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日本経済が落ちるところまで落ちた証拠…財務省OBが目論む「民営化撲滅」という最悪のシナリオ

プレジデントオンライン / 2022年6月24日 11時15分

国際協力銀行(JBIC)総裁の就任が決まった林信光氏(写真=時事通信フォト)

■「久しぶりの財務省OB総裁」が示す意味

財務省が失地を奪還しつつある。政府は5月27日、国際協力銀行(JBIC)の総裁に林信光副総裁(65)が就く人事を了承した。林氏は80年東大法卒で、旧大蔵省(現財務省)に入省し、理財局長まで上り詰めた。この間、世界銀行グループの理事も歴任した。14年の国税庁長官を経て、16年にJBIC専務に転じ、18年から副総裁を務めている。

JBICは1950年に、当時の大蔵相・池田勇人によって設立された「日本輸出入銀行」を前身とする政府系金融機関で、大蔵省の有力天下り先として長年、事務次官経験者などが総裁を務めてきた。

しかし、小泉純一郎首相(当時)による民営化の流れを受け、2012年に奥田碩氏(元トヨタ自動車社長・会長)が総裁に就いて以降、渡辺博史氏(元財務官)を除き、民間出身が総裁を務めてきた。とくに現在の前田匡史氏はプロパー初の総裁だ。このため前田氏の後任も生え抜きから登用されるのではないかとの見方もあったが、最終的に財務省OBの昇格で決着した。

■コロナ禍、ウクライナ侵攻を機に復権しつつある

財務省がかつて「天領」と称された政府系金融機関トップの座を奪い返したことに、政界から異論は出ていない。そればかりか、JBIC以外にも政府系金融機関トップに財務省OBが復権しつつある。財務省は、政界や世論の天下り批判を受けて政府系金融機関トップへ有力OBを送りこむことをこれまで自粛してきた。

ただ、一歩退いた役員ポストに座り、虎視眈々(こしたんたん)と失地回復を狙ってきた節がある。そのトップ復権がいま実現されようとしている。背景には、「新型コロナウイルス感染拡大やロシアによるウクライナ侵攻に伴い、重要性が増す財政出動と政府系金融機関の投融資の存在がある」(メガバンク幹部)とされる。

翻って、政府系金融機関をめぐっては05年の小泉政権以降、民営化が最大の焦点になってきた。財務省が長い時間をかけて目指してきたのは、この民営化路線を“未来永劫(えいごう)先送りする”という、事実上の「民営化撲滅」だった。

最初の「神風」は08年秋に吹いたリーマンショックだった。続いて11年3月の東日本大震災が政府系金融機関を生き返らせた。「経済危機はまさに政府系金融機関にとって神風だった」(与党幹部)と言っていい。

実際、政府系金融機関は民間金融機関がリスクに尻込みする中小企業向け融資にも果敢に突っ込んだ。「民間金融機関よりも政府系金融機関のほうが頼りになる」(都内の中小企業経営者)という声が多数聞かれ、投融資残高は急増した。

■リーマンショックでは15兆円規模を資金供給

とくにリーマンショック直後から日本政策金融公庫と日本政策投資銀行がタッグを組んだ危機対応融資には、日産自動車(500億円程度)、三菱自動車(同)、富士重工業(100億円程度)、などの日本を代表する企業が殺到した。

結果、危機対応融資の当初枠1兆円は、09年3月末までの4カ月弱で底をつくことが確実となったため、財務省は財務相の判断で予算額を最大1.5倍まで拡大できる「弾力条項」を発動し、年1兆円の予算枠に5000億円を追加したほどだった。そして、日本政策投資銀行による資金供給枠は、低利融資やCP(コマーシャルペーパー)、さらに社債購入まで拡大され、最終的には資金枠は保証も含め15兆円規模にまで膨れ上がった。

さらに政府は、09年1月に、公的資金を活用して一般企業に資本を注入する制度の創設を決めた。金融危機により一時的に業績不振に陥った企業を国が信用補完し、経済の安定化を狙うもので、産業活力再生特別措置法の認可を受けた企業を対象に、日本政策投資銀行や民間金融機関などの指定金融機関が企業の優先株取得などで資本支援する仕組みだ。

■「究極のモラルハザード」民間金融機関は憤慨するも…

この企業への資本支援については、仮に出資金が焦げついた場合も、政府が日本政策金融公庫を通して5~8割程度を損失補塡(ほてん)することになっていた。日本政策投資銀行の発言力が強まったのはいうまでもない。そして、極め付きは東日本大震災に伴う東京電力の経営危機だ。福島第一原発事故により原発再稼働が不透明な中、東電の経営を実質的に支えているのは日本政策投資銀行に他ならない。政策投資銀行はエネルギー政策を人質に取ったようなものだ。

そして最大の分岐点は2014年のアベノミクスで訪れた。アベノミクスの「三本の矢」のひとつ、成長戦略の中で、「企業への中長期的な資金供給についての環境整備」が取り上げられた。その裏テーマは「政府系金融機関の完全民営化先送り」だった。「有識者会議で公的金融と民間金融がそれぞれ果たすべき役割についても議論されたが、最初から結論は出ていた」(自民党関係者)という。「今後も政府系金融機関が果たすべき役割は大きい」というのが政府・与党内のコンセンサスだった。

