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悪い習慣を断ち切り、幸福な人生が手に入る…アメリカ建国の父が死ぬまで守り続けた「13の徳目リスト」

プレジデントオンライン / 2023年6月20日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/traveler1116

幸せの秘訣は何か。「アメリカ建国の父」と呼ばれるベンジャミン・フランクリンは、79歳のときに書いた自伝で「13の徳目リスト」を公開している。彼は「このリストのおかげで、幸福な人生を手に入れられた」という。『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』(サンマーク出版)より、一部を紹介しよう――。

■“理性”では過ちは防げない

私が「道徳的に完璧な人間」になることを決意し、大胆かつ困難な計画を考え出したのはこの時期のことだ。私の願いは、どのような状況下においても過ちを犯さずに生きていくことだった。

人の過ちは、生まれもった性質、長年の習慣、友人の誘惑といったさまざまなことに起因するので、そうしたすべての原因を克服する必要があった。私はすでに、何が正しくて何が間違っているかを理解していた(少なくとも理解していると思っていた)ので、その気になれば、常に正しいことをして、間違ったことはしないというのも不可能ではないと思えた。だがまもなく、私の試みは予想よりもはるかに大変なものだとわかった。

ひとつの過ちを犯さないように注意していると、気づかないうちにほかの過ちを犯してしまう。油断すると悪い習慣が身についてしまうし、自分の生来の性質を理性で抑え込むのは簡単ではない。やがて、私ははっきりと理解した。

「完全な道徳性を身につければ、より有意義な人生を送れる」と頭でわかっているだけでは、過ちを防ぐことはできない。自分はけっして道を間違えないという確固たる自信を手にするためには、まず悪い習慣を断ち切り、よい習慣を身につけなければならないのだ。そこで、ある方法を考えた。

■完全な道徳性を身に付ける“13の徳目”

私が読んできた本のなかには、さまざまな「徳」のことが書かれていた。だが「徳目」の数は本によって異なった。ひとつの徳目にさまざまな意味をもたせている場合もあれば、少ししか意味をもたせていない場合もあった。

たとえば、「節制」という徳目がある。ある著者はこれを「飲食」に限定しているが、別の著者は、飲食に限らず肉体的・精神的なあらゆる欲求を含めて論じている。

私は各項目をできるだけシンプルにしたかったので、徳目の数を多くして、意味は狭い範囲に限定した。私がつくった徳目の数は全部で13になる。その13の徳目のなかに、当時の私にとって必要な、あるいは望ましいと思われた徳がすべて含まれている。また、それぞれの徳目には短い戒律をつけた。それらを読めば、私が13の徳目にどのような意味をもたせたかがはっきりとわかるだろう。

それぞれの徳目の名称と戒律は次のとおりだ。

1 節制
飽きるまで食べないこと。酔うまで飲まないこと。

2 沈黙
自分と他人に無益な話をしないこと。むだな会話は避けること。

3 規律
物は場所を決めて置くこと。仕事は時間を決めてすること。

4 決断
やるべきことがあればやろうと決心すること。決心したことは必ずやりとげること。

5 倹約
有益でないことに金を使わないこと。つまり浪費をしないこと。

6 勤勉
時間をむだにしないこと。常に何か有益なことをして、むだな行動はすべて断つこと。

7 誠実
嘘をついて人を傷つけないこと。無邪気かつ公正に考え、話すときも同じようにすること。

8 正義
他人の名誉を傷つけたり、自分の義務を怠ったりと、不実な行いをしないこと。

9 節度
極端を避けること。腹を立てるに値するような侮辱を受けてもじっと耐えること。

10 清潔
身体、衣服、住居の不潔を許容しないこと。

11 平静
ささいなこと、よくある出来事、避けがたい出来事に取り乱さないこと。

12 純潔
性交は、健康あるいは子づくりのためにのみ行うこと。快楽に溺れて頭を鈍らせたり、健康を損なったり、自分と他人の平穏や信用を傷つけたりしないこと。

13 謙虚
イエスとソクラテスを見習うこと。

■まずは「節制」から始める

私はすべての徳目を習慣として身につけるつもりだった。だが、一度に全部やろうとすると注意が分散されると思い、まずはひとつの徳目に集中し、それを身につけたら次の徳目に移るという方法で、ひとつずつ順番に修得することにした。そして、徳をひとつ修得すれば次の徳を身につけるのが楽になると考え、13の徳目を先ほど挙げた順番に並べた。

