これが理想的とは限らない…老妻の回復のために尽くす80代の夫に、取材記者が抱いた「違和感」の正体
プレジデントオンライン / 2022年4月7日 11時15分
■「料理、掃除、洗濯、買い物などは全く苦になりません」
その家では、80代の夫が笑顔で出迎えてくれた。
千場医師、看護師、私の3人が室内に入ると、夫がすぐに急須でお茶を入れ、テーブルの上に置く。その後も台所で食事の準備をしながら、最近の妻の様子を報告する。
「3食とも作られているんですか?」
私は前回に続き、またも食事について質問してみた。手もとを見つめていた夫は顔を上げ
「時々出来合いのものを買いますよ。……あ、3食担当か? という意味では3食担当ですね」
にっこりと笑う。
「けっこうおいしいんですよ」
そう言う妻も朗らかに笑い、私も気持ちが温まる。妻はリウマチで指が思うように動かず、料理ができないという。夫は「私はガキの頃から……そうですね、小学生の時から、家庭の事情で台所に入っていたんですよ。ですから料理、掃除、洗濯、買い物などは全く苦になりません」とさらりと言う。
■話を聞いているうちに、違和感をおぼえるようになった
私が驚きの声を上げると、「いやいや、テレビに出てくる材料や何グラムなんてのもわからないし、いい加減な料理ですよ」と顔の前で手を横に振った。
「高血圧と頭の悪いのは治りませんけどね。家事くらいなら」
“昔の人”にしては珍しい。常にニコニコしているし、なんていい夫だろうと思っていたが、診察の話を聞いているうちに次第に違和感をおぼえるようになった。
たとえば千場医師が妻に対して「体重はどうですか」と話しかけた時のこと。
妻はほほ笑み、「増えていると思います」「けっこう食欲があります」と、一言ずつゆっくり噛みしめるように話す。
そこで夫が口をはさみ「食欲は平常の状態に戻ったなあと思いますね」と言う。
千場医師は再び妻に向かって、
「これまでいろいろな疾患で大変でしたが、今はむくみもないし、状態が落ち着いています。以前お描きになっていた絵をまた始めてもいいんじゃないですか。芸術的センスがある方だから」
その提案を夫が遮るのだ。
■夫の「手取り足取り」に妻がげんなりしてしまう
「いや先生、ちょっと今は体がついていかないです。もう少し体に自信がつかないと……」
「だから気持ちが乗ったらで」
千場医師がなおも勧めると、夫は「いやいや」と繰り返すのだった。
「先生からそういう声がけがあるたびに、本人はやりたいなという気持ちになるみたいですが、ちょっと今は体がついていかないみたいで」
それに対し、妻は肯定も否定もせず、あいまいな顔で笑っている。
後で聞いたところによると、夫の“手取り足取り”に妻がげんなりし、一時期は歯車が噛み合わなくなったという。
実際に今の夫婦の様子を見ていても、その“手取り足取り”がわかるような気がした。千場医師は妻に質問をしている。妻はしばらく考え、自分で答えようとする。しかしそれを夫が待っていられずに遮り、自分が本人の代わりに答えてしまうのだ。もう少し待っていれば妻は自分で答えられるかもしれない。日常生活も同様に、妻が自分でやろうとすること、時間をかければ一人でできるようなこと、例えば着替えや食事、トイレなどを夫が先回りして手伝ってしまうのではないかと感じた。
■「妻への依存度」が高くなりやすい日本の高齢男性
「ご主人は大変なことはありますか」
私は夫にそう問いかけた。すると、
「大変なことは、うまくコミュニケーションがとれないことですかね。こっちが短気だから」
と、肩をすくめる。妻は、「そんなことない。短気じゃない」とやはりほほ笑みながらゆっくり言う。
なんだかんだいって、仲のよい二人ではある。ただ、夫にとって生活のすべてが「妻の体」になってしまい、これでは双方が息苦しくなる時があるだろうと感じた。妻以外に目を向けること、妻の回復以外の楽しみを見つけたほうが、かえって二人とも笑顔になれるのではないかと思った。しかし、日本の高齢男性は“配偶者がいなければ何もできない”というような「妻への依存度」が高くなりやすい。
