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中国が世界にずっと先駆けて「夫婦別姓」を実現した理由

プレジデントオンライン / 2022年2月5日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hxyume

中国では長い夫婦別姓の歴史を持つが、その意味するところは1950年を境に大きく変化した。中国在住のライター、斎藤淳子さんは「その背景には、父系家族を重視する儒教思想の根強い伝統と、革命を経て都市部で根付いた男女平等がある」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

■世界に先駆けて実現した“平等な”夫婦別姓

世界を見回してみると夫婦別姓の議論が盛んになったのはほとんどが1980年代以降だ。中国はそれらにずっと先立って男女平等の原則に基づいた夫婦別姓を実現した。世界に先駆けた夫婦別姓はどのように導入されたのだろうか?

中国で男女平等の原則から夫婦別姓を定めたのは1950年の「婚姻法」だ。1949年に誕生したばかりの新生国家にとって、同法は土地改革とともに人口の半分に当たる女性を「社会と家庭の二重の抑圧から解放」し、民衆基盤として取り込んだ重要な法律と位置付けられている。

同国の婚姻は長年本人の意思に拠らず、親が家と家の関係の中で差配する封建的なものだった。それに対し、婚姻法では婚姻における夫婦間の関係は平等となり、当事者2人の「婚姻の自由」が初めて認められた。そして、「夫婦は自らの姓名を各自が使用する権利を持つ」と定められた。

後述するように表面上は従来からの「夫婦別姓」と変わらなかったが、その思想は「男女平等の原則」に基づいたものへと質的に大きく変化した。この規定は2021年に施行された新民法典にも吸収され、そのまま今日に至っている。

■「空の半分は女性が支える」

柯倩婷(カ・チンティン)中山大学副教授(ジェンダー学)は婚姻法の実施の背景について、「男女は平等で、独立した人格をもち、女性は男性の附属物ではないといったマルクス主義の思想の影響ももちろん受けた。しかし、中国国内にも、革命初期の延安時代の頃にすでに本人の意思による自由な結婚など家庭内の平等を目指す『家庭革命』の根はあった。当時は政治運動的な性格が強く、革命思想の強い潮流下で初めて『家庭革命』も実現した」と指摘する。

また、「婚姻の自由や夫婦別姓などを含む婚姻法の実現は、女性にとって大きな解放を意味する政策だった。同法の中には多くの先進的で徹底した男女平等の概念が含まれている」と述べる。「空の半分は女性が支える」と中国人なら誰でも知るキャッチフレーズにあるように、中国の女性は、国全体の政治運動の機運に乗って男性と平等に位置づけられた。また、結婚の自由と同時に自分の姓を結婚後も独立して使用する権利を一気に獲得したのだ。

こうして中国の女性は封建的な儒教思想からにわかに解放された。中国の女性が男女平等の原則のもとで独立した姓を名乗る権利を得たのは、柯副教授が指摘するように当時はかなり先進的だったといえるだろう。

■世界的な女性起業家を生む中国

実際に、現在の都市部の女性たちを見回しても、北京や上海などの大都市で暮らす女性たちは東京や大阪の女性よりはるかに「解放」されている。例えば、大学の女子学生の割合(2019年)は日本では44.5%だが、中国では52.5%に達し、大学院は50.6%でいずれも日本(修士課程が30%、博士課程が33%)より女性の比率が高い。中国の女性は日本より高学歴志向だ。

また、中国人女性はビジネス界にも活発に進出している。その存在感は、中国人女性の世界人口比(20%)を考慮に入れても突出している。例えば、フーゲワーフ研究院の「女性起業家富豪世界ランキング2021年」によると、資産10億ドル(約1100億円)以上を所有する(遺産などではなく自ら起業した)世界の女性起業家富豪130人のうち、85人(65%)が中国人女性だった。その他は米国が25人、アジア系はインド(2人)、以下シンガポール、韓国、オーストラリア、タイ、ベトナム、フィリピンが各1人で、日本はゼロだった。

