58歳で射殺されるまで「偽造身分証」を作り続けた…ユダヤ人同胞のために命を賭した法律家の生き方
プレジデントオンライン / 2023年6月17日 13時15分
■不法な活動の中にも正義を求めたカウフマン
カウフマンとはどのような人物だったのか。生き延びた協力者の回想をもとに、改めてその実像に迫ってみたい。
職業訓練学校でグラフィックデザインを学んだ20歳のユダヤ人シオマ・シェーンハウスは、高い技術力を見込まれ、1942年12月にカウフマンの協力者となった。シェーンハウスに対し、カウフマンの活動に協力するよう勧めたのは、強制労働先の工場で知り合ったユダヤ人仲間のヴァルター・ヘイマンだった。ヘイマンは言った。
カウフマンは、たぐいまれな人間だ。彼は今でも精神的には不正を憎む正しいドイツ政府高官で、もっとも善良なドイツ人なんだ。たとえ不法な活動はしていても、彼には、絶対といえるほどの道徳的な誠実さがある。もし彼のもとで働くようになれば、君は報酬として闇で不正に入手した食料配給券を受け取るだろう。でももし君が欲を出して、わずかでも必要以上の量の配給券を要求すれば、彼は即座に君を首にする。彼はそういう人間だ。
(シェーンハウス『偽造者』)
■同胞を救うために命を懸けた
ナチスが台頭するまでジャーナリストとして活躍していたヘイマンは、カウフマンの人間性を高く評価していた。彼は言った。カウフマンはたしかにユダヤ人だが、潜伏ユダヤ人である自分たちとはまったく立場が違う。生粋のキリスト教徒で、ワイマール期には政府の要職を歴任してきた。しかもドイツ人の妻は貴族階級の出身だ。
彼はダビデの星の着用を免除されているし、彼の身分証明書には、ユダヤ人であることを示す「J」の印もない。彼は「ドイツ人」としての生活を許されている身なのだ。にもかかわらず、彼はユダヤ人同胞を助けるために、あえて途方もない危険を背負う道を選んでいるのだ。彼は、用心や警戒のために行動しないのは臆病者だと考えている。彼はこう言うのだ。「敵の塹壕(ざんごう)を攻撃したいならば、用心などしている余裕はない。危険を直視する勇気が必要なのだ」と。
ヘイマンのことばから見えてくるのは、カウフマンの強い規範意識である。彼はユダヤ人を守るために、法律上の正しさではなく「人間としての正義」を拠り所とした。だが、法の専門家であった彼にとって、たとえそれがいかなる悪法であったとしても、不法行為に手を染めることは自身の半生を否定するにも等しい苦痛であった。彼が潜伏ユダヤ人に対してさえ、必要以上の不正を許さなかったのは、法律家としてのせめてもの良心であったのだろう。
■半年で偽造身分証の「量産体制」を整えた
カウフマンによる救援活動とは、指導者であるカウフマンのもとでユダヤ人たちが身分証明書を偽造し、それを闇で流通させるというものであった。活動に協力するユダヤ人たちは、報酬として食料配給券を受け取ったが、それもまた、多くは闇市で入手されたものだった。
カウフマンは加工した身分証明書を闇業者に売り、その利益で闇業者から配給券を購入した。闇業者との取引には、ユダヤ人協力者たちも関与した。潜伏ユダヤ人のなかには、生活上の必要からもともと闇市に出入りしている者も多かったから、闇業者に「顔のきく」彼らが関与することは取引を円滑に進めるために有効であった。
活動を軌道に乗せ、多くの偽造身分証明書を流通させるためには人手が必要だったが、その人材をカウフマンに紹介したのもまた、ユダヤ人たちであった。なかでも「チャク・シァルジィ」の中心人物であった「混血者」エディット・ヴォルフは、カウフマンの有力な協力者としてハラーマンやゼガール、シオマ・シェーンハウスらを彼に紹介し、ネットワークの拡大に貢献した。
では、カウフマンの活動に関与したユダヤ人はどれくらいいたのか。1942年夏の時点で身分証明書の偽造に関与していたユダヤ人は6人、食料配給券の不正入手にかかわっていた者は15人であったが、それからわずか半年後には、身分証明書の偽造者は22人、食料配給券の調達者は34人にまで拡大した。カウフマン・ネットワークがいかに短期間に偽造身分証明書の「量産体制」を整えていったかがみてとれる。
■自宅を堂々と偽造身分証の受け渡し場所に
カウフマン・ネットワークによる活動はどのように展開されたのか。とくに、カウフマンによる証明書偽造の指示に始まり、偽造者たちによる「作業」を経て、完成品をカウフマンに手渡すまでの一連のプロセスはどのようなものであったのか。シオマ・シェーンハウスによる戦後の回想をもとにたどってみよう。
