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岩田健太郎「山ほど専門家がいる分野ほどブレークスルーが起きない」日本の病理

プレジデントオンライン / 2022年3月12日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

なぜ多くの若者が東京に集まってくるのか。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは「今の若い人たちは『自分は日本全体で何位か』を知りたがっている」という。神戸大学大学院医学研究科教授の岩田健太郎さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■「自分は日本全体で何位ぐらいなのか?」を知りたい

【岩田】多くの若者が東京に集まってくるというのは、何が魅力なんですかね。

【内田】僕もそこが疑問なんです。数年前に地方移住をテーマにした『ローカリズム宣言』(デコ)という本を書きました。「都市を離れて地方に移住する人たち」を素材にした連載で、2年ほど続けましたが、最後に行われたインタビューで、「連載では内田さんはずっと地方移住を訴えてきましたけれど、その間、東京の人口はむしろ増え続けています」と編集者に言われました。「なぜ、若い人たちはあえて生活が苦しいことがわかっている東京に集まってくるんでしょうか?」と訊ねられて、困り果てた末に、僕が仮説として思いついたのが、「もしかすると、今の若い人たちは、具体的な幸福や充実感よりも、精密なランキングを求めているんじゃないか」というアイデアでした。

【岩田】ランキングですか。

【内田】ええ。自分の専門領域で、「果たして、自分は日本全体で何位ぐらいなのか?」を正確に知りたいということです。自分の「人生の偏差値」を誰かに算出してもらって、それを教えてほしいんです。きちんと「格付け」してもらえれば、自分は将来的にどの程度の社会的地位をめざせばいいのか、どの程度の野心や夢を持つことが許されるのか、どのレベルの配偶者を期待していいのか……それがわかると思っている。

比較対象がいないまま「お前は村一番の秀才だ」と言われるよりも、都会に出て「あんた、一万番だよ」と冷たく評価されたほうが安心できるんです。自分が何ものであるかということを、どのような人生設計を思い描けばいいのか、それを一刻も早く知りたい。そういう欲求が若い人たちはなんだかやたらに強いような気がするんです。

■「精密な格付け」なら低いランクでもいい

【岩田】なるほど。ランキングされるのであれば、低いランクでもいいわけですか。

【内田】そうです。精密で正確なランキングを知りたいみたいです。前の対談でも日本の仏文学研究の衰退について話しましたけれど、それは、若い研究者たちが「精密な格付け」を求めて、研究者が他にたくさんいる分野に集中してしまったからだと僕は思っています。

【岩田】そのお話はよく覚えています。

【内田】19世紀文学、それもプルーストとフローベールとマラルメ研究に若い研究者が集まってしまったのは、その3人については、日本国内に世界的な権威がいるからだと思います。だから、論文を書いても、学会発表しても、先行研究と照らし合わせた精密な格付けが得られる。

学会内で高い格付けが得られれば、大学の専任ポストが手に入る。格付けが低ければ、研究者になるのを諦めるか、生涯非常勤でも我慢する。そういう考え方を「合理的」だと考える人たちが増えてきた。だから、「みんながやっていることを、みんなよりうまくやる」競争になってしまった。「誰も研究していないこと」は比較項がないせいでゼロ査定されるリスクがある。

■「誰もやっていないこと」には誰も興味を示さなくなった

【内田】確かにそのおかげで特定の分野では世界的レベルの研究が出てきましたけれども、それは専門家による精密な格付けをめざしてなされた研究であって、日本の中高生に読まれることなんかはじめから想定していない。でも、「フランス文学っておもしろそうだな。フランス語ができて本が読めると楽しそうだな」と思ってくれる中高生が毎年何百人か出てきてくれないと、仏文は持たないんですよ。仏文に来たがる高校生が減ってしまったら、「なんだ、じゃあ、仏文学科なんか要らないじゃないか」という話になる。

皮肉な話ですけれども、研究者たちが学会内部的に精密な格付けを求めるようになるにつれて、仏文研究に対する社会的な「ニーズ」が減り、気がついたら、日本の大学から仏文科がなくなってしまった。もともと「大学教員のポスト」を得るために始めたゲームのせいで、大学教員のポストそのものがなくなってしまった。

それと同じようなことがいろいろな領域で起きているような気がします。俳優になりたい、ミュージシャンになりたい、映画監督になりたい、カメラマンになりたい……なんでも、そういう商売をめざす若者たちは東京に行って、精密な格付けを得ようとする。逆に、「誰もやっていないこと」には誰も興味を示さない。知的イノベーションが起きなくなるのも当然です。

写真を撮る男性
写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AH86

■全国の医者が目指す「東大と慶應の医局」

【岩田】耳が痛いです。日本独特の病理ですね。ちなみにわれわれの領域もまったく同様です。

【内田】そうなんですか。

【岩田】医学の世界にも弱小の医局と、巨大な医局というのがありまして、例えば東京だと、東大や慶應の医学部が大きくて一、二を争う力を持っているんです。医師たちもみんな、東大と慶應の医局に入りたがるんですね。僕は島根医大の卒業生ですけど、島根出身の医者がそんな巨大な医局に入っても、結局下っ端扱いされるだけなんです。でも、大きな医局に所属しているだけで安心できるから、出世したい医者も東京に集まるんです。それで島根医大を卒業した医者も少なからぬ人が東京の大学に入ります。といってもそこで存在感はなかなか出せないし、トップ層に上がる見込みもまずないのに、居心地がいいんですね。

■人が集まるところほど、人が集中していく

【内田】同じですね。

内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)
内田樹・岩田健太郎『リスクを生きる』(朝日新書)

【岩田】学会も同様です。日本の場合は糖尿病と高血圧、がんの学会が巨大な組織で、専門家がすごくたくさんいます。それこそ高血圧の専門医なんて山ほどいるんですが、はっきり言ってこの数十年間、高血圧の研究や治療でブレークスルーになるような新しい発見って全然ないんです(私見です)。

一方で感染症は、高血圧などに比べて超ニッチな分野なんです。だから感染症をやりたいという医者はほとんどの人が変人で(私見です)、「その集団の一員になりたい」という帰属意識が極めて低いタイプばかりです(私見です!)。日本では感染症の専門家の絶対数が少ないから、未来においても人があんまり集まってこない。

【内田】その循環ですね。人が集まらないので人が集まらない。

【岩田】そう。集まるところには、どんどん集まるがゆえに、さらに集まってゆく。

【内田】東京に人が集まる理由もそうなんだと思います。

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内田 樹(うちだ・たつる)
神戸女学院大学名誉教授
1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。著書に『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)、街場シリーズなど多数。

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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)など多数。

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(神戸女学院大学名誉教授 内田 樹、神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)

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