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「全国どの病院でも名前を明かさず出産できる」200年以上前に"匿名出産"を制度化したフランスの"すごい仕組み"

プレジデントオンライン / 2022年3月29日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

熊本市の慈恵病院は1月4日、母親が身分を隠して出産する「内密出産」を2021年12月に実施したことを明らかにした。フランス在住のライター髙崎順子さんは「日本には、生みの親が子供を養育しないことを前提とする出産の制度がない。約200年前から“匿名出産”を行っているフランスの制度は参考になるのではないか」という――。

※児童虐待に関する情報を含みます。

■「生みの親が養育しないことを前提とする出産」の制度がない

2021年12月、熊本県熊本市の慈恵病院で、「内密出産」が行われた。自ら子を養育できない母親が身元を隠して出産できるよう、同病院が独自に導入したものだ。出産後の女性は経過に問題なく退院。生まれた子供は病院に保護された。戸籍の作成に関して熊本市と病院側の協議が行われ、熊本市が市長の職権で戸籍を作成することとなった。

日本では、親の身元が不明な状態で置き去りにされた子供を「棄児」として保護し、身元を調査・捜索する制度がある。一方、「生みの親自身で子供を養育しないことを前提にする出産」をめぐる制度は存在しない。そのため、自分では子を育てられない状況で妊娠をした女性が、それを誰にも言えないまま孤立出産に至り、生まれた新生児の遺棄・死亡に至る事件が繰り返されてしまっている。ほとんどの場合、妊娠に至る性行為をした男性や女性の家族は不在だ。

孤立出産は、大出血など命の危険もある分娩に妊婦を一人で放置する、現代の高度医療化社会では容認できない事態だ。養育できない子供の妊娠出産は、母子双方の命を大きな危険に晒す社会問題と言える。

今回の熊本のケースは女性が妊娠中から、わが子を他者の実子として養育されるように託す、特別養子縁組を希望していた。この女性を、2019年に母子救命のために内密出産の仕組みを導入した慈恵病院が支援したことで、女性は危険な孤立出産を免れ、子供の命が救われたのだ。

現在、この子供の戸籍作成に尽力する慈恵病院と熊本市をはじめ、政治家や福祉団体など多方面から、内密出産の制度化を訴えている声が高まっている。

■全国の産婦人科施設で「匿名出産」できる制度がある

筆者の住むフランスは、200年以上前から「自ら養育しない母親が、身を明かさずに子を出産すること」を公的に認めてきた、世界でも珍しい国だ。「匿名出産(もしくは秘密出産)Accouchement sous X(sous le secret)」の名称で制度化されており、それを選択する女性は全国の産婦人科医療施設で、自己負担なしでの出産が可能となっている。現在では年間約600人の子供が、この制度のもとで誕生。その子たちの大半が18歳の成人までに、養親に実子として縁組され、養育されている。

このフランスの匿名出産制度と運用実態、社会での受容について、紹介していこう。

フランスの匿名出産の公的な枠組みは、フランス革命直後の1793年までさかのぼる。国として出生登録制度を整備するにあたり、女性が匿名で出産することと、そうして生まれた子の出生登録を法的に認めたのだ。その後1844年には分娩に従事する医師・助産師に、匿名出産を希望した女性の名の秘匿義務が課されている。生みの母の匿名性を公的制度で守る理由は「危険な闇中絶や孤立出産、新生児殺人を防ぐため」とされてきた。

■現在に至るまで、制度の整備は続いている

フランスは歴史的に出産を奨励する社会で、匿名出産の制度化以前から、自ら養育できない子供を秘密裏に孤児院・養育院に託せる仕組みが普及していた。しかし産後に委託する方法では、母親側の妊娠・出産のリスクをカバーできない。その懸念から匿名出産の整備が進み、出産した医療施設で誕生直後の子供を保護する体制が整えられていった。第二次世界大戦中の1941年には、女性の救済手段として匿名出産時の医療費無料が定められている。

以来、今日に至るまで、生む女性と生まれた子の命と健康、人権や自己決定権などの論点に基づき、法律と制度の整備・改正が続いている。1993年には、フランス民法典に匿名出産制度が正式に記載された。21世紀に入ってからの大きな改正は2002年で、全国の医療施設で匿名出産に対応するよう規定。また同じ年、匿名出産で生まれた子の「出自を知る権利」に関する政府系機関「個人的出自へのアクセスに関する国家諮問委員会(以下CNAOP)」が創設された。子からの出自開示要求の受け付けと、生みの母親の身元情報調査・開示手続きを担い、母親の自己決定権と子供の権利に、一定の折り合いをつける形で運用されている。