シェーンハウスの場合、偽造の指示や完成品の受け渡しは「連絡係」を介さず、カウフマンとの直接のやりとりによって行われた。その際、カウフマンが取引場所として指定したのは、彼の自宅であった。カウフマンの自宅を訪ねた際の印象を、シェーンハウスは後にこう語っている。
カウフマンの瀟洒(しょうしゃ)な邸宅は、古木の茂る広大な庭園のなかにあった。「さあ、入りたまえ。待っていたよ」。温和な態度でそう言い、彼は私を古風な書斎へと導いた。部屋には革張りの肘掛け椅子があり、葉巻たばこをふかした匂いが残っていた。
(シェーンハウス 前掲書)
シェーンハウスのことばから、ドイツに住む他のユダヤ人が次々に移送されていくさなかにあって、元政府の高官であり、ドイツ人貴族階級出身の妻をもつカウフマンには特別な保護と豊かな生活が許されていた事実がうかがえる。
とはいえ、偽造の取引場所として自宅を使う行為は、一見あまりにも無防備に思える。だが、じつはこれにはゲシュタポに対するカウフマンの深い洞察があった。カウフマンは言った。ゲシュタポの職員たちは、犯罪者というのは、闇に紛れてこそこそと行動するものだと信じ込んでいる。彼らは犯罪学を深く学んでいないからね。だから私は、彼らの先入観を逆手に取り、あえて自宅を使うのだ。このほうが夜の暗がりのなかで待ち合わせをするよりはるかに安全なのだ。
■「証明書を持った瞬間にユダヤ人でなくなる」
シェーンハウスは毎週金曜日の夜6時にカウフマンの自宅を訪ねるようになった。シェーンハウスは作業を終えた身分証明書を持参し、それと引き換えにカウフマンから新たな作業用の「台紙」を受け取った。渡される台紙は毎回10部から12部ほどあった。作業に際して、シェーンハウスが証明書の依頼者と顔を合わせることはなく、依頼者もまた自分の証明書を実際に「作成」してくれたのが誰なのかを知らされることはなかった。
このことについて、カウフマンはシェーンハウスにこう伝えている。「いいか、シェーンハウス。君は決して依頼者に会うことはない。それが私の活動の鉄則なのだ。君が証明書を作ってやる相手は、君が誰かを知る機会はない。それはもし最悪のことが起こったとき、彼らの裏切りから君を守るためだ」。
こうして、カウフマンから渡された台紙を自宅に持ち帰り、翌週までに完成させるのがシェーンハウスの生活となった。証明書の加工作業について、シェーンハウスは次のように回想している。
作業にはルーペ、日本の書道で使う細い筆、そして水彩絵の具を使う。偽造の手順は次のとおりだ。最初の作業は、「台紙」に押された公印の鷲と鉤十字の紋章を、他の紙に再現することだ。色もインクの濃さもまったく台紙と同じになるように描き写していく。次にこの絵の上から新聞紙を押し当てて、今描いた絵を新聞紙に写し取る。絵の具が乾かないうちに新聞紙をユダヤ人の写真の隅に押し付けると、「公印」が写真の上に現れる。アイレットを使い、依頼者の顔写真を台紙に貼り付ければ、「証明書」の完成だ。この証明書を持った瞬間から、その人物はもうユダヤ人ではなくなるのだ。
(シェーンハウス 前掲書)
■偽造身分証の「職業」が気に入らなかった女性
シェーンハウスが手掛けた精巧な証明書は、カウフマンを大いに満足させた。だが、カウフマンに身分証明書の入手を依頼するユダヤ人のなかには、こんな要求をする者もいた。
あるとき、カウフマンとシェーンハウスが打ち合わせをしていると、ひとりの年配女性が気色ばんで部屋に入ってきた。依頼者は決して偽造者と顔を合わせてはならないというルールを無視した行為である。女性は、「台紙」の職業欄に「ホテル客室係」と書かれていることが気に入らず、苦情を訴えに来たのである。
見るからに品の良い、白髪のその女性は言った。「ドクター・カウフマン、私は商業顧問官の妻なんですのよ。それなのにホテルの客室係だなんて。誰がどう見ても、そんな職業の人間には見えませんわ。この職業欄は書き換えてくださらなければ!」。
■「ホテル客室係」だったおかげで釈放
すでに述べたように、偽造身分証明書は通常、写真を依頼者のものと貼り換えるだけで、もともと「台紙」に書かれていた氏名や生年月日などの記載はそのまま活用する。手を加える箇所が増えれば増えるほど、偽造が露見する危険性が高まるからである。
このユダヤ人女性の苦情は、ホテルで客室係として働く貧しい年配女性までが、ユダヤ人のために自分の身分証明書を差し出してくれた事実を示す。だが、かつて裕福だったこの商業顧問官夫人にとっては、身分証明書を提供してくれた者への感謝よりも、自分が卑しい身分の者とみなされる屈辱のほうが重要だった。
