「恩返しできず本当に申し訳ない」絶対に泣かない野村監督が思わず涙を流した"ある瞬間"
プレジデントオンライン / 2022年3月29日 15時15分
■社会人野球の監督を退任し、プロ野球・楽天の監督に
2005年、師走。
野村はプロ野球界に戻った。
12月2日には仙台市内のホテルで楽天監督の就任会見に臨んだ。3年契約で契約金1億円、推定年俸1億5000万円。会見場には130人もの報道陣が集結した。あまたのフラッシュに照らされながら、弱小球団の再建へ、眼光鋭く40分にわたって意欲を語った。
「年齢も年齢で、おじいさんの年代に入ったから、思い切ったことができるんじゃないか。万が一、失敗しても失うものは何もない」
「他球団では一からだが、今回はゼロから。苦労するのは予想がつく。私は弱小球団、最下位のチームと縁がある。南海、ヤクルト、阪神と弱い球団ばかりだったから、弱者の戦略は染み付いている」
「選手に厳しくなることは当たり前。タレントじゃないから、茶髪、長髪、ひげは認めない。お坊さんが修行するように、頭を丸めるぐらいの気持ちで来てほしい。不平不満は結構。それをぶつけるところさえ間違わなければ、エネルギーになる」
新興IT球団とプロ野球界のオーソリティーともいえる名将との掛け算は、魅力的だった。何でも記事になった。
「ノムさん清原獲り」
「ノムさんがロジャー・クレメンスへラブコール」
「ノムさんがメッツ・石井一久逆転獲得へ秘策アリ」
新天地での野村は舌もなめらかだった。楽天の番記者にはリップサービスを惜しまなかった。シーズンオフのネタ枯れの時期。スポーツ各紙はその一挙手一投足を報じた。
■シダックス会長による送別会で起きた“ある出来事”
監督就任会見から1140日。
シダックスに別れを告げる日がやってきた。
12月19日、渋谷のシダックスビレッジで行われた、志太の主催による送別会だ。
会の冒頭では志太が3年間のねぎらいとともに、はなむけの言葉を送った。
「野村さんをプロ野球界にお返しできてよかった。月見草なんて言わず、明るい太陽に咲く真っ赤なバラのように大輪の花を咲かせてほしい」
和やかな雰囲気だった。スーツ姿の教え子たちが温かい拍手を奏でる中、野村が登壇した。
知将はいつものようにボソボソと話し始めた。
■あの野村監督が泣いている
監督就任から3年間の思い出。
2003年の都市対抗野球決勝における、野間口を続投させてしまった采配への後悔。
「人生は山あり谷あり。身につまされたのは、谷のところで仕事をもらったのに、志太さんに恩返しできなかったこと。シダックスを離れることになり、志太さんには本当に申し訳ない。お別れというのは非常に……」
次の瞬間。誰もが目を疑った。
野村が突然しゃくり上げた。スーツのポケットからハンカチを取り出し、目頭を押さえた。数秒の沈黙が訪れる。あの雄弁な名将が、言葉を失い、人目も憚らずに涙した。
各紙のカメラマンが慌ててシャッターを切った。ハプニングには慣れっこの彼らもまた、予想できない展開に戸惑っていた。
かつて直立不動でその言葉に聞き入った教え子たちは、ただそれを見つめるだけだった。
「お世話になりました……」
涙声を振り絞り、スピーチは終わった。
■感情を露わにしない監督がなぜ…
野村が人前で見せた涙。
ヤクルト監督時代、3度の日本一に輝いたときも、笑顔でいたあの知将が。
司会席からその光景を見ていた梅沢は、こう述懐する。
「監督は普段、感情をあまり表に出さないじゃないですか。でも人生の恩人だった志太会長には、本当に深い感謝の念を持っていたんだなあと思いながら、私ももらい泣きしそうになるのを必死にこらえていました」
■妻・サッチーと大げんかしたワケ
野村にとってシダックス監督の座は、プロ復帰への「腰掛け」だったのだろうか。
繰り返すが、プロと社会人では待遇面、環境面、注目度に大きな差がある。
アマチュアの指揮官は、華やかな舞台へと返り咲くまでの一時的なポストだった、と考えても何ら不思議ではない。
私のそんな仮説を、梅沢の証言が覆した。
「楽天の監督就任が決まって、いざシダックスを辞めるとなった直前に、監督がボクに言うんです。『オレ、サッチーと大げんかしたんだよ』って。『オレはアマチュアを愛しているんだ。シダックスで良かったんだ、シダックスが楽しかったんだ』って。それでもう、取っ組み合いにならんばかりの大げんかだったというんです」
■全ては母を楽にさせたいという思いから
野村は京都・峰山高から1954年、契約金0円のテスト生で南海に入団した。
高校時代はプロのスカウトから注目を浴びたことがない、無名の雑草捕手だった。
前にも記した通り、「打撃の神様」川上哲治に憧れる巨人ファンだったが、当時の巨人は野村より1歳年上で、甲子園でも活躍した捕手のホープ・藤尾茂が入団したばかり。
進路をプロ野球に定めると、選手名鑑を眺め、イキのいい若手捕手がいる球団は希望チームから除外していった。
競争を避けたのではない。極貧に耐え、女手一つで育ててくれた母・ふみさんに楽をさせてあげたかったのだ。大金を稼ぐためには、早く1軍で活躍できる球団に入る必要があった。有益な情報を生かす思考は、この頃から発揮されていた。
どうやら広島と南海は捕手が高齢化しているようだ。新聞で南海の入団テストの告知を見つけると、野球部の顧問教師に汽車賃を借りて大阪球場へと向かい、受験した。
「肩が弱くてな。遠投のテストでは先輩が『もう少し前で投げていいよ』と言ってくれて、合格できたんだ」
以上は生前の野村から何度か聞いた話である。エピソードの後にはこう付け加えた。
「子どもの頃は雪の朝、新聞配達をしながら、一生貧乏と戦わねばならないと覚悟していた。プロ野球選手を夢見たのは、絶対に金持ちになりたかったからだよ」
■純粋に大好きな野球と向き合えた3年間
なぜ野村はシダックスでの日々を「あの頃が一番楽しかった」と振り返ったのだろうか。
野村がプロ野球の世界へと飛び込み、必死に努力を重ねたのは「お金」のためだった。
勝たなければ給料は上がらない世界だ。情は捨てた。相手のクセを盗み、データを重視することで、成功の確率を1%でも上げるべく研鑽(けんさん)を重ねた。プロ野球に革命を起こした「ID野球」は勝利のための「武装」であり「鎧(よろい)」だった。
そんな知将が唯一お金のためではなく、ただ好きな野球を心から楽しみ、魂を燃やした日々が、この3年間だった。
成功や名声をつかむための手段だった野球。それを突き詰めた結果、つまずいた男に、野球の神様が原点でもある「楽しさ」をプレゼントした3年間だったと言えるのではないか。
だからこそ、野村は再生できた。
■プロの選手とは目が違うんだ
ひたむきに鍛錬を重ねる社会人野球の選手たちを眺めながら、野村は言った。
「人間、お金が絡まないとこんなに純粋になれるもんなんだな。プロの世界の人間とは、目が違うんだ。本当にいい目をして、俺の話を聞いてくれるんだよ」
あの頃、何とか野村に食らいつき、その教えを吸収しようと奮闘してきた男たちは今、アマチュア球界の各所に根を張り、「ノムラの考え」を若き世代へ伝えている。
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スポーツ報知デジタル編集デスク
1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶応義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、現職。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。
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(スポーツ報知デジタル編集デスク 加藤 弘士)
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