「家族の愛情のさじ加減は難しいですよね」
と、湘南鎌倉総合病院で訪問診療を請け負う吉澤和希医師も指摘する。
■周囲への要求水準が高くなって、医療従事者とトラブルに
「在宅で過ごす人を支える家族は、一生懸命やりすぎちゃうパターンと、全く介護に協力しない、放棄パターンの二つに分かれやすい。バランスよくできる人がいないわけではありませんが、少ないですね。それから介護をする気持ちはあっても、経済的に困窮していてやむなく家で過ごすことになり、家族は日々の仕事で精一杯で、介護まで手が回らないケースもあります」
患者への思いが深いのはすばらしい。けれども、その考えが本当に本人の幸せにつながるのか、自分の築いてきた「こうすれば幸せになる」という価値観にとらわれたものでないか、一歩引いて見つめ直すことも重要だ。特に仕事で成功をおさめている人は老化や死を受け入れられず、「“がんばればよくなるんじゃないか”と周囲への要求水準が高くなって、医療従事者とトラブルになりやすい」という。
千場医師は“三方よし”を胸に置いている。患者本人、医療従事者と介護職、そして主たる介護者である家族だ。
■のぞましい最期へのキーワードは「家・人・金」
「本人だけがよくても家族が疲れてしまう可能性があるし、家族だけがよくてももちろん良くない。だからいろんな投げかけで、本人や家族に聞き、さまざまな結論を導きます。ただ本来は誰もが元気な時に“のぞましい最期”を考えておく必要があります。キーワードは家・人・金です」
「家」とは自宅に限らず、施設でも病院でもいいが、安息に自分が最期を迎えるための場所のこと。次に「人」とは、その場所を確保するための手続き、たとえば自宅であれば同居して“介護を最後まで引き受ける人の合意”を得ること。
「それは大概、配偶者や子供、親兄弟の親族になりますよね。残る“金”も大事な問題です。死ぬまでの生活費、療養費の出費を考えておかなければなりません」(千場医師)
さてここで、実際に家で死ぬ場合の費用がどれほどかかるのか、気になる人もいるだろう。
それについては千場医師の著書『わが家で最期を。』(小学館)に詳しいシミュレーションが示されているので参考にしてほしいが、ざっくりと「要介護3~5の区分での介護費用と合わせた自己負担額は月額6万円くらい」という。
「うちの診療所での在宅診療を受けられる方が看取りのための費用として考えておく金額は、最後の数カ月の総額で30万円未満ですむと思います」(同)
■介護保険で「必要な介護力」はどれだけカバーできるか
特に、病気の種類や家族構成で「介護部分」に変動が大きい。再び吉澤医師が「在宅に必要な介護力を介護保険でどれくらいカバーしているかというと、一般的には半分くらいです」と説明する。そもそも“介護力”とは何なのか。
「たとえば排泄、立ち上がってトイレに行く、食事をする、洗面洗顔など、普通の人が当たり前にやっていることができなくなるので、そこを誰がどれだけカバーするか。それが介護力です。もちろん“本人が一人でできないこと”は病気の種類や状態によりケース・バイ・ケースなのですが、できない部分の半分は介護保険でヘルパーさんにお願いしたり訪問入浴を頼んだりできる。もう半分を家族が行うか、お金を出して介護サービスを受けるか、というイメージですね」
家にいながら医療を受けるという、在宅医療はこれまでは「人生の最期」だけだったが、コロナ禍で注目されたようにこれからの時代は「入院の代替」も担っていくだろう。あなたの親や配偶者が最期の時、または病気を患った時に「家で過ごす」ことを望んだら、あなたは経済的に、そして介護力をどこまで提供できるだろうか。(続く)
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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