さらに、都市別ではトップの北京(16人)に、上海(11人)、深センと杭州(ともに10人)、広州(7人)、サンフランシスコ(6人)が続いた。こうしてみると、中国の大都市は女性起業家富豪が最も多い世界都市でもあるようだ。

■「モザイク型」の中国社会

筆者も北京に長く生活しているが、女性として暮らすのに北京の居心地は悪くない。以前、米国のワシントンDCでも生活したので、東京も入れて3つの首都を比べてみると同じアジアであるにもかかわらず、北京は東京よりもワシントンDCに近いように感じる。仕事文化もサバサバとしており、「実力」や「結果」が追求されて厳しい反面、「女らしさ」や「気が利くこと」は元から求められないからだ。

社会全体の雰囲気も東京と比べてユニセックスな色彩が強い。そのため、普段からあまり男女を意識せずに過ごすことができる。東京でお化粧をせずには出かけられないが、ワシントンDCや北京ならそれもアリだ。日本では当たり前とされる女性ゆえの遠慮や気づかいは北京では要らない。

このように、中国では70年前の革命により都市部の女性たちは独立して働き、稼ぎ、結婚し、そして自分の氏名を名乗る権利を一気に手に入れた。ところが、読者もご存じのとおり、中国は広くて深くて複雑だ。人口規模は日本の10倍以上で、地理的にもヨーロッパがすっぽり入る大きさの上、歴史も4000年以上と長い。そのため、中国では常に相矛盾するものが混在しており、女性の置かれた状況も例外ではない。

上海大学の計迎春(ジ・インチュン)教授(社会学)は中国の家族関係を「モザイク型」と表現する。伝統的社会から脱皮して現代化していく西欧の「直線的」な発展とは異なり、中国では、現代と伝統がまるで「モザイク」の如く混在するという。中国のまだらで複雑な発展を上手く表現しており、膝を打った。

太陽の光の中で街を見る女性の背面図
写真=iStock.com/AerialPerspective Works
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AerialPerspective Works

■根強い「男尊女卑」も混在

中国の家族のカタチはまさにモザイク模様だ。中国が男女平等の原則に立ち、妻が夫から独立した姓を名乗るようになった「先進性」の隣には、実は非常に根強い「男尊女卑」の伝統も混在している。

もともと、中国の人々は1000年以上にわたり儒教思想と父系家族主義の風習に縛られてきた。儒学の祖、孔子は三従・七去の教えによって夫婦関係を規定した。

三従の教えとは「女性は幼いうちは父に、嫁したら夫に、老いれば子に従え」というもので、日本でも有名だ。七去は儒教の嫁ルールで、「夫の親に従わない女、子を産まない女、嫉妬する女、ふしだらな女、悪い病気をもつ女、多言な女、物を盗む女は夫の家から離縁を言い渡されても仕方がない」と説く。女性の人格を完全に否定するこれらの儒教思想は父系家族制度とともに中国社会に深く根付いてきた。

また、儒教と並んで重要だったのが父系家族制度だ。中国の家族制度は、父系の子孫の存続を目的としていた。中国の社会学・人類学の父とよばれる費孝通(フェイ・シヤオトン)はそんな社会を「上に祖先、下に子孫がいて、誰もが上下左右につながる輪っかの一つとして生きてきた社会だった」と指摘する。祖先の加護を受けて生き、死後は子孫が線香を絶やさないことが人の成功を意味したという。

そのため、中国では父系家族の継承が何よりも重要とされ、「(男子の)子孫を絶やすのは三つの親不孝の中でも最大」と言い伝えられ、固く信じられてきた。

■重要なのは父方の血縁

こうした父系家族重視の伝統は21世紀の今日も注意深く見回すと発見できる。面白いので、親戚一同のポジションを示す中国語の語彙の豊かさを見てみよう。日本語にはない呼称がざっと数えても20以上ある。血統へのこだわりの強さと大家族の人間関係の複雑さが一目瞭然でわかる。

