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「災害関連死には500万円を支給」遺族に手篤い災害弔慰金が、むしろ遺族を傷つけてしまう理由

プレジデントオンライン / 2022年3月9日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SteveCollender

大規模災害で亡くなった人の遺族には、国から「災害弔慰金」が支給される。その金額は、生計維持者の場合は500万円、それ以外は250万円だ。「災害関連死」の認定に関わってきた弁護士の小口幸人さんは「審査会は、災害と死の関連性の『有無』だけを判断すれば足りるが、委員によっては関連性の『程度』を重視することがある。金額が一律なために関連性の認定が躊躇され、結果として却下に至るケースがある。かえって遺族を傷つけることも多く、『弔慰を示す』という本来の趣旨と異なる運用がとられている」という――。(聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)

■未来の災害支援や制度設計に活かすためのもの

――阪神・淡路大震災で災害関連死という考え方が誕生してから、3.11、熊本地震、2018年の西日本豪雨などで累計5000人以上が災害関連死に数えられました。災害のたびに報じられ、災害関連死という言葉は広まりましたが、実態はほとんど知られていません。小口先生は災害関連死をどのように受け止めているのですか。

法的には、「災害弔慰金の支給等に関する法律」において、災害と死の間に法律上の相当因果関係が認められるケースを指します。災害弔慰金は、家族を亡くした遺族に対し、自治体が支給するお見舞金です。直接死だけではなく関連死でも支給され、支給例としては、被災後に通院できずに持病やケガを悪化させて亡くなったり、避難所で感染症にかかって命を落としたり、家族を喪ったショックで精神疾患等を患い自殺に至ったケースなど様々です。

災害関連死と認定されるためには、現在の運用では、遺族が市町村に災害弔慰金の申請をする必要があります。その後、自治体が開いた審査会で災害と死の間に法律上の相当因果関係が認められれば災害関連死となり、災害弔慰金が支給されます。

ただ、災害関連死という言葉自体は、色々な場面で使われているので、多角的に見ていくべき必要があるのだと思っています。

まず、当然のことではありますが、すべての被災者支援制度は、災害関連死を一人でも減らすためにあるということができます。死者を減らすためにあるわけです。

そうすると、災害関連死というのは、現在の被災者支援制度が及ばなかった事例ということができます。本当は死者を0人にしたいけれどできなかった結果という見方です。

現在の制度が及ばなかった結果なのですから、そこには、制度改善のための教訓が眠っています。災害関連の制度を改めるなら、まず、災害関連死をひとつひとつ検証し、どうすれば救えたのかを検証し、同じような悲劇が起こらないよう制度を改善していくことが重要です。

災害弔慰金は、その名のとおり遺族に弔意を示す制度ですが、弔意を示すという意味でも教訓を活かすことは重要です。ご遺族にとって何より大切なのは、家族の死が無駄にならず次の教訓として活かされることだからです。教訓として活かし制度改善に繋げることが、何よりの弔意になるのだと思います。

■災害関連死を教訓とする視点が行政に欠けている

――しかし昨年、3.11の被災自治体のいくつかで、審査会の議事録など、災害関連死にかかわる資料が廃棄されていると報じられました。

災害関連死を検証し、教訓として制度改善に活かそうという視点が、現在の運用には決定的に欠けている、その象徴的な出来事だと思います。

そして、それこそもっと大きな視点でみても、災害関連死を検証し次に繋げていくことが、現代を生きる私たちの使命、責務だとも感じています。

それこそ、私たちが原始人だった時代にも、たくさんの災害が起きました。地震や津波、火山の噴火、隕石(いんせき)だって落ちてきたかもしれない。災害によりたくさんの人たちが死んで、ときには存亡の危機に瀕した中で、生き残った人々の子孫が私たちです。

地球で生きるうえでは自然災害は避けられません。特に日本列島はそうです。私たちの祖先は、災害のたびに自然の偉大さと人間の無力さを感じながらも、それでも、文献に書いたり石碑を残すなど、様々な方法で知見や経験を残し次の自然災害に備えてきました。