エッフェル塔が見えるセーヌ川からの眺め
写真=iStock.com/Eloi_Omella
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Eloi_Omella

■分娩時に意思表示があった時点でスタートする

現在の制度下では、分娩時に母親からの意思表示があった時点で、匿名出産がスタートする。出産医療費は通常の分娩と同じく無償化され、女性側に費用負担は発生せず、公庫から医療機関に直接支払われる仕組みだ。

女性から匿名出産の意向を受けた産科施設は、子供の法的身分やその後の親子関係、子の養育に関して、女性に説明せねばならない。同時に国から親への子育て支援に触れ、もし女性が自分で育てたいと翻意した場合に必要な情報を、この時点で伝える。

誕生後、子供は「国家後見子」、つまり国が後見人となり養護される未成年者として、分娩施設のある自治体に生後5日以内に出生届が出される。生後2カ月間は「仮」の届出で、生みの親がこの期間に翻意した場合は実子として認知でき、親子関係が成立する。

■年間の匿名出産数は約600前後

「フランスではここ10年、年間の匿名出産数は約600前後で推移しています。そのうち生後2カ月以内に生みの親が翻意して子を認知するケースは、およそ100件。この場合、母子には生後3年間、特別な育児支援が提供されます」

前述の国家諮問委員会CNAOPのブルリー会長はそう語る。そのほかに、子供が望んだ際に自らの身分を明かす事前開示同意をCNAOPに与える女性が約100名。完全に身元を秘匿する出産は、年間約400件だ。

「匿名出産の際、母親には『密閉封書』の作成を提案します。出産の経緯や健康保健証番号など、母親の身元確認の手がかりになる情報を記した封書です。出産から数十年後に子から要望があった際、この封書の情報を使ってわれわれが母親に連絡し、開示への同意を確認します。前述の事前開示同意は出産時の決断ですが、密閉封筒はそれとは異なり、未来の時点での状況によって、母親に開示の可否を選択してもらうことができます」

フランスの制度では、生みの親と子のつながりや出自の開示に、複数の可能性を与えているのだ。

母親の手に把握反射する新生児
写真=iStock.com/hallohuahua
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hallohuahua

■養子縁組の養親と「実の親子」になる人が多い

生後2カ月で「国家後見子」の身分が定まった子供たちはその後、乳児院もしくは里親・養親家庭で育つ。15歳までは養子縁組が可能で(場合によっては21歳まで可能)、フランス国内だけではなく、国際養子縁組(外務省管轄)も対象となっている。

「匿名出産による国家後見子のほぼ全員が、18歳前に、裁判所の宣告を経て養親と実の親子となる『完全養子縁組』を結びます」

フランスの養子縁組制度では、養親になるには原則26歳以上との年齢制限がある。加えて、子供との年齢差(15歳以上)、カップルの場合は1年以上の同居歴など、シチュエーションごとに条件が決まっている。また子供が13歳以上の場合は、子供本人の同意を公証人の前で示すことが必要だ。(出典:フランス公益サービス情報サイト)

2013年の同性婚法制化の際、同性カップルにも養子縁組の道が開けたが、実際に養子縁組が成立したケースはまだ少ない。

■匿名出産で生まれた人々による発信が多くある

匿名出産の歴史が長く、養子縁組が社会的に受容されているためだろう、フランスでは匿名出産で生まれた人々の発言や発信が多く見られる。20世紀後半に子供側の「出自を知る権利」に関する制度整備の議論が高まった背景にも、当事者たちの意見表明があった。

たとえば大手全国紙「ル・モンド」では、2016年、匿名出産で生まれた30代女性のインタビューを長文で紹介している(ル・モンド“Pour moi, être née sous X et avoir grandi dans ma famille, c’est une grande chance”2016年6月28日)。養父母に愛情深く育てられた女性は匿名出産を「自分の人生の大きなチャンスだった」と表現。しかし成人後、自身の出産に際して、出自に関する複雑な思いが湧く。そこで生みの母の身元を探索しかけたが、途中でやめた。彼女は母親について「おそらく15歳ほど、とても若くして出産した」と聞かされており、その選択を尊重したい、意志を裏切りたくない、と考えたという。

