皇帝の「夜のお相手」だけではない…オスマン帝国の「ハーレム」に連れてこられた女奴隷の一生
プレジデントオンライン / 2022年4月7日 18時15分
※本稿は、小笠原弘幸『ハレム:女官と宦官たちの世界』(新潮選書)の一部を再編集したものです。
■オスマン帝国の「後宮」に連れてこられた女奴隷の一生
ハレムにいた数百名にのぼる女性のうち、スルタン(オスマン皇帝)に見初められ、一夜を共にした者には、寵姫となる道が開かれていた。さらに授かった男子が即位にまでいたれば、彼女は母后となり、ハレムに君臨する存在となるのだ。
しかし、彼女たちはスルタンの夜の相手だけを務めていたわけではない。王族の身の回りの世話から、洗濯や浴室、竈の管理にいたるまで、ハレムを維持するための多くの仕事を請け負った。まさに彼女たちは、ハレムという存在そのものを支えているといってよい人々であった。
ハレムの女性を意味するトルコ語は、ジャーリエという。もともとはアラビア語のジャーリヤという単語が、転訛してジャーリエと発音されるようになった。ジャーリエとは、一般に「女奴隷」と訳される。
実際に、ハレムで働く女性たちの法的身分は、奴隷であった。しかし、以下に見るように、彼女たちは、わたしたちがふつうイメージする「奴隷」というよりも、むしろ「女官」と意訳する方が実態に即していよう。
■見習い奴隷から毒見役や洗濯役に
ハレムに入りたての女官は、新入りと呼ばれる。彼女たちは、まずふたつの部屋に割り振られる。これらの部屋に入った新人たちは、先輩の女官に、ハレムで働くにふさわしい訓練を受けた。女官としての基本的なふるまい、読み書き、そして刺繍や手芸、あるいは音楽やダンスを学んだと考えられている。
見習い期間を終えた新入りたちは、女中と呼ばれるようになり、毒見役や洗濯役などに配属される。ここで彼女たちは、ハレムを維持し運営するために働いたのであった。また、母后や王女、夫人や愛妾など、ハレムの高貴な女性たちに仕える侍女に任命される女中もいた。とくに母后の侍女は、スルタンの妻妾の候補者でもあり、将来の見込まれた女官が配属された。
女官のなかには、スルタンの妻妾となることを夢見ていた者もいたであろうが、実際にその地位にまで上り詰める者はごくわずかであった。彼女たちの多くは、一般の女中として、ハレムでの生活を営んだのである。
■女中頭になって皇帝と接する機会ができる
女中たちのなかで、経験を積み、毒見役や洗濯役など、それぞれの役の長となった者たちは女中頭と呼ばれた。スルタンを始めとした王族たちに直接、仕えることができたのも女中頭だけであった。
以下、それぞれの女中頭の役割を簡単に説明しておこう。
まず毒見役頭は、スルタンのための食事を配膳する役割を任じられた。配膳される前に毒見を行い、スルタンが食事をするさいには傍らに控えた。また倉庫役頭は、ハレムの食糧庫を管理する職務であり、毒見役頭とともにスルタンの食卓を準備した。
洗濯役頭は、スルタンの衣服を洗い、アイロンをかける役割であった。高貴な女性たちの衣服の洗濯や、彼女たちの入浴時の奉仕は、衣装箱役頭がうけもった。浴室そのものの管理を担当したのが、風呂釜役頭である。
スルタンやハレムの高位の者たちに珈琲を供したのは、珈琲役頭であった。とくに儀式や宗教祭りを祝うさい、彼女たちには多数の人々に手早く珈琲をふるまうことが求められた。
水差役頭は、石鹸やタオルを用意して、スルタンが手や顔を洗う、あるいは礼拝前に沐浴(もくよく)をするさいに奉仕した。また散髪役頭は、その名の通りスルタンの散髪を請け負った。
■皇帝のそばで仕える宝物役頭と女官長
女中頭たちのうちとくに重要な役職が、ハレムの宝物庫を管理し、女官長の右腕として働いた宝物役頭である。
19世紀になると、宝物役の女中たちと宝物役頭は名称と役割が乖離(かいり)して、実質的にはスルタンのそばに仕える侍女の役目を務めるようになる。このころには、宝物役頭は女官長をしのぐ権威を持つようになり、女官長が持っていた印章も彼女が携えることになった。