地方の中小企業など支援企業へ資金を流したい政治家と天下り先を維持・拡大したい官僚の思惑が一致した格好だった。「究極のモラルハザードが生じている」と民間金融機関幹部は憤慨したが、民営化先送りの流れは変わらなかった。

■天下り財務官僚がぞくぞくと経営陣の仲間入り

政府系金融機関の先祖返りを背景に、それまで民間出身者で埋め尽くされていた経営陣に天下り官僚がぞくぞくと復権していった。日本政策金融公庫では08年10月に元帝人会長の安居祥策氏が総裁に就いたが、13年10月に元財務事務次官の細川興一氏が副総裁から総裁に昇格し、続いて同じ元財務事務次官の田中一穂氏が17年12月から総裁に就いている。

日本政策投資銀行では、08年10月に元伊藤忠商事社長の室伏稔氏、11年6月に元富士銀行頭取の橋本徹氏と民間企業出身者が社長に就いた後、柳正憲氏、渡辺一氏とプロパー社長が2代続き、この6月末の株主総会を待って副社長の地下誠二が3代目プロパー社長に昇格する。

しかし、「日本政策投資銀行には元財務事務次官の木下康司氏が会長に就いており、事実上のトップと見られている。新型コロナウイルス感染拡大を受けた資本性ローンの供給でも、木下氏と財務省同期で日本政策金融公庫の田中一穂総裁が気脈を通じて政界対応を図っていた」(メガバンク幹部)という。

そして国際協力銀行(JBIC)では、奥田碩総裁の後に、元財務官の渡辺博史氏が副総裁から総裁に昇格した。ただ、その後、16年6月に元住友銀行常務の近藤章氏が総裁となり、次いでJBICプロパーの前田匡史氏が総裁に就いた。これで財務官僚の復活は難しいのではないのかと見られていた。しかし、そこに思わぬ落とし穴が待っていた。

国会議事堂
写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

■前田氏主導の「サハリン2」も先行きが怪しい

ロシアによるウクライナ侵攻である。このロシアの蛮行に対して日・米・欧は協調して制裁に動いており、その一環で、日本の商社が出資する極東ロシアの石油・天然ガス開発事業「サハリン2」の先行きが懸念されている。

すでにサハリン2から撤退を決めた英石油大手のシェルは中国の石油会社などと売却交渉に入っていると報じられているが、サハリン2に出資する日本の三井物産(12.5%出資)、三菱商事(10%)は現時点では撤退せず、日本への安定供給を支える方針を変えていない。

このサハリン2はじめロシア関連事業に日本が突っ込む先導役を果たしたのがJBICの前田匡史氏だった。JBICは資金供給で商社のサハリン2の権益確保を後押ししたとされており、「サハリン2のプロジェクトファイナンスは俺がまとめた」というのが前田氏の自慢の種だった。それがいま逆回転しはじめたことで、後任人事にも影響を与えたことは間違いない。

前田氏はJBICの政治部長とも言われた人物。とりわけ前田氏の名前が永田町で話題となったのは、民主党政権下の10年6月に内閣官房参与として官邸入りした時だ。「当時の仙谷由人官房長官の引きで、民主党が進めたパッケージ型インフラ海外展開の知恵袋だった」(永田町関係者)とされる。

原発輸出にも熱心で、福島第一原発事故の際は、菅直人首相(当時)に「東電は国有化しても守るべき」と進言した。12年に日本政策金融公庫に吸収されていたJBICを仙谷官房長官に進言して分離・独立させた立役者でもある。

■天下り批判はもはや過去のものか

自民党政権に戻っても、「前田氏は影の実力者が好きで、菅義偉官房長官(当時)に深く食い込んでいる」(先の民間銀行首脳)といわれた。与野党を問わず政界との関係は深く、第1次安倍内閣が提唱した「アジア・ゲートウェイ構想」の仕掛け人の一人でもある。

「JBICは海外プロジェクトに企画段階から関与し、戦略的リスクマネーを供給する」というのが前田氏の持論で、安倍政権が進めたインフラ輸出を後押しした。

しかし、こうした政治に近づきすぎた前田路線が、ロシアのウクライナ侵攻で暗転した。そこを財務省が突き、天領を復活させたのが林氏の総裁就任劇だ。

コロナ禍にロシアのウクライナ侵攻、そして米国の相次ぐ利上げに伴う円安進行を受け、またも日本経済は苦境の淵に立たされている。危機こそ政府系金融機関の出番である。財政を担う財務省と気脈を通じたOBが政府系金融機関トップに就くことは歴史の要請かもしれない。天下り批判はもはや過去のものか。

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森岡 英樹(もりおか・ひでき)
経済ジャーナリスト
1957年生まれ。早稲田大学卒業後、経済記者となる。1997年、米コンサルタント会社「グリニッチ・アソシエイト」のシニア・リサーチ・アソシエイト。並びに「パラゲイト・コンサルタンツ」シニア・アドバイザーを兼任。2004年4月、ジャーナリストとして独立。一方で、公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団(埼玉県100%出資)の常務理事として財団改革に取り組み、新芸術監督として蜷川幸雄氏を招聘した。

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(経済ジャーナリスト 森岡 英樹)

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