「女性が匿名出産を選ぶには、相応の理由があります。そしてそれは、あまり楽しいものではないから」

インタビュー内で女性は、そう言い添えている。

ノートパソコンの上に重ねた新聞
写真=iStock.com/Daniel Tadevosyan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Daniel Tadevosyan

■匿名出産は「愛情行為としての選択」

2019年、フランス全土の国家後見子は、匿名出産の子を含め3248人。うち884人が、養子縁組を前提に養親家庭で暮らしている(出典:フランス児童保護オブザーバー)。前述のブルリー会長によると、養子縁組した家庭は、生みの親よりも世帯年収や生活環境の良いケースがほとんどだという。

そんなフランスでは、匿名出産は子供の遺棄ではなく、「子供を愛するゆえの行動」との視点で認知されている。避妊に医療保険が適用され、人工妊娠中絶も自己負担なしで受けられると、妊娠出産に関して女性の自己選択権が尊重される土壌がある。それでもなお養子縁組を前提に匿名で子を産む選択をするのは、生まれてくる子供に自分が育てるよりも良い環境を与えたい、この方法なら与えられる、と考えるからだ、と。

その好例として挙げられるのが、1990年に児童精神科医のキャサリン・ボネが、匿名出産を選択する女性に関して行った心理学研究だ。研究成果は『愛の行為、匿名出産』と題して出版され、話題を呼んだ。匿名出産を選ぶ女性は子供時代に虐待を受けたケースが多く、そのトラウマから自分自身も子供を虐待してしまう可能性を恐れ、より適正に子供を育てるであろう養親に託す。匿名出産は愛情行為としての選択なのだと、本書内でボネは主張している。

■生まれる子と母親を守るための保健政策

「フランスの匿名出産は、生まれる子と産む母親の健康を守るための、公衆衛生政策です」

前述のブルリー氏はそう明言する。フランスでは1994年以降、児童の虐待死について新生児年齢での統計を取らなくなっており、正確な数字は不明だが、警察の年次報告からは、社会問題化するほどの数字は見られなくなっているそうだ。一方、その「公的な数字」は実態よりも少なく、家庭内事故死として認知されている新生児死亡の中には虐待死が含まれている可能性があると、警鐘を鳴らす報道も出ている(出典:Le Monde, “Les infanticides, des meurtres à l’ampleur méconnue” 2021年2月6日配信記事)。

実は日本でも、母親による新生児殺害の正確な数字は年次データとしては把握されていない。2019年度の厚労省によるまとめでは、同年の虐待による児童死亡(親子心中死以外)は57件、うち約半数の28人が0歳児で、そのうち11人が生後1カ月間以内に亡くなっている〔厚生労働省「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第17次報告)」〕。

また令和2年の警察庁犯罪統計では、0歳児殺人が13件、未遂が4件認知されている。行政や警察機関にすくい上げられない事例は、さらにあるだろう。実際、数年後に遺棄が発覚する事件は過去に何度も起こっている。

そして児童相談所が保護した「棄児(遺棄され、保護された時に親が分からない児童)」の0歳児は、令和元年度で24人、令和2年度で13人となっている(出典:福祉行政報告例・年次報告「児童福祉」の表番号22)。

避妊が医療保険の対象外にあり、高額な人工妊娠中絶手術が全額自己負担とされる日本では、望まない妊娠・出産を防ぐハードルがフランスよりもずっと高いのだ。

子供は生まれる親や環境、妊娠の背景を自ら選べずに、この世に生を受ける。どんな経緯でどんな親から生まれた子でも、安全に守り育てられるにはどうしたらいいか。里親・養子縁組など社会的養護の拡充とともに、あらゆるケースでの出産を、法と医療の枠内で支援するよう、早急に制度を整えるべきだ。その議論にあたり、今回紹介したフランスの匿名出産制度は一つのヒントになるだろう。

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髙崎 順子(たかさき・じゅんこ)
ライター
1974年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、都内の出版社勤務を経て渡仏。書籍や新聞雑誌、ウェブなど幅広い日本語メディアで、フランスの文化・社会を題材に寄稿している。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)、『パリのごちそう』(主婦と生活社)などがある。

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(ライター 髙崎 順子)

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