興味深いのは、愛妾が宝物役頭を兼ねている例があること、そして宝物役頭出身の愛妾がいることである。たとえば、マフムト一世(在位1730~54年)の第6愛妾は、同時に宝物役頭であった。
彼女が、もともと有能であって宝物役頭を務めていたさいにスルタンの目に留まったのか、あるいはスルタンの寵愛が先にあって宝物役頭を務めることになったのか定かではない。
女官たちの実務上のトップが女官長である。すべての女官のなかでもっとも経験豊富な人物が就任した。女官長は母后の右腕であり、ハレムの女官全体を統括するいわばジェネラル・マネージャーであった。
その権威は高く、特別の部屋を与えられ、給与についても、セリム三世の時代には母后をもしのぐ日給を得ていた。女官長には直属の女官が4、5名配属され、彼女たちも高給を得ていた。
なお女官長は、見目麗しさよりも実績や経験が優先されたためであろう、寵姫に「昇進」するポストではなかったと考えられる。
■「皇帝の女」になるための絶対条件
スルタンの妻妾は、ほとんどの場合スルタンと婚姻関係を結んでおらず、身分としては一般の女官と同じ奴隷であった。ただし、まれな例ではあるが、奴隷から解放されスルタンと正式に結婚し、自由人となった妻妾もいる。
妻妾となるには、まずスルタンに目をかけられ、夜伽の相手を務める必要があった。その機会を持っていたのは、ひとつには、直接スルタンの身の回りの世話をする女中頭たちである。彼女たちは、毒見役や散髪役として、スルタンと生活空間を共有したから、スルタンに気に入られることも多かっただろう。また、母后の侍女をつとめた女官たちも、母后の推薦によって、スルタンの寵愛を得る機会に恵まれていた。
愛妾という訳語をあてたイクバルという言葉は、もともと「幸運な」という意味である。スルタンの寵愛を受けることは、まれにみる僥倖とみなされたからであろう。愛妾は複数名いるのが普通で、第一愛妾、第二愛妾、第三愛妾……というかたちで序列づけられた。愛妾の上位である夫人に欠員が生じると、第一愛妾が夫人の末席に昇進することもあった。
愛妾よりも格式の高い、スルタンの寵姫としては最高位にあたるのが夫人である。ハレムにおいて夫人より格上の女性は、スルタンの母たる母后と、姉妹たる王女しか存在しない。夫人は、愛妾と同様に複数おり、スルタンによって異なるが、四名から七名のあいだであった。やはり愛妾同様に、第一夫人、第二夫人……というかたちで序列づけられた。
■女官から愛妾、そして夫人へ
スルタンの寵愛を受けた女官が愛妾や夫人といった確固とした地位を獲得するには、子供を産むことが条件であった、とする研究は多い。子をなしうる能力を示すことが、こうした地位に選ばれるために有利に働いたであろうことは、想像に難くない。
ただし、実際に妻妾の経歴を検討してみると、子をつくることそれ自体は、必ずしもこの地位を得るための条件ではないことがわかる。子供のいない夫人もいたし、子をさずかっても夫人に昇進しない愛妾もいた。結局のところ、愛妾や夫人に取り立てられるか否かは、スルタンや母后など、ハレムの有力者の判断にかかっていたといえよう。
また、愛妾や夫人が序列を進めたり、愛妾から夫人へと昇格したりすることについても、明確な規則は確認できない。多くの場合、上位の女性が死去したときにのみ、そのぶん序列が進むだけであり、序列の入れ替わりはまれなことだった。
下位の妻妾が抜擢され、上位の女性をごぼう抜きするような「下剋上」は基本的にはありえず、いうなれば完全な年功序列が採用されていたのだ。これは、無用な争いを避け、ハレムの秩序を守るひとつの知恵だったと考えられる。
序列に影響がないとはいえ、子供のあるなしが、夫人や愛妾にたいする、スルタンの寵愛の程度に影響を与えたのはたしかであろう。彼女たちのあいだでは、御子をさずかるかどうかは、重要な問題だったことは間違いない。