第1の徳を「節制」にしたのは、節制を通じて、冷静かつ明晰(めいせき)な頭脳を手に入れられるからだ。そのような頭脳があれば、古い習慣に引っ張られても、さまざまな誘惑に襲われても、警戒心をもって対処できる。そして「節制」を身につければ、次の「沈黙」を修得するのがいくらか簡単になる。また私は、徳を身につける生活のなかで知識も得たいと考えていた。知識を身につけるには、舌よりも耳のほうがずっと役に立つ。

そこで、仲間内でのむだな話や、つまらないしゃれや冗談を言う習慣をやめようと思い立ち、「沈黙」を第2の徳目とした。これと次の徳目「規律」を守れば、自分の計画や勉強にあてる時間が増える。

そして第4の徳目「決断」は、ひとたび習慣として身につければ、その後は確固たる意思をもって徳を修得していける。「倹約」と「勤勉」をきちんと守れば、いつか残りの借金から解放されるだろうし、借金を返済して自分だけの力で生活していけるようになれば、「誠実」と「正義」をはじめ、残りの徳目も実行しやすくなる。

■新しい徳目は「1週間にひとつ」

私はピタゴラスの『金言集』の忠告に従い、自分の行動を毎日欠かさず精査することにした。私が用いたのは次のような方法だ。

まずは小さな手帳をつくり、ひとつのページにひとつの徳目を割り当てる。次に、各ページに赤インクで縦線を引いて7つの欄をつくり、それぞれの欄に曜日の頭文字を書き込む。それから、同じく赤インクで13本の横線を引き、行の初めに13の徳目の一文字を入れる。私は毎日、自分の行いを振り返り、徳目に反することをしたときは該当する箇所に黒点をつけた。

【図表1】13の徳目 振り返り表
出所=『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』

こうして私は、「1週間にひとつの徳目を厳格に守る」ことを何度も繰り返すことに決めた。最初の週は「節制」だけに気をつけ、この徳目に反することはぜったいにしないよう気をつける。だが、ほかの徳目にはとくに注意を払わず、過失があったときはとりあえず黒点をつけておく。

1週間が経ったときに「節制」の行に黒点がついていなければ、「節制の習慣は強まり、その反対である享楽の習慣は弱まった」ということになる。そうなれば、次の1週間は「節制」と「沈黙」の2行に黒点をつけずにいられるかもしれない。

■13週間後には「黒点ゼロ」で過ごせるかもしれない

また、このやり方なら13週間で最後の徳目まで終えられる。つまり年に4回は同じことを繰り返せるのだ。庭の草むしりをする人は、一度にすべての草をむしろうとはしない。自分の手に負える範囲を把握したうえで、1カ所ずつ順番に作業を進めていく。

私も同じように、1行ずつ順番に黒点をなくしていこうと決めた。黒点が減っていくさまを見れば、徳が身についていくのを実感し、自信がつくだろう。そして最後には、どこにも黒点をつけることなく13週間を過ごせるかもしれない。そのときを迎えるのが楽しみだった。

第3の徳目「規律」には、「仕事は時間を決めてする」という戒律がある。私は、平日の24時間の使い方を定め、手帳の1ページ図表2のような表を書き込んだ。

【図表2】平日の24時間の使い方
出所=『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』

私はこの「自己分析計画」を実行に移し、ときどき中断しながらも、しばらくのあいだ続けた。いざ始めてみると、自分が思っていた以上に多くの過失を犯していることを知って驚いたが、時間とともに黒点は減っていった。自分に徳が身についていくさまを眺めるのは、なかなか気分がよかった。

とはいえ、しばらく経つと、私はこれを1年に1周しかしなくなった。やがて数年に1周するだけになり、海外でさまざまな仕事をするようになってからは完全にやめてしまった。だがそれでも、この手帳だけは肌身離さず持ち歩いた。

■「規律」の徳目に挫折しかけた

最も大変だったのは、「規律」の徳目を守ることだった。自分の時間を自由に割り振りできる人、たとえば一人前の印刷工のような人だったらうまくこなせるのだろうが、経営者である私は、周囲の人との付き合いもあるし、いつ何時やってくるかわからない客の対応もしなければならない。つまり、時間を厳密に守るのは不可能に近かった。

また、紙やらなんやらをすべて決まった場所に置くという習慣もなかなか身につかなかった。子どものころからずっと、物を置く場所にこだわらなかったせいだ(人並み外れて記憶力がよかったので、何をどこに置いたかをすべて覚えていられたのだ)。そのため、「規律」の項目を守るのにはずいぶん苦労した。

