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「どんな手を使ったのか」と問い詰められた…外交素人の私がローマ教皇訪日のためにしたこと

プレジデントオンライン / 2022年2月27日 12時15分

野外ミサの会場に、オープンカーで入場し、参列した信者らの歓迎に応えるフランシスコ・ローマ教皇(中央)=2019年11月24日、長崎市松山町の長崎県営野球場 - 写真=時事通信フォト

キリスト教カトリックの最高指導者・ローマ教皇は、2019年末、38年ぶりに来日した。この立役者が、経団連の副会長・事務総長を経て2016年から駐バチカン大使を務めていた中村芳夫さんだ。外交未経験にもかかわらず、なぜ教皇来日というミッションを実現できたのか――。(前編/全2回)

■バチカン大使として教皇にお目にかかるとは夢にも思わなかった

——『バチカン大使日記』(小学館新書)では、民間出身として異例のバチカン大使に抜擢された中村さんの活躍が描かれています。そもそも中村さんにとって、カトリックの総本山であるバチカンとはどのような存在だったのですか?

【中村】現代はGゼロ、つまり国際的なリーダーが不在の時代です。そんななか全世界に約13億人の信徒を持つカトリック教会のトップである教皇フランシスコは、モラルリーダーと呼ばれ、世界的な強い影響力、発信力を持っています。

例えば、教皇が掲げる「核なき世界の実現」あるいは「貧困の撲滅」……。日本が世界に発信すべきメッセージと重なります。その意味でもバチカンは、日本と価値観を共有できる存在――そうしたイメージを持つ国です。

一方で大使として赴任するまでは、バチカンをとても遠く感じていました。1973年に妻との結婚を機に洗礼を受けた私にとって、教皇にお目にかかれる日がくるなんて思ってもいなかったのです。

それに私は、ずっと経団連で働いていたでしょう。まさか民間出身の私が、外交官としてバチカンで仕事をして、教皇にお目にかかる機会をえられるなんて……。夢にも思ってもいないことの連続でした。

■「新自由経済は人を殺す」という教皇のメッセージ

——教皇フランシスコはどのような人物なのでしょう。

【中村】南米(アルゼンチン)出身者としては、初めての教皇で、「人を重視する社会」「人を重視する経済」を一貫して目指しています。

私が大使としてバチカンに赴任し、教皇に初めて謁見したとき、3冊の本をいただきました。教皇の著書『使徒的勧告 福音の喜び』『使徒的勧告 愛のよろこび』『回勅 ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』です。

『使徒的勧告 福音の喜び』というタイトルだけを見ると信仰について書かれた本かと感じる人も多いとは思いますが、多くの部分が世界経済の問題点に割かれています。特にショッキングだったのは次の1文です。

〈この経済は人を殺します〉

このままの新自由主義的な経済が続けば、貧富の格差はさらに広がり、人を殺す。

教皇は著書でそう指摘しています。

本の内容からも分かるように、教皇は絶えず立場の弱い人に気を配っている。同時に、聖職者には、教会の外に出て弱い人のために働きなさいというメッセージも出しています。

アメリカのカトリック保守派の中には、教皇をマルキストだと批判しますが、一般の信徒は教皇に絶大な信頼を寄せています。弱い立場に寄り添おうとする教皇のまなざしや姿勢が、たくさんの信徒に慕われる要因でしょう。

■バチカン関係者は日本に無関心

——中村さんが教皇の訪日を実現させようと思うきっかけはなんですか?

【中村】バチカン大使に任命されるまで、私は内閣官房参与として官邸で働いていました。官邸で、教皇の来日を望む声をよく耳にしました。

安倍総理(当時)が前からおっしゃっていた「核なき世界の実現」や環境保護などは、バチカンの問題意識と価値観が同じものでした。

2代前の教皇だったジョン・パウロ2世が来日したのが1981年。2014年に現教皇は韓国を訪問しましたが、来日はしなかった。

そんな状況でバチカン大使就任の打診を受けた私は、ぜひ教皇に日本を訪れてほしいと思い、大使としてのミッションだと考えるようになりました。

大使の任期中の2017年は、日本とバチカンが国交を樹立してから75周年にあたります。25という数字はカトリックにとって特別なんです。75も25の倍数ですから同じく大事にされている。教皇の訪日を実現させるなら、このタイミングを狙うしかないだろうと思ったんです。

ただ、実際に大使としての生活がはじまって実感したのは、バチカンにおける日本の存在感の薄さです。日本のカトリック信徒は約45万人で、人口の約0.35%と非常に低い。当時は日本人の枢機卿(教皇に次ぐ位置の聖職者)もいないし、教皇庁で働く日本人もいませんでした。

またバチカン関係者が、日本に対して無関心なのも気になりました。ある枢機卿は日本には大きな社会問題がないと語っていた。

でも日本は、離婚率や若者の自殺率の高さ、高齢者の孤独死、引きこもりなどたくさんの社会問題を抱えているでしょう。そうした日本の実態を知る人もほとんどいなかったのです。