その積み重ねの成果が、現代の堤防や砂防ダムであり、災害医療の進歩、支え合いの枠組み、そして被災者支援制度のはずです。過去の災害で生き残ってきた人の子孫である私たちは、現代で起きた悲劇を残し、制度改善に繋げ未来に残していく使命を負っています。そのためには、ひとつひとつの災害関連死に目を向けなければなりません。これを改善に繋げずに同じ過ちを繰り返すというのは、愚かであるだけでなく、先人達をも冒涜(ぼうとく)し、そして将来の子ども達の命を軽視する行為なのだと考えています。

■よかれと思って窓口で断るケースも…

――ただ災害関連死の現場を取材してみると、検証や活用以前に、実態の把握すら進んでいません。災害弔慰金を申請したものの、自治体の窓口で断られたと語る遺族も少なくありませんでした。

3.11当時、私は岩手県宮古市に暮らしていました。被災後は、被災者に対する支援はもちろんのこと、行政、役所から法的助言を求められアドバイスもしてきました。そうした経験からすると、職員は悪意があって申請を断っていたのではないと思います。それどころか大多数の職員は、災害関連死に「該当する遺族」にはあまねく申請してもらって、災害弔慰金を支給したいと考えていたと思います。

他方で、申請をさせ期待を抱かせたのに、災害関連死ではなかったという結果を伝えるケースも目にし、自治体職員は、そのような悲劇も避けたいとも思っていたはずです。遺族を更に傷つける行為になるからです。

つまり、窓口に立つ自治体職員からみて、災害関連死に該当する可能性のある件はもちろん申請を受け付けるけれども、その自治体職員から見ておよそ災害関連死に認定されそうもない事例については、窓口で申請をしない方向に促すといったことは相当数あったのだろうと思います。

窓口での説明
写真=iStock.com/LukaTDB
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LukaTDB

特に東日本大震災の被災地の多くは東北の田舎で、誰もが知り合いの知り合いぐらいの距離感です。申請を受け付けたのに関連死ではないという審査結果を突きつけることは、自治体職員にとっても苦痛となります。そのため、自分の目からみて関連死と認定されそうもない件については、予め申請を控えるほうへ誘導する。こういった対応は、相当数なされたのだろうと想像しています。

そして、当初、多くの審査会で、私から見れば非常に問題のある認定、要するに関連死の範囲を非常に狭く捉える認定がされました。これを知った窓口に立つ自治体職員は、「ああ、こういう極めて直接的なケースでなければ災害関連死として認定されないんだ」と誤って学習してしまったことでしょう。そして、災害関連死については事例の公表等がほとんどと言っていいほどされていないので、この誤学習が訂正される機会はなく、その結果、申請拒否とも受け止められる対応に繋がっているのだと思います。

例えば、生活保護の申請窓口では、水際作戦とも呼ばれる、自治体の財源等を気にした問題対応がとられるケースがありますが、災害関連死の場合は、少し事情が違うのだろうと想像しています。

■統計に出ていない災害関連死が無数に埋もれているのではないか

――東日本大震災の関連死としては、3784名の方が認定されていますが、審査すら行われずに埋もれた事例は無数にあるのでしょうね。

そう思います。私は岩手県山田町などの審査委員として、100件以上の災害関連死の審査にたずさわるとともに、他の自治体の件について様々な法律相談を受けてきましたが、本当は災害関連死に認定されるべきなのに、申請もされずに終わっている件は多数眠っているのだと思っています。

そもそも「家族が亡くなったら自治体からお金がもらえる」という災害弔慰金の制度は、「あって当然」という制度では必ずしもありません。よって、自治体による広報が重要となるのですが、実は災害直後に数回広報されただけで、その後全く広報されていない自治体もあります。申請期限はないのに、申請期限が3カ月しかないかのように誤って広報されてしまったケースすらあります。

さらに、被災された方は仮設住宅という密集したコミュニティにいました。本来関連死と認定されるべき件が認定されなかったということを耳にして、「あの人が関連死じゃないなら私の件は違うんだろう」と申請を控える件など本当に様々なことが考えられます。

東日本大震災では、直接死が約1万5900人、行方不明者が約2500人、関連死が約3800人という状況です。他方、災害関連死の問題等がある程度明らかになった後に起きた熊本地震では、直接死が50人で、関連死が223人(2021年9月13日時点)と4倍超になっています。