彼女たちのライバル意識はときに、ほかの妻妾を害するまでにいたったようだ。19世紀末、アブデュルハミト二世の第二愛妾であったペイヴェステは、子を身ごもったさい、それを妬んだある夫人に薬を盛られて流産し、以後妊娠できなくなったという。ペイヴェステの姪で、自身もハレムで過ごしたレイラ・アチュバの伝えることだが、はたして真実はどうだっただろうか。
■ハレムの最高権力者は「母后」
ハレムでもっとも権威を持つ存在は、もちろんスルタンその人である。しかし、スルタンは政務もあり、いつもハレムにいるわけではない。スルタンに代わってハレムの住人たちの頂点に君臨し、実質的にハレムを統括する者は、現スルタンの母たる母后であった。
母后にも、スルタンのそれと鏡写しのように、洗濯役や毒見役をはじめ、やはりさまざまな役をこなす女官と女中頭が配属された。ただし、その俸給は、スルタンに仕える女官よりは一段低いものであった。
さらに母后は、ハレムの外にもその影響力をおよぼした。そのさい、ハレム外における彼女の代理人となったのが、母后用人である。宮廷外の役職であるから、これは男性が務めた。彼は、情報収集、物品の購入、収入の管理、母后が設定した宗教寄進にかかわる仕事など、宮廷外の任務の責任者であった。
母后の権力にふさわしく、母后用人も大きな影響力を持ち、かつその待遇や利権も、群を抜くものだった。とくに、セリム三世の母ミフリシャーの母后用人であったユスフ・アアは、莫大(ばくだい)な蓄財をして「当代のクロイソス王」と呼ばれた。クロイソスとは、古代のリュディア王国の君主であり、イスラム世界においても西洋においても、富者の代名詞として用いられる人物であった。
母后用人が母后の「右腕」だとすれば、その「左腕」となったのは、母后勘定役である。こちらも母后用人と同様、宮廷外の役職であり、男性が務めた。母后にかかわる会計の責任者である彼は、母后に属する収入と支出を管理した。母后は、ハレムの女性たちのなかでトップクラスの給金を得ている。
■はじめは女奴隷でも権勢をふるう存在になれた
しかし、彼女の富の源泉は、給金だけではなく、宮廷の外にもあった。徴税請負や農園、あるいは賃貸収入である。母后勘定役は、こうした収入を管理するとともに、宝石や衣服などの奢侈品を含めた膨大な消費活動を支えたのである。
母后には、彼ら以外にも直属の男性の部下たちが仕え、珈琲係、小船係、馬車係などハレムの外で行われるさまざまな役割をこなした。母后専属の宦官たちもおり、その長は母后の宦官頭であった。もちろん、ハレムのすべての宦官を統括する黒人宦官長も、母后の強力なパートナーだった。
こうした配下たちを通じて、母后はハレムの内外にその権勢をふるったのである。
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九州大学大学院 准教授
1974年、北海道生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。2013年から九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明史学講座准教授。専門はオスマン帝国史およびトルコ共和国史。著書に『ハレム:女官と宦官たちの世界』(新潮選書)、『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容』(刀水書房)、『オスマン帝国』(中公新書、樫山純三賞受賞)、『オスマン帝国英傑列伝』(幻冬舎新書)、編著に『トルコ共和国 国民の創成とその変容』(九州大学出版会)などがある。
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(九州大学大学院 准教授 小笠原 弘幸)
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