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野村克也監督の座右の銘「人間が最低限、持っていなければならない3つの要素」の深すぎる含蓄

プレジデントオンライン / 2022年3月25日 9時15分

2003年8月23日、試合中ベンチから身を乗り出すシダックス(調布市)の野村克也監督(東京ドーム) - 写真=時事通信フォト

野村克也さんの言葉は強い。だから選手たちは夜のミーティングでも決して寝落ちしなかったという。どんな言葉を使っていたのか。野村監督の番記者だった加藤弘士さんの著書『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)より紹介する――。(1回目)

■阪神の監督から社会人野球・シダックスのGM兼監督に

2003年1月8日、シダックスGM兼監督としての新生活がスタートした。

平日は世田谷区玉川田園調布の自宅を出て、新宿のヒルトン東京に宿泊することになった。自宅から練習場となる調布市内のグラウンドへ車で向かうには、渋滞が避けられず、到着時刻が読めないからだ。

新宿から調布なら距離は離れるが、高速道路で約30分。通勤時の混雑とは逆方向となり、楽に行ける。

マネジャーの梅沢とは、毎朝午前10時にヒルトンのロビーで待ち合わせることに決めた。上下ジャージ姿。赤いスタジャンを着て、梅沢の運転する黒塗りのセドリックの後部座席に乗り込んだ。

調布インターチェンジを出ると、2年前に開場したばかりの東京スタジアムが見えてくる。

この巨大な競技場に隣接する調布市営の少年野球グラウンドが、シダックスの練習場だ。自前のグラウンドではない。

第二次世界大戦中、調布飛行場建設のために切り開かれ、戦後は米軍に接収されたエリアである。1963年からは米軍の軍人とその家族らの居住地区「関東村」となった。74年、国に返還され、一帯にはスポーツ施設や病院等が建てられた。

そんな経緯もあり、チーム関係者はグラウンドを「関東村」と呼んでいた。

砂埃が舞う中、セドリックが関東村の砂利道に現れると、ナインの間に緊張感が漂った。

到着するとすぐさま、梅沢が後部座席のドアを開ける。野村は車を降り、ゆっくりとグラウンドへ歩を進めた。

「おはようございます!」

待ち構えたナインが腹の底から大きな声であいさつした。

■「1通も新年のあいさつが届かなかった」

訓示が始まった。

チームが進むべき新たな道筋とは。都市対抗出場に向けてやるべきこととは。打者なら1日300スイング。投手ならチェンジアップやフォークなどの落ちるボールを習得すべし。吹きすさぶ寒風とは対照的に、野村の口調は徐々に熱を帯びていった。

「人間的成長なくして技術的進歩なし」が野村の持論である。

いつしか話題は野球から離れ、選手たちの年末年始の習慣へと及んだ。

「この正月、君たちからは1通も新年のあいさつが届かなかった」

怒気をはらんでいた。野村はナインから年賀状が全く届かなかったことを問題視した。記者たちが色めき立った。指導初日、いきなりの説教。これは記事になる。

「年賀状は、今は何で必要かという声もあるが、世話になった人に感謝の気持ちを伝えるためにも必要。日本のいい風習だ」

野村の到着時、「俺を見て下さい」と言わんばかりに目をギラつかせていた男たちは、気づいたら下を向いていた。

翌朝、野村に見せようとコンビニでスポーツ各紙を購入した梅沢は、紙面を見て仰天した。

「ノムさん始動即カミナリ 年賀状1枚も届かない」

各紙とも大きく報じていた。

■野球だけやってればいいわけではない

梅沢は回想する。

「初日のグラウンドに向かう車の中で『年賀状、一人も来ないよ。お前からも来ていないじゃないか。どうなってんだ』と叱られて。『こういうことをしっかりしなくちゃダメなんだよ。選手にも言うぞ』と予告していました。確かにシダックス野球部ってそういう習慣がなかったんです。

野球だけやっていればいい、強ければいいという感じだったので。そしたらあれだけの大きな記事になって発信されていて……。チームを預かるマネジャーとして、本当に恥ずかしかった。そして怖かったです。

野村監督って、思ったことをそのまんま言う。そしてそのまんま記事になる。私はマネジャーという立場で、監督の広報兼運転手……とにかくいろんなことを兼務することになったんですけど、こと広報に関しては本当に神経を研ぎ澄まさなければいけないと、最初の最初で引き締まりましたね」

■なぜミーティングが大事なのか

野村は毎朝、関東村に到着すると、ナインを集めて訓示を行った。

話題は野球に限らなかった。時には人生論や生き方にも及んだ。すぐに終わるときもあれば、長時間に及ぶときもあった。

就任間もない頃、野村はナインに言った。

「俺が何でこういう話をするのか分かるか? お前らは俺のこと、分からないよな。テレビでは観ているかもしれないけれど、本当はどんな人かなと思うだろ?」

ナインは一様にうなずいた。

「この場は、俺の勝負なんだ。『この人はこんな考え方をしている』『だから、この人のためにこうしよう』と、みんなに植え付けなきゃいけない。野村克也はこういう人間だと、理解してもらわなきゃいけないんだ。だからミーティングの場は凄く大事で、俺にとって毎日毎日が勝負なんだ。車の中で『きょうはどんな話をしようか』と考えてくるんだよ」

