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SDGsの推進は「北朝鮮の金王朝の支持」と同じ意味…「独裁国家ほどSDGsに大賛成」という不都合な真実

プレジデントオンライン / 2023年6月6日 9時15分

SDGs、ESDに取り組む必要はない(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/manbo-photo

SDGsにはどれだけの価値があるのか。早稲田大学招聘研究員の渡瀬裕哉さんは「SDGsの名目でジンバブエや北朝鮮のような独裁国家にもマネーが流れている。SDGsの目標・ターゲット自体、国際NGOの利権という側面がある」という――。

※本稿は、渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)の一部を再編集したものです。

■「SDGs、ESDに取り組む必要はないとガツンと言ってやった」

筆者が日本のある地域の会合で出会った、文化団体で活躍しているご婦人の話を紹介しよう。

彼女曰く、市の学校教育に関する審議会で「SDGsを担う人材を創るためにESDに取り組む必要はないとガツンと言ってやった」ということだった。

大した胆力だと思うが、このようなことを主張できる気骨ある人材は極めて少数だ。

SDGs(Sustainable Development Goals)とは、国連が定めた「持続可能な開発目標」のことであり、ESD(Education for Sustainable Development)は「持続可能な社会の担い手を育てる教育活動」を指す。

■「地球の裏側で決めた計画」に過ぎない

ここ数年、日本でもSDGsがグローバル企業、政府、社会団体に浸透してきた。

地方自治体においては、内閣府から補助金が貰えることもあり、「SDGsに沿った取り組みを行います云々」といったお題目を掲げている地域が増えている。

筆者の感想は前述のご婦人と一緒であり、「地球の裏側で決めた計画を後生大事にして妄信するようなら『自治』の看板など下ろしてしまえ」と思う。

もちろん、地球全体のことに対する視野を持つことを否定しているわけではない。

しかし、「地球全体のことを考えること=国連の計画を達成することではない」という認識は必要だ。

■「SDGsを学ぶべき」と言わないと変人扱い

「自分たちの社会がどうあるべきか」を肌感覚で政治に反映させることができる場が地方自治の現場だ。

ハナから権威主義を盲信し、日本の子どもたちに国連の計画に従った価値観を学ばせる場を「自治体」と呼ぶのはナンセンスだろう。

まして、地域の大人が、自分たちの住む場所の課題を、自分たちの日常生活から発見できず、遠く離れた地球の裏側のNYで作られた計画に頼る姿を子どもに見せるなど、教育上望ましいことではない。

前述のご婦人が示した素朴な感想は、保守主義者であり、自由主義者であるなら当たり前の感想であるが、権威主義下の社会では、必ずしも主流となる言論とは言えない。

少なくとも、大学界隈、国際機関界隈、政府関係者界隈で良い顔をしたいなら、「SDGsのような国際的な価値観を子どもたちに率先して学ばせるべきだ」と言っておかねば、人でなし、または変人扱いを受けて、非常に居心地の悪い思いをすることになる。

指を突き出して怒る人
写真=iStock.com/kuppa_rock
「SDGsを学ぶべき」と言わないと変人扱い(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■SDGsの「目標」は国際NGOなどがねじ込んだ結果

そもそもSDGsは、どのようにでき上がったものなのだろうか。

Financial Timesによると、SDGsは議論の過程で、目標が8個から17個に、ターゲットが18個から169個まで肥大化したという。

これは国際NGOなどが、自分が取り組んでいる分野を目標やターゲットに含めるよう必死にねじ込んだ結果であろう。

SDGsの中に自らの活動領域が組み込まれていないと、国際機関や各国の予算配分で不利益を受けることは、火を見るよりも明らかだ。

SDGs策定当時に国際開発系NGOらのタックスイーターたちが必死の形相で自らの利権を盛り込んだ姿が目に浮かぶようだ。

■ジンバブエ史上最悪の独裁者がSDGsを歓迎する理由

SDGsが採択された際の国連総会で、ジンバブエ史上最悪の独裁者であるムガベ大統領などもSDGsを歓迎していた。

ムガベ大統領にさえ許容されるのだから、国民への過酷な迫害を続けている他の国々の指導者も、SDGsの積極的な賛同者として名前を連ねたのは言うまでもない。

なぜなら、SDGsを推進することで、西側先進国からのさらなる援助として、これらの独裁者の体制を支えるマネーが注ぎ込まれることになるからだ。

日本人にもわかりやすく言うなら、北朝鮮との間ですらSDGsに関する合意がなされている。

そんな茶番を演じるくらいなら、金王朝の独裁体制を転換する方策を立案することのほうが、人権上有益であることは言うまでもない。

当たり前のことであるが、世界の国民の幸福を真に願うならば、独裁体制から民主制に移行し、市場への適切なアクセスが確保されることこそが重要である。

われわれの手に国連での投票権があれば、独裁国の体制維持につながる支援に「YES」の投票をするだろうか。

われわれが行うべき投票は、独裁国の体制転換を促す「YES」の投票であり、独裁者のために、われわれの税金が実質的に使用されることには「NO」に決まっている。

金日成の銅像
写真=iStock.com/narvikk
SDGsの推進は「北朝鮮の金王朝の支持」と同じ意味(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/narvikk

■国連が計画を作り、各国政府が達成を目指すこと自体が疑問

筆者は国連が「計画」を作って「各国政府」が、それを達成するために税制・規制を用いることに疑問を感じている。

むしろ、「社会主義の焼き直し」のようなプロジェクトは歴史を見れば失敗する上、それが人々に災厄をもたらす可能性を危惧する。

グローバル・ガバナンスの強化は、必ずグローバルな権威主義の台頭を促すことになるだろう。当然であるが、その時には、それらを担うグローバルな政府のガバナンスに関する「投票権」はわれわれの手に存在しない。

国連の多数は、劣悪な政治状態の国々の指導者の手にあり、自国の利益を追求する大国、自らの組織拡大に邁進する国際官僚とその取り巻きが、腐敗した国々からの支持を政治的に利用している。

イデオロギーではなく、実態を見る人々の視点は軽視されている。

渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)
渡瀬裕哉『社会的嘘の終わりと新しい自由』(すばる舎)

SDGsの指標の肥大化などは、氷山の一角が表出したに過ぎない。

そのような組織が支配する未来、自治を失った未来都市が、ユートピアか、ディストピアか、考えるまでもなくわかることだ。

リベラルな価値観に支えられた権威主義は、個人として考えるなら「当たり前」の判断を軽視し、グローバルな決め事として、反対が困難な装いで、人々に軽薄な特定の価値観の受容を強制してくるのだ。

しかし、そのような裏側の話は日本ではほぼ耳にすることはない。

その結果として、SDGsのバッジを胸に付けて、国際機関の権威に盲目的に従う、恥ずかしい大人が量産されている。

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渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや)
早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員
パシフィック・アライアンス総研所長。1981年東京都生まれ。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。機関投資家・ヘッジファンド等のプロフェッショナルな投資家向けの米国政治の講師として活躍。創業メンバーとして立ち上げたIT企業が一部上場企業にM&Aされてグループ会社取締役として従事。著書に『メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本』(PHP新書)、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』(すばる舎)などがある。

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(早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員 渡瀬 裕哉)

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