何度も過失を犯しては自分に腹を立てたが、なかなか成長せず、むしろ前よりも規律を守れなくなっている気がすることも多々あった。「私には無理だ。誰にでも欠点はあるんだから、多少だらしなくても別にいいじゃないか」とあきらめかけたほどだ。

■あきらめた男の話

ここで、ある「あきらめた男」の話をしよう。

その男は、私の家の近くの鍛冶屋で斧を買い、「この斧の刃全体を刃先と同じくらいぴかぴかに磨いてください」と頼んだ。

鍛冶職人は、「もしあんたが砥石(といし)の車輪を回してくれるなら、望みどおりぴかぴかに磨いてやろう」と答えた。

男は提案に応じたが、斧を砥石に押しつけた状態で車輪を回すのはなかなかの重労働だった。男は何度も手を止め、斧の光り具合を確かめたが、やがてあきらめてこう言った。

「よし、もうじゅうぶんです。このまま持って帰っていいですか?」

だが、鍛冶職人は首を横に振った。

「おいおい、もっとがんばりな。これじゃ中途半端だ」

すると、男は答えた。

「たしかに完璧じゃありませんが……これくらいの磨き具合がちょうどいい気がしてきたんです」

世の中には、この男と同じような人が大勢いるのではないだろうか。たいていの人は、徳を身につけるために計画を立てたりはしない。よい習慣を身につけ、悪い習慣を断ち切ろうと思い立っても、その道のりの険しさを知ると簡単にあきらめ、「これくらいの磨き具合がちょうどいい」という結論を出してしまうのだ。

■「完璧を目指すこと」に意味がある

私自身、懸命に努力を重ねるなかで、ときどきこんなふうに考えた。

「私はいま、道徳を意識しすぎてばかげた努力をしているのだろうか?」
「他人から見たら滑稽ではないだろうか?」
「完全無欠な人間になったところで、周囲から妬まれたり憎まれたりするのがおちではないか?」
「そもそも、本当に『徳のある人間』なら、友人の顔を立てるためにも、多少は自分の欠点を残しておくべきではないのか?」

正直、自分が性格的に「規律」を守れないことは昔からよくわかっていた。歳をとって記憶力がおとろえてからは、なおさら自分のだらしなさを痛感するばかりだ。だが、若き日の私がしたことはけっしてむだではない。たしかに、「道徳的に完璧な人間になる」という当初の目標は達成できなかったが(もっといえば、その目標に近づくことさえできなかったが)、懸命に努力したおかげで、人として多少は成長したし、多少の幸せをつかむこともできた。

これは、印刷された文字を手本にして完璧な文字を書こうとする試みに似ている。きれいに、ていねいに書く努力を続ければ、手本と同じ域には達せなくても、そこそこ読める文字が書けるようになるのだ。

■徳目を身に付けたから79歳まで幸福でいられた

私はいま、数え年で79歳になる。この歳まで幸福でいられたのは、神の御恵みがあっただけでなく、こうしたささやかな工夫を重ねてきたからだ。私の子孫たちには、ぜひそのことを覚えておいてほしい。

ベンジャミン・フランクリン『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』(サンマーク出版)
ベンジャミン・フランクリン『すらすら読める新訳 フランクリン自伝』(サンマーク出版)

この先の人生で、私がどんな不幸に見舞われるかは神にしかわからない。だが、たとえ何が起きたとしても、過去に味わった幸福を思い出せば、目の前の不幸を受け入れ、じっと耐えることができるだろう。私が長いあいだ健康を保ち、いまなお元気に過ごせているのは「節制」を守ったからだ。

若くして安定した生活を送り、財を成し、さまざまな知識を身につけて周囲の尊敬を集め、知識人のあいだでそれなりに名を知られる人間になれたのは「勤勉」と「倹約」のおかげだし、国民の信頼を得て名誉ある仕事を任されたのは「誠実」と「正義」のおかげだ。

また、私はいつも落ち着きを失わず、親しみやすい態度を崩さなかったので、いまでも多くの人(とくに若者)から好意を寄せられる。これはひとえに、不完全ながらも13の徳を身につけたからだ。だから、私の子孫たちにも同じことをしてほしいと思う。そうすれば、私と同じ幸福を手に入れられるはずだ。

(政治家 ベンジャミン・フランクリン)

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