プロでも名将と呼ばれた男が、自分たちとのひとときを「勝負」と捉えてくれている。

男たちの間に緊張感が走った。

1月の冬空の下、関東村での練習を終えた野村はヒルトン東京の部屋に戻り、シャワーを浴びた。顔や髪に付着した砂が黒い水となって、排水溝へと流れていった。

野球人に戻れた証拠だった。

あすも早起きか。参ったな。

野村は幸福をかみしめていた。

■プロ時代から重要視していた2月のキャンプ

「一年の計はキャンプに有り」

ヤクルト監督時代の野村語録の一つである。

野村はプロの監督時代からシーズンを戦い抜くにあたって、2月のキャンプを重要視していた。

ひとつ屋根の下、ナインは同じ釜のメシを食い、朝から晩まで野球に没頭する。首脳陣は選手個々の力量を見定め、勝てるチーム作りに向けての土台を築き上げる。

2003年2月1日。シダックス野球部はオーナー・志太が自らの故郷、静岡・中伊豆に建設した志太スタジアムでキャンプインした。両翼100メートルに中堅122メートルは東京ドームと同じサイズ。最新鋭の人工芝が敷かれていた。志太の野球愛と都市対抗制覇への強い意欲がうかがえる球場でもあった。

約3週間にわたって、野村やナインは隣接する同社経営の「ホテルワイナリーヒル」に宿泊する。関東村とは違い、室内練習場もある。野球漬けとなるには最高の環境だ。

■「ノムラの考え」に書かれていること

野村のキャンプ名物といえば、プロ時代から夜間のミーティングである。

昼間は限界まで体をいじめ抜き、夜は座学で頭を鍛える。教材となるのはオリジナルのテキスト「ノムラの考え」だ。

現役時代から培われた戦術論や戦略論、データの活用法や心理分析などが網羅された指南書。阪神の監督時代に選手へと配布され、キャンプでの指導に使われてきた。

最初のページでは「お断わり」のタイトルで、自身がテスト生として南海に入団後、技術力以外の必要性を認識し、野球の探求、模索を志した経緯が記されている。

「この『ノムラの考え』は不器用な二流選手の話。屁理屈と思う人、興味のない人はご遠慮下さい」

太字で書いているのが、何とも野村らしく思える。

この指南書のユニークな点は、戦略や戦術よりも先に「人間的成長なくして技術的進歩なし」「『信』は万物のもとをなす」といった人生論についてまず綴られているところだろう。

講義室
写真=iStock.com/urfinguss
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/urfinguss

■「いい仕事」をするためには技術向上だけではいけない

午後7時。前年とはひと味違った緊張感がミーティング室に充満する中、講義が始まった。

「我々の一日の中心軸は『仕事』です。仕事なくして人生は考えられません。我々の仕事は、結果至上主義の世界です。『いい仕事をする』『いい結果を出す』ためには、技術だけを磨こうという取り組み方だけでは、上達や進歩、成長は大して望めません。『専門家意識』を根底に持つことによって、知識欲や探求欲が旺盛になり、専門家として恥じない人間形成をしていくようになると思うのです」

「『ノムラの考え』が示す通り、野球を掘り下げていろんな角度から見ていくと、野球の奥深さが分かり、いい結果を出すためのいろんな方法があることに興味が湧いてきます。『そんな見方もあるのか』『奥が深いなあ』と感じるはずです。だから野球は百年以上経っても、人の心を捉え、感動を与えるのです」

「真の難しさを体験して通過しない限り、本物や一流にはなれません。仕事は元来厳しいものです。血反吐を吐くほど心身を鍛え、いい結果を出すために苦悩し、そこからはい上がった者こそ本物の一流なのです。チームの鑑となり、人間味を感じる人間であって欲しいものです。努力らしい努力をせず、天性だけでいい成績を残している選手なんて、魅力もないし、チームにとっても有り難くありません」

■人間が最低限、持っていなければならない3つの要素

野村は熱っぽく語りかけた。猛練習を経て、夕食を終えた後である。ナインには睡魔が忍び寄るのが自然だろう。しかし誰もが前のめりで聞き入り、配られたA4のレジュメへと必死にメモしていった。学校の先生とはひと味違う講義だった。

極貧の少年時代を経て、テスト生で南海に入団し、球界のトップにまで上り詰めた男の実体験に基づく言葉なのだ。説得力は段違いだった。長年テレビ解説者を務めてきただけあって、話術も巧みだった。

加藤弘士『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)
加藤弘士『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)

テーマは主に人間学だった。

謙虚とは何か?

「相手より常に一段低いところに自分の身を置くことである」

人間が最低限、持っていなければならない3つの要素とは何か?

「節度を持て」
「他人の痛みを知れ」
「問題意識を持て」

19日間の合宿を終えた頃、野村とナインの間には徐々に一体感が醸成されていった。

戦いへの準備は、整いつつあった。

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加藤 弘士(かとう・ひろし)
スポーツ報知デジタル編集デスク
1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶応義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、現職。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。

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(スポーツ報知デジタル編集デスク 加藤 弘士)

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