この4倍超という数字は、ある程度ではありますが、潜在的に埋もれている関連死の件数を想像する手がかりになるのだと思います。そして、実は阪神淡路大震災等、過去の災害においても同様で、実は多くの災害関連死が眠ったままになっているのだろうと思っています。

■なぐさめ、支え合うための災害弔慰金

――災害関連死について話すと、なんでもかんでも災害関連死と言っていたらキリがないのではないかという反発があります。それに、高齢者や基礎疾患を持つ人が、災害関連死に認められたと報じられるとネット上では「人はいずれ死ぬのだから、高齢者に税金が原資の弔慰金を支払うのはおかしい」「健康管理ができなかったのは、自己責任だ」という反応もよく目にします。

まず、仕組みを正しく理解する必要があります。

災害弔慰金を支給する法律があり、その法律の中で、災害と死の間に法律上の相当因果関係があるなら500万円または250万円が支給されると決まっています。そして、人は必ずいつか死ぬので、災害により死が早まったのであれば、相当因果関係は「有り」となります。

したがって、上記のような批判は、「こんな法律はおかしい」と国会に向けられるべきであって、審査する自治体や遺族に向けられるのは間違っています。

その上で、ではなぜこんな法律ができたのかと言えば、それは、他に被災者を支援する制度が、当時他にはなにもなかったからと言うことができます。

この法律ができたのは、1973年です。当時は今と異なり、被災者や遺族の生活再建のために、直接お金を支給する制度がありませんでした。当時は、そのような制度は憲法に抵触すると考えられていました。そんな中、せめて家族を亡くした遺族に弔慰を示す枠組みにより、せめて遺族ぐらい支援できないかという中で生まれたのが災害弔慰金という制度です。

考えてみれば、不思議な制度ではあるんです。昔は、災害で人が死ぬのは当たり前で、遺族が行政から見舞金を支給されるなんて仕組みはありませんでした。あって当然という制度でもありません。被災者は、まさに自己責任で生活を再建するしかありませんでした。この意味では「自己責任だ」というのはそのとおりで、そういう時代もありました。

でも、社会が発達し、日本では災害が頻繁に起こるなかで、国民から集めた税金によって遺族に弔意を示し、ある意味支え合う制度ができました。自己責任だけではなく、全体で支え合う制度です。

■高い支給額の影響で認定が厳しくなっている

――「災害弔慰金の支給等に関する法律」は、1967年の羽越豪雨で両親と2人の息子を亡くした故・佐藤隆代議士の尽力で生まれました。当時は被災者の生活再建にあててほしいと考えていたそうです。

当初の弔慰金の額は50万円以内でした。その後、経済や社会の発展に合わせるように増額されていき、現在の額になったのは1991年、つまり阪神淡路大震災の前です。遺族の生活を支えるために他の制度がない中、500万円や250万円を支給するという制度ができあがったのは、十分に理解ができます。

他方で、実は関連死の認定の場面で弊害が生じていると感じています。というのも、500万円、250万円という高い支給額の影響で、災害関連死の認定が厳しくなるという現実を何度も目の当たりにしたからです。

私が、岩手県山田町で、災害関連死の審査委員をつとめていたときのことです。審査会では、弁護士や医師ら5、6人が、申請書類や死亡診断書などをもとに、ひとりひとりの死が災害の影響によるものか、確認していきます。

■自治体の財源まで気にする審査委員も

その中で因果関係の有無を議論していくと、認定されるか、されないかという、いわば1か0かという議論になります。現在の運用としてはこれが正しいです。ただ、誰が見ても100%震災の影響で亡くなったケースもあれば、感覚的な問題になってしまいますが、50%のケースもあります。議論を繰り返すなかで、審査委員だった医師がこんな疑問を呈しました。

「震災の影響はさほどでもないのに、このケースも500万円を支給するのか」

この発言は、感覚としては十分に理解ができます。実際、例えば損害賠償請求の裁判などでは、割合的認定や寄与度や過失相殺など、公平の観点から、関連性の程度といったものを考慮する枠組みがあります。