例えば、日本語や英語では「おばあちゃん」や「グランドマザー」の一言で終わりだが、中国語では父方の祖母は「ナイナイ(奶奶)」と呼ぶ。一方で、母方の祖母は外の婆と書いて「外婆(ワイポー)」、または「ラオラオ(姥姥)」と呼び、両者をはっきり区別する。

同様に従妹だけでも父方には、重要な屋内を意味する「堂~」を被せ、母方は、表面を意味する「表~」を兄、弟、姉、妹に足して8種類に細かく分けて呼ぶ。父方こそが家の中の重要な仲間で、母方は付き合い上の親戚という温度差が漢字からも伝わってくるだろう。重要なのは父方の血縁だけなのだ。

■妻は“外の者”だから「夫婦別姓」

少し遠回りになったが、儒教の教えと父方の血縁に対するこだわりの強さを説明した理由は、それが嫁である妻の姓に決定的な影響を与えたからだ。つまり、中国の伝統社会は独自の固有名詞を発明してまで父方の血統にこだわった。

その中で、夫の血を引かない妻がどう扱われたか、読者も想像して欲しい。ズバリ、妻は終始、子孫存続のための「外の者」で、伝統社会における夫婦別姓はその結果だったのだ。こうして妻は、結婚後も夫とも子どもとも違う生来の姓を名乗り続けた。

これは、孫からみると、母方のお婆ちゃんは「外の」婆なので「外婆(ワイポー)」と呼ぶのと同じ理屈だ。子どもを自分の腹を痛めて生んだ母親でさえも、父系の血の理論では「外の」よそ者扱いだった。

また、このように嫁の存在理由は子孫作りだった。そのため、清朝までは、妻が子どもを生めない場合は「離婚するか、妾をもつか、養子を取る」権利が夫家族には法律(「大清律例」)で保障されていた。

■「妻の孤立」の象徴から、「男女平等」へ

男の子の跡継ぎ作りを重要視する同様の文化は日本でも近年まであったが、さすがに今では廃れているだろう。一方で、まだらなモザイク型社会の中国では、農村の一部では未だに「嫁は子孫存続のための外の者」という考えが根強く残っている。孤立ゆえの夫婦別姓のしっぽは今もまだ、存在する。

冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓――家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)
冨久岡ナヲ、斎藤淳子、伊東順子ほか『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)

80年代生まれで、現在30代の広東人の筆者の友人によると、同級生の女友達は結婚後、数年経っても子どもが生まれなかったために義母から離婚を促され、夫もそれに無抵抗だったので、ほどなく離婚したという。

また、2021年に中国のドキュメンタリーランキングで上位になったネットテレビシリーズの『奇妙な蛋生』でも、35歳の妻が不妊治療の甲斐なく子宝を授からなかったために、四川省の義母と夫の家から追い出された話が登場する。妻は子どもを生むための「外の者」という感覚はまだ完全には消えていない。

このように、急速な経済発展を遂げた21世紀の今日も、儒教思想の影響は中国社会の一部にまだモザイクのタイルの如く残っている。

中国の夫婦別姓の文脈で重要なのは、血統を示す父系家族の中で、妻は孤立していたために結婚後も姓が変わらなかった点だ。伝統的な中国社会にあった夫婦別姓は孤立した妻の存在を示すもので、前述した革命後の「男女平等の原則に基づいた夫婦別姓」とは正反対の代物だった。

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斎藤 淳子(さいとう・じゅんこ)
北京在住ライター
米国で修士号取得後、北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に共同通信、時事通信、NHKラジオなどに執筆・出演。『在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由』(CCCメディアハウス)、『日中対立を超える「発信力」』(日本僑報社)、『夫婦別姓 家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)共著編のほか、読売新聞リレーエッセイ連載(2014~18年)など。

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(北京在住ライター 斎藤 淳子)

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