた「日本の文化」
「オー? ジャパン? いいんじゃないの。いい感じだね」って返事した(笑)。その後、たしかオーストラリア(実際はフィリピン)に行く予定が入ってたんじゃないかな。同じ地域ならぼくらは楽だから。
ブライアンは「日本に寄ってみるといいんじゃないか。ファンがたくさんいるよ」とも言った。
だからぼくら4人ともオーケーしたんだ。その当時、イギリスと日本はほんとうに文化が違っていて、びっくりした。だって、30年も前なんだよ。
ファンは変わらなかった。女の子たちは世界中どこでも一緒。とっても似ているんだ。
ただ、文化は違っていた。例えば、ぼくらがいたホテルでのこと。女性が男性のために立ち上がったときは本当にびっくりしたね。
タツではない日本人の大物プロモーターが会いにきた。するとそこに座っていた女性がさっと席を譲るんだ、その男性にね。信じられなかったよ。なんだよそれ、って感じ。
イギリスに帰ってからガールフレンドにその話をしたら、すごく気に入らないって言ってたね。
それでも滞在はとても興味深かった。文化の違いに触れたのだから。あ、そうだ。ほとんどの時間はホテルの中に閉じ込められていたんだ。
■「ひとりで出かけたい」と警官に頼んだら…
——ヒルトン東京ですね。
【ポール】イエス。警察にがっちりガードされていた。たぶん警察の恥になるような事件を起こされちゃ困るって、みんなが心配してたんじゃないかな。ほら、警備がずさんだったと言われちゃうような事件を起こすと思っていたんだよ。
ぼくらは24時間、見張られていた。ある日ホテルから出ようとしたんだ。皇居を見たくて。ぼくは自由の身なんだ、警察の言うことなんか聞く必要はない。警護してくれているかもしれないけれど、ぼくは勝手に行動したかった。それで部屋から出たら、警官のひとりが追いかけてきて「同行させてください」って頼むんだよ。
「嫌だ、ひとりで出かけたい! プライベートな人間なんだ」って答えたら「お願いします! お供させてください」……。その時、気がついた。(もし、ぼくが勝手に出かけたら)この人は警官をクビになっちゃうんじゃないかって。だから、出かけるのはやめた(笑)。
——当時、警察官と消防隊員の約4万人が警備にあたりました。わたしは警察官と消防隊員にインタビューしましたが、彼らは、今でもあの日のことを誇りに思っているそうです。子どもたちには「自分はビートルズの警備をしたんだ」と話すのです。
■あんなコンサートは今までになかった
【ポール】おもしろいなと感じたのは警察がファンを道路から排除して、数カ所に集めたこと。だから車が走っていく道路脇には誰もいないんだ。車が曲がり角に近づいてきたら「キキキキィーーー(ブレーキを効かせながらコーナリングする音のまね。これが恐ろしく上手)」そして誰もいない道に出る。しばらくすると(ファンが集まった)交差点がまた近づいてくる。「キィキィキキィーーー」。目的地までずっとこれ。
武道館に勢ぞろいした兵隊(訳注:警官と軍隊を間違えている)にもびっくりしたね。会場の一列目が兵隊の列。あんなコンサート、今までにはなかったね。それほどの警備は必要なかったと思うけど。でも脅迫状が何通か届いてたらしいから仕方がないのかもしれない。
武道館は神聖な会場なのにぼくたちがコンサートをすることで侮辱されたと感じた人たちがいたからね。でもそんなことは終わるまで何も聞かされてなかったし、ぼくたちの知ったことじゃなかった。ぼくらの仕事は指定された場所で演奏するだけだから。
■ポールが抱いていた「日本のイメージ」は
——来日する前にイメージしていた日本とはどういったものでしたか?
【ポール】古風なイメージかな。映画やキモノ、サムライ、『七人の侍』、クロサワの映画。当時、イギリスで見た日本のイメージはそれくらいしかなかった。古い文化を持つ国だと想像していたんだ。あ、今でもそうだよ!
ぼくにとって日本が興味深いと思うひとつはそこなんだ。今の日本には近代的な文化がある。しかし、それは表面だけで、中身は古風だ。ぼくはいつも、日本人は古風だと思っている。
日本は過去30年の間に非常に近代的な国になり、コンピュータやビデオレコーダなんかを製造しているけれども中身は古風。日本は古典的な文化と近代的な文化が両立している。おもしろいミックスだ。
今の日本人と会話をしていて思うんだけど、メンタリティーはカントリーだよ。わかる? 東京の大都会で都会人たちと話をしていても、彼らはややもするとカントリーで、古典的なものの見方をしている。
——はあ、おかしいですね。(ポールの話についていけていない)
ポールそれはいいことだよ。ぼくは日本人がカントリーサイドの雰囲気を引きずっているのはいいことだと思う。基盤(土台)がしっかりしているってことだから。(日本の文化に基盤が)なかったら、困るでしょう。
■タツのおかげでぼくらは好きなようにやれた
——当時、永島さんと会話をしたことを覚えていますか?