■「若い頃に宣教師として日本で活動したかった」

——教皇の訪日には大きなハードルですね。

【中村】実は、赴任当初から訪日実現に向けて確かな手応えを感じていました。というのも、私が最初にお目にかかったとき、教皇は「若い頃に宣教師として日本で活動したかった」とおっしゃっていたのです。

体調の問題もあり、所属するイエズス会からストップがかかって、訪日は諦めたそうですが、教皇は2人の弟子を日本に送りました。教皇は日本に強い関心をお持ちだったんです。

——イエズス会と言えば、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルですね。

【中村】教皇もイエズス会のそうした流れを意識していたようです。

フランシスコ・ザビエル像
フランシスコ・ザビエル像。17世紀初期に描かれた。神戸市立博物館所蔵(写真=『中公バックス 日本の歴史 別巻2 図録 鎌倉から戦国』より/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■日本に親近感を持ってもらうためにやったこと

【中村】私は枢機卿や教皇庁の高官に会うたびに、また大使公邸にまねいて一緒に食事するたびに、バチカンと共通の価値観を持つ日本にぜひいらしてほしいと教皇の訪日についてお願いしました。

当初は日本に関心が薄かった人たちも、徐々に「今晩、教皇に会ったら伝えておくよ」「私から教皇に話してみます」という反応が返ってくるようになった。

私は、枢機卿や高官だけでなく、バチカンを守るスイス衛兵、バチカン警察、医師や看護師、庭師、スーパーの店員……。さまざまな立場の人たちと付き合うようにしました。

教皇庁スイス衛兵隊
教皇庁スイス衛兵隊(写真=Alexreavis/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

赴任当初にスイス衛兵のオフィスにあいさつに行くと隊長が「われわれを表敬訪問した日本大使は、あなたが初めてだ」と歓迎してくれました。

また、私は毎年11月に天皇誕生日のレセプションを開いており、そこに衛兵の隊長も毎回招いていたんです。彼は、「こんなに頻繁に訪ねてくれるのは、あなただけですよ」と話してくれました。

赴任から1年ほどが過ぎると、バチカン内を散歩していたり、大聖堂でミサに参列していたりすると気軽に声をかけてもらえるようになった。

私もカトリック信徒でありながら遠い存在だと感じていたバチカンを身近に感じるようになりました。

同じように彼らも日本に親近感を覚えてくれたのかもしれません。そうしたなかで、教皇訪日の雰囲気が醸成されていくのを実感しました。

■「どんな手を使ったのか教えろ」

——バチカン市国の人口は約600人と言いますからね。一人ひとりに顔を覚えてもらうことが重要だったのでしょうね。

【中村】こちらからアクションを起こさないと状況は変わりません。

日本とバチカンの国交樹立75周年記念ミサの司式を担当してくれたのが、バチカンの国務長官(首相)だったんです。

首相は各国が主宰するミサには参列することもありますが、司式を執り行うことは異例です。

驚いた各国の大使から「どんな手を使ったのか教えろ」「なぜ司式者が首相なんだ」と口々に聞かれました。私は「日頃の努力だよ」とだけ答えましたが(笑)。

——アクションを起こさないと状況は変わらないという考え方は長年、ビジネスの現場に身を置いてえた実感ですか?

【中村】そうかもしれません。官と民ではカルチャーが違います。

官では行動を起こそうとすると、「それは規則で、あるいは慣行でできません」が、最初の反応である。これでは、前例を踏襲するだけで、新機軸は生まれない。

一方、民では、前例や規則、慣例に縛られない自由な発想と行動力が求められます。

在バチカン日本大使公邸のスタッフとともに。左端が筆者。『バチカン大使日記』より
在バチカン日本大使公邸のスタッフとともに。左端が筆者。『バチカン大使日記』より

■経団連に身を置いた経験がいきた

【中村】いま振り返れば、長年、経団連に身を置いた経験が活きたのかなと思います。

中村芳夫『バチカン大使日記』(小学館新書)
中村芳夫『バチカン大使日記』(小学館新書)

例えば、私は、1990年代後半に会社法の改正にたずさわりました。それまでは法制審議会で学者を中心に議論に、議論を重ねて制度を変えてきた。

しかしそれでは急速に変わるビジネスの現場に迅速に反映できない。

そこで、私は国会議員に働きかけて議員立法で法改正を実現していただきました。そうした改革は、一部の議員に根回ししただけではできません。

野党も含めて、たくさんの人たちに理解していただく必要がある。アクションを起こさなければ、状況は変わらなかった。

官と民の両方で培った経験が、2019年のローマ教皇訪日に、役立ったと感じるのです。(続く)

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中村 芳夫(なかむら・よしお)
前駐バチカン大使
1942年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学院経済学研究科修士課程修了。68年経団連に入局し税制を担当。米ジョージタウン大学にフルブライト奨学生として派遣され同大学院博士課程修了。92年、米国上院財政委員会で日本の税制について証言。2010年経団連副会長・事務総長に就任。14年第2次安倍内閣・内閣官房参与(産業政策)に。16年駐バチカン大使(~20年)。カトリック信徒。

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(前駐バチカン大使 中村 芳夫 聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)

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