しかし、災害弔慰金の法律は、法律上の相当因果関係があるなら500万または250万円となっていますので、現在の運用としては、上記の様な感覚を審査に持ち込むのではなく、あくまでも、法律上の相当因果関係の有無を判断しなければなりません。

このような指摘が、全ての審査会でなされ、弁護士以外の審査委員の中で理解されていればよいのですが、審査委員の多くは医師や学者で占められ、弁護士はたった1人というケースも多いので、このような感覚が、関連死の認定の場面で悪い方に影響し、関連性なしという結論が出てしまっているケースは相当あるのだろうと想像しています。

それこそ、審査委員の中には自治体の財源まで気にする人もいて、そんなことはもちろん関係がないので考慮してはならないのですが、支給額が多額にのぼることが、誤った審査に繋がっている現状は残念ながらあるのだろうと思っています。

■認定されないことで遺族を傷つけてしまう

――確かに。本来、災害関連死に認められるべきケースが、誤って関連性なしと判断される危険性もあるわけですね。

そのとおりです。そして、そのような件が裁判になり、裁判所の判決で是正されるならよいですが、「裁判まではしたくない」となることが多いので、誤った認定がそのままにされているケースは多くあるのだと思います。特に田舎ではそうなりやすいです。

ここで考えなければならないのは、ご遺族の感情です。なぜなら、これは遺族に弔意を示す制度だからです。

ぜひ想像してみてください。遺族の方が、災害関連死の申請を自治体にする場面を。

災害後、家族が亡くなった。ご遺族は、家族がなぜ死んだのか、死ななければならなかったのか、答えのない問いを探すようになります。私も病気ではありますが兄を亡くしているのでよくわかります。自分がああしておけばと悩みます。特に災害ですから、自分が逃げるようきつく言っておけば、震災後もっとがんばって支えていたら、命を落とさずにすんだのではないかと自分を追い詰めるご遺族は少なくありません。

そして悩んだ末に、家族は災害で死んだんだ、仕方がなかったんだと考えたときに、災害関連死の申請はされます。つまり、全ての申請は、家族は災害によって亡くなったと考えて出されています。

その遺族に対し、行政から「関連性はありません」と通知する。これがどれほど遺族を傷つけるのか、ぜひ想像して欲しいと思います。さらに、災害が原因ではないという通知は、やはり私がああしていればという悩みにも繋がりかねません。本来は災害関連死として認定されるべきケースにおいて、誤った結論が出される悲劇は、何としても避けなければならないのです。

遺族に弔意を示すための制度なのに、運用に問題があるがために、多くの遺族を傷つけてしまっている、そんな哀しい悲劇が起きています。

■「関連性の程度に合わせて弔慰金の額を調整する」という提案

その上でですが、この悲劇を避けるためならば、現在の制度を改めることも検討に値するのだと思っています。

例えば、私は、「震災の影響はさほどとも思えないのに、このケースも500万円を支給するのか」と言ったお医者さんに、「じゃあ、この事例は、弔慰金が10万円だったら関連性はあると思いますか」と尋ねたことがあります。そのお医者さんは、10万円ならあるんじゃないかと言いました。

それなら、遺族を傷つける悲劇を減らすために、一律500万円または250万円とする現在の制度を改め、関連性の程度に応じて弔慰金の額を調整できるような制度にすることも一案なのだろうと思います。

ただ、この場合には、現在の弔慰金が果たしている遺族の生活保障の面を引き継ぐ、別の遺族支援制度が作られなければなりません。例えば、遺族に生じた、震災前後の収入状況、経済状況の変化に照らして、一定程度、生活再建を実現できるような額を遺族に支給するといった制度です。

実際にご遺族の話を伺っていると、被災者は仮設住宅という密なコミュニティで生活しているので、災害弔慰金が支給されたことで、あの人は家族が死んだおかげで大金を受け取ったんだ等、周囲からやっかみを受けることがあると聞きます。

関連死に認定されなかった遺族と、認定された遺族が狭いコミュニティの中に共存しうるいまの状況を併せ考えると、弔慰金の額を関連性の程度に合わせて調整できる方法にすることは、あり得る選択肢だと思います。