女性の剣幕に辟易(へきえき)したカウフマンは、こう答えてシェーンハウスに水を向けた。「奥様、それについては私ではどうにもなりません。専門家の意見を聞いてみなくては」。シェーンハウスは即座に言った。「無理ですね。職業欄は手書きで記されています。手書きの部分はいちばん偽造が発覚しやすい箇所なんです。証明書が使い物にならなくなりますよ」
結局、商業顧問官夫人はしぶしぶ「ホテル客室係」と記載された身分証明書を受け取った。それから2週間後、スイスへの亡命を試みた彼女は、国境付近で警備隊に捕えられた。だが警備隊の詰所に連行されてきた彼女を見て、隊員のひとりが言った。「誰だい、この婆さんは。なんだ、ただのホテル掃除係じゃないか、さっさと解放してやれよ」。商業顧問官夫人は、「ホテル客室係」と書かれた身分証明書のおかげで釈放されたのである。
■身分証をあえて「紛失」する
このように見てくると、カウフマン・ネットワークとはユダヤ人や半ユダヤ人たちによる自助グループであり、活動を担っていたのも大半がユダヤ人だったかのように思えるが、彼らの活動の背後には、ユダヤ人よりもはるかに多数のドイツ人協力者がいた。
では、ドイツ人たちはどのようにカウフマンの活動にかかわったのか。シェーンハウスは、1942年12月に初めてカウフマンの自宅を訪ねた際、大量の身分証明書を見せられ、こんな説明を受けている。
いいかい、君。この身分証明書は教会の信者たちが寄付してくれたものだ。彼らは教会の募金箱に、現金の代わりに自分の証明書をこっそり入れてくれるのだ。この方法なら、彼らが冒す危険も少なくて済む。身分証明書の紛失は誰にでも起こりうることで、罰則の対象ではないからだ。
(シェーンハウス 前掲書)
このことばからもわかるように、ドイツ人救援者は、カウフマンたちのために自分の身分証明書を偽造用の「台紙」として差し出した。彼らは後日、身分証明書を紛失したと役所に届け出て、新たな証明書を受け取ることができた。
■ドイツ人の後方支援に支えられたカウフマンの活動
だからといって、この行為に危険がなかったわけではない。偽造の「台紙」として提供することは、潜伏ユダヤ人が自分の名を名乗り、自分の証明書を所持して生活することを意味する。もしその潜伏者が身元を疑われ、取り調べの対象になることがあれば、その累は当然、提供者にも及んだ。
ルート・アブラハムと夫ヴァルターに証明書を提供したマリア・ニッケル夫妻がゲシュタポの取り調べを受けたのも、そのためであった。ひとたび警察に嫌疑をかけられれば、救援者たちは自力で疑いを晴らし、窮地を切り抜けなければならない。たとえ証明書は紛失したとか盗まれたと主張するにしても、無事に釈放されるかどうかはわからない。ドイツ人たちは、そうしたリスクを承知のうえで潜伏者のために証明書を差し出したのである。
ドイツ人救援者たちが提供したのは身分証明書だけではなかった。自分や家族の食料配給券を差し出したり、現金を寄付する者もいた。活動に協力する潜伏ユダヤ人を自宅に匿う者もいた。
ドイツ人救援者のなかには、元女子ギムナジウム教師エリザベート・アベックと彼女の救援仲間たちもいた。アベックたちは「チャク・シァルジィ」のメンバーを含め、カウフマンの活動に関与するユダヤ人を多数匿った。いわば後方支援ともいうべきドイツ人たちの尽力なしに、カウフマンたちの活動はあり得なかった。
しかし、こうしたドイツ人救援者からの提供があったにもかかわらず、カウフマンが闇業者からも身分証明書や配給券を入手していたのは、協力者からの提供分だけでは到底足りなかったからである。それほど彼の活動は大規模であった。
編註:カウフマンは1943年8月、何者かの密告が端緒でゲシュタポに逮捕され、そのわずか半年後に58歳で射殺された。
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筑波大学教授
1965年生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。筑波大学大学院一貫制博士課程心身障害学研究科単位修得退学。博士(心身障害学)。福岡教育大学講師、東京学芸大学准教授などを経て、筑波大学人間系教授。専門は障害者教育史。著書に『視覚障害者の自立と音楽 アメリカ盲学校音楽教育成立史』(風間書房)、『ナチスに抗った障害者 盲人オットー・ヴァイトのユダヤ人救援』(明石書店)。
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(筑波大学教授 岡 典子)
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