【ポール】たくさんの話をしたと思う。タツはいつもぼくらのそばにいたね。挨拶をしに顔を出してくれたし、みんなの調子をうかがったり。個人的にタツと話をするようになったのは、最近のことだ。ぼくがイギリスで暮らすようになってからだ。タツとは親しい友人としてレストランで食事をするんだ。
——1966年、永島さんは40歳、あなたは20歳でした。当時、彼はビートルズの曲は好きではなかったそうです。騒々しい音楽だと思っていた、と。
でも現在70歳の永島さんはビートルズの作品は美しいと言っています。なんといっても彼のオフィスの電話の保留音はビートルズの「レット・イット・ビー」なんですから。 彼が一番気に入っている曲です。
【ポール】タツが好きだったのはナット・キング・コールだろう。アメリカンポップスがスタンダード音楽だったんだ。今ではビートルズがスタンダード・ナンバーになっている。今の若者にとってビートルズはオールドファッションなんだ。ラップやテクノが流行の先端なんだよ。
タツはあの頃からいい友達だった。ぼくらは彼を気に入っていた。彼はいろいろな面でちょっと変わった日本人だったね。彼は背が高かった。ぼくらが出会ったなかで一番背の高い日本人だった。
彼はアメリカ人みたいだった。日系アメリカ人みたいで、ぼくらは楽だったよ、とくにしっかりと話し合いをしなければならないときにタツがいてくれて、思ったことを通訳してくれた。ぼくらは好きなようにやれたんだ。
■日本の女性が少しかわいそうだなと思うね
——この本のために今までに100人以上にインタビューをしました。彼らに来日公演のビートルズの音楽、そしてコンサートについてどう思うかを聞いてみました。それで気がついたんです。
ビートルズが来る以前、日本社会には世代がふたつありました。大人と子供です。でもビートルズの登場で、日本には新しいジェネレーションが生まれました。それが「若者」というジェネレーションなんです。ビートルズの音楽を愛したのは若者という新しいジェネレーションでした。
【ポール】そうなんだ。若者たち。おもしろいね。そんなことがあったなんて。
日本は興味深い国だ。日本は非常に男性中心の社会だ。ぼくの見る限りではそうだ。
ぼくの言う古典的な社会とはこのこと。古典的な社会では男尊女卑でしょう。イスラム文化やインド文化、ほかにもたくさん。日本の女性が少しかわいそうだなと思うね。彼女たちが幸せだといいのだけれど……。日本では男性が王様だよ。
こんなことがあった。ぼくがリンダと日本へ行った時、タツにこう言ったんだ。「夕食に奥さん連れておいでよ」って。
そしたら「妻はディナーの席とかあまり好きじゃないんですよ」ってタツは言った。ぼくらは奥さんをむりやり招待した。そうしたら奥さんがやってきた! とても楽しかった。
後から知ったんだけど日本のビジネスマンにとっては奥さんを仕事の集まりに呼ぶのはとても珍しいんだってね。普通は男はひとりで行動するそうだね。まあ、これも社会の違いってことだろうけれど。
■アメリカでは演奏中ずっと叫びっぱなしだが…
——タツさんの奥さんにお会いしたことがあります。招待されたこと、とても楽しい経験だったと言っていましたよ。
ポールうん、楽しかったね。
——来日公演で、ほかに覚えていることは何かありますか?
【ポール】コンサート……。それまでとはまるで異なっていたことを覚えているよ。まったく違った……。文化は違うし(コンサート会場に)警察が来るし。今までそんなことはなかったから。
——警察に囲まれたのは初めてでしたか?
【ポール】武道館では警官が入場してきて、最前列に並んだ。2階の最前列にもだよ。そんなことは初めてだった。客の反応も(イギリスやアメリカとは)違っていたよ。日本人の観客は演奏を聴いて、曲が終わるまで騒がしくしない。アメリカじゃ演奏中もずっと叫びっぱなしさ。(アメリカのコンサート会場には)警官もいない。最前列はファンだから舞台に飛び乗ったりもする。
■あまりに静かで礼儀正しく座っているから…
でも日本は規制されている社会だから、しっかりした警備をした。そんなところが、ぼくらにはちょっと変わってると感じたね。いつもキャーキャーいうファンの前で演奏することに慣れているから、騒がない客のいる国で演奏すると、なんていうのかな、うまく演奏できてなかったのかなって思ったんだよ。
(観客のリアクションなどが)普段と違っていたことは、ぼくらを少し緊張させた。イギリスやアメリカで演奏したときは反響が予想できたからリラックスしていたけれど、日本に行ったら警官は入ってくる、観客は礼儀正しく座っている。混乱した。あまり静かだから「ぼくらのこと気に入らないの?」って。嫌われたのかと思ったよ。まあまあの出来だなあとは思ったんだけど、最高ではなかったのかなって。
でも、そんなことはない。今振り返るとよかったんだ。当時は、プロとして自分たちのできる限りのベストなコンサートをしなかったのかも、もっとうまく演奏できたかもしれないって、そう思ったんだ。警察が最前列にいたし、その他いろいろなことが原因で、演奏に集中できなかったのかもと思った。
でも、ぼくらは当時、世界でいちばんのライブバンドだったからね。だから、あのコンサートはベストだった。
——客のひとりであなたが歌った「Yesterday」を今でも忘れないという人がいます。
【ポール】それはよかった。やっぱりいいコンサートだったんだね。コンサートは大盛況だった。すごく良い出来栄えだった。(後編につづく)
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。近著に『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)がある。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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