■申請が増えれば教訓も増える

――小口さんはどのような形なら、遺族が納得感をえられると思いますか。

遺族の納得感という意味で言えば、全件認定なのだろうと思います。遺族は、関連死だと思って申請しているのですから。そこは金額とは別の問題だと思っています。他方、申請があったら全部認定というのは、制度としてなりたちません。

ただし、この法律の目的は、遺族に弔意を示すことにあるわけですから、「災害による死ではない」として関連性を否定し、遺族を傷つけるという事態は極力避ける必要があるはずです。

そう考えると、それこそ法律の中で、明文をもって広めに認定をするんだということを明記し、ただ、その関連性の程度に応じて弔慰金の額を調整できるようにするという枠組みは、「弔意を示す」という目的に合致するのではないかと考えています。

そして、広めの認定が実現すれば、災害関連死の申請自体も増えていくはずです。仮設住宅という密なコミュニティの中、あそこのあの人は関連死として認定されたという情報は、「じゃあ、私も申請してみようか」に繋がるからです。

申請が増えるということは、行政にとっては教訓が増えるということを意味します。これらの教訓をしっかり制度改善に繋げていけるならば、災害による死を着実に減らしていくことができるでしょう。

つまり、制度を改めることで、幅広く弔意を示せるだけではなく、申請も、災害関連死の認定も増えるだろうから、将来の災害の教訓にすべき事例の蓄積も進むであろうと考えています。

■弔意と生活保障を切り離す

そうなると、これまで災害弔慰金に頼ってきた遺族の生活保障はどうなるのか、という疑問を持つ人もいるでしょう。そこは災害弔慰金法の法改正とパッケージで、新たに遺族の生活再建を支える制度をつくればよいのだと思います。

いってみれば、現在の災害弔慰金が果たしている、遺族への弔意の部分と、遺族の生活保障の部分を切り分け、生活保障のための制度は別で立ち上げればよいのだと思います。

実際、行政から災害関連死と認められると、遺族は民間も含め、有形無形のサポートを受けられるようになります。災害関連死に認められて、はじめて災害遺族になり、義援金などが支給されますし、子どもさんがいるのであれば災害遺児として奨学金も受けられるようになります。また、自治体の慰霊祭などに、遺族として招待されるようになります。遺族の精神面に与える影響は極めて大きいわけです。

しかし、災害関連死として認定されなければ、これらは全てなくなってしまうわけです。誤った認定を避けるためであるなら、制度自体に見直しはあり得るのだと思います。

■災害関連死の事例が、制度改善にほとんど繋げられていない

その上ですが、一番お伝えしたいことを指摘させて下さい。

山川徹『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)
山川徹『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)

現状は、災害関連死の事例が、制度改善にほとんど繋げられていないということです。災害関連死の事例という、多数の教訓を含んだ資料は、被災自治体の倉庫に眠っていて、順次廃棄処分されていっています。これらを分析し、被災者支援制度の見直しに繋げるようなことは全くといっていいほどなされていません。亡くなられた方が残した教訓を、制度の改善に繋げるという極めてシンプルなことがなされていないのです。

私はいままで様々な災害関連の立法にかかわり、政府に意見書などを提出してきました。意見がわかれる件もありました。しかし、災害関連死の事例を集め、分析し、制度改善に活かすべきだという意見については、だれからも反対されたことがありません。

しかし、日本政府はこれをしないので、貴重な資料が順次廃棄されていっています。

今後も大規模災害はかならず起きます。過去の教訓を改善に繋げる作業は、現在を生きる我々の使命です。政府は、直ちに災害関連死の事例を集め分析することの重要性を認識し、行動に移してほしいと思います。

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小口 幸人(おぐち・ゆきひと)
弁護士
1978年、東京都生まれ。一部上場企業の営業職から弁護士に転身。司法過疎地である岩手県宮古市で3年7カ月の間に1000件以上の相談に対応。同地で東日本大震災に遭う。震災後、全国初の弁護士による避難所相談を実施。被災者支援・立法提言に奔走。東京に移り各種立法活動や日弁連広報の仕事に取り組んだ後、沖縄県南部の司法過疎地域に南山法律事務所を開所。現在は沖縄県那覇市で民事・刑事事件を扱うとともに基地問題や憲法問題等に取り組んでいる。

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(弁護士 小口